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シンガポール移住、5才の息子の学校選び。

2017.09.07 02:49

我が家がシンガポールで生活することを選んだのは



社会人生活を折り返した年齢の夫が、この先どこで仕事をしていきたいか


そして、子供をどこで育てていきたいか



この二つを考えた結果でした。



息子には、日本語だけでなく、英語や他の国の言葉を、勉強というよりも生活しながら身に着けてほしいという思いがありました。


なぜ?と遡ると、夫も英語には不自由していないし、夫のお父さんも外国で仕事をしていた人で、ドイツ語と英語が話せたので


英語が話せたから、好きな場所で、好きな仕事をして生きてきた


それが良かったと思っているから


息子には、大人になってから勉強として語学を学ぶのではなく、語学を身に着けてあげたかったのです。



息子は、日本で3才からインターナショナル幼稚園に通っていました。


幼稚園に入る前は、1才からヤマハ英語教室(1才から入れるところが当時はヤマハしかなかった)、2才からインターナショナルプリスクールに通っていたので、物心ついた時には英語を知っていたと思います。


でも、日本で、日本人の両親と暮らしている子の英語教育には限りがあって


幼稚園でも日本人の先生と外国人の先生、2人の担任の先生がつくのですが、日本語を覚えていくにつれ、「英語じゃなくて日本語で言って!」という、日本語のほうがわかるという思いが強くなっていきました。


幼稚園の通常の保育時間は、日本語と英語の半々。


そのほかに、放課後に習い事として、毎日英語クラスを1時間受けていて、年長になった頃にはアルファベットの読み書きもでき、フォニックスも覚えているので、欧米の小学校1年生の教科書くらいの絵本であれば、読むことはできました。


外国人の先生の英語の問いかけは、理解しているよう。年長になると、英語クラスの質問も返答も英語でできます。でも、英語でお友達と会話することは、できないのです。


そこから続けてその環境にいられれば良いのですが、その先に続く小学校がなかった。


家から通える範囲に、インターナショナルの小学校がありましたが、外国人か、帰国子女しか受け入れはなし。日本に住む外国人のための学校ですから、当然。


英語教育に力を入れている私立学校も増えてきましたが、それでも通っていた幼稚園よりもぐっと英語にふれる時間は減る。


私も仕事をしていたので、近所の公立小学校に通って、放課後に送迎付きのインターナショナル学童に入れる、というのも考えました。



そうして、息子に日本で英語教育するならば、夫も会社が決める国に赴任するならば、自分たちの決めた国で仕事をして学校に通わせようじゃないか、という思いに至ったのでした。


夫は、本当はアメリカに行きたかったようですが、私は、人種差別の問題から考えて、シンガポールで良かったと思っています。


日本人の多くは、アジアよりもアメリカのほうがカッコいい!と思っているけど、人種差別を知らないのでしょう。海外はハワイしか知らない日本人は、まさか自分たちが差別される側だとは思いもしないようで(ハワイでも差別されていることに気付かないのでしょう)、日本人はアジアの中で優れていて、品が良くて、欧米人は日本贔屓だと思っている。


だから、我が家がシンガポールに引っ越すと知ると、「アジアでもマシなところで良かったね」という言葉を口にする人が、何人いたことか…。


多民族国家シンガポールでも、差別は当然あると思います。


でも、世界にはいろんな人がいることを知ることができる。

いろんな言語があることを知ることができる。

幼い子が、見て聞いて、それが当たり前だと思って育つ。


これは、とても良いことだと思います。


そんな中で育つ息子が、うらやましいと思うくらい。



そういうわけで、シンガポールに来て、息子を日本人学校に通わせるという選択はありませんでした。


あとはどの学校に通うかとなると、公立小学校か、インターナショナル小学校です。


その選択については、長くなるので、また別に綴ろうと思います。



そういえば、海外の学校に入学する際に提出する書類のなかに、英文での在学・在園証明書がありました。


日本の公立幼稚園や小学校に依頼すると、海外子女教育振興財団の有料フォーマットから作成依頼する形になるらしい。


息子が通っていた幼稚園では、園長先生が書いてくれました。60代のおばあちゃん園長先生で、日本語の名前の文字は達筆なのに、英語のサインは若い女の子のように可愛く、おしゃれなサインを入れてくれました。笑


幼稚園の英語教育に疑問をもって園長と話し合ったこともあり、大人しく何でも受け入れる母ではなかった私ですが、移住してインターナショナルスクールに通わせるという決断には、大賛成して見送ってくれた園長先生に感謝です。日本で英語教育をしていく難しさは、園長先生が熱く語ってくれました。


幼稚園年長だった息子は、8月から、シンガポールでは小学生になってしまったので、幼稚園は退園というよりも早い卒園になってしまったのですが


最後にクラスのお友達や全員の先生が贈ってくれたメッセージカード、まるで卒園アルバムのような凝ったフォトアルバムは、一生の宝物です。