知っていると理解している
殆どの人は知って満足してしまいます。
でも理解しようとはしない。
だから理解している人は少ない。
それぞれのことを理解するのは、きっと一生では不可能だろうと思います。
自転車を乗ることは殆どの人が理解しています。
自転車に乗れれば、多分普通にバイクには乗れます。
でもサーキットでギリギリの走行をすることは理解していません。
テレビで観戦してバイクのレースは知ってます。
オンボードカメラがあるので、サーキットを走った気にはなれます。
でも走っている時のフロントフォークの上げ下げの振動や微妙なタイヤのグリップ
車体の歪む音、コーナーを曲がるときの恐怖感と爽快感は全く理解できません。
知ることはできても理解はできません。
理解は、実際にやってみないとわからないからです。
実体験しなければ想像しか出来ません。
歩くことはできます。
でも私達は本当に歩くことを理解しているのでしょうか?
日常生活でも理解していないことが沢山あります。
知識だけではわからないことが沢山あり、それが正しいと思い込んでしまう。
理解するということは特別なことじゃなくてもできます。
歩くことでもできます。
椅子からの立ち座りでもできます。
なのに理解しようとしない。
そんな時間がないのかも・・・。
でも理解しないで何故生活ができるのか?
そこを考えることが身体を知ることでものすご~く大事なんです。
「古典は身体の中にあり」
とある人が言いました。
まさしくその通りだと思っています。
あなたの身体の中にしかあなたのことは書いてない。
古典をいくら読んでも東洋医学は理解できません。
そのことを忘れてしまった鍼灸師がいかに多いことか・・・。
それをわかるためには頭がものすご~く柔らかくないとできない。
矛盾だらけな身体をそのまま受け入れる必要があるからです。
それが身体の仕組みです。
実に面白い!!