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Ayur ~ Diya ~

瞑想とは臨死体験

2017.10.04 01:13

「はい?」


っと思った方が多いはず。


たまに参加している高野山東京別院での阿字観教室でのお話。

茶話会で講師の川上先生が「瞑想とは臨死体験なんです」と仰っていました。

私は自分の経験上、「臨死体験」という言葉になんの違和感もなく、

むしろ「やっぱりそうだったのかー!」と嬉しささえ覚えました。


「本当のゼロってどんなだろう。」


このヨガを学びはじめた当初は、「無意識」の感覚について、私は書道や、

スノーボードに乗れてる感覚(つまり自分が好きなことに没頭してる時)と書いていたけど、

学びはじめてちょうど一年経つ頃のそれは変わっていました。


このヨガの軸にある「タントラ」。

それってどういうことなんだ?

と、直線的に答えを求めてしまっていて、スランプに陥りました。

そして、黙々と一人アーサナを繰り返していた時、ある感覚を思い出しました。


Shiri Kaliのヨガ受けたことがある方、私のクラスに参加されたことがある方には

伝わるかと思いますが、アーサナ中、ふと意識がなくなったり、眠っていたり、

自分が今どこにいるか分からなくなることがあります。

(催眠術をかけてるとかじゃないですが)

ゆったりと呼吸を繰り返す中で、いつも力んでいる体を芯から、いや細胞レベルから

リラックスさせていくと感じる感覚なんでしょう。


自分の体の重みさえも感じることなく、ただただ呼吸(無意識に)に身を委ねていく。

「思考」という概念はまったくなく、寝ているとも違う、

なんならちょっと浮遊感さえ覚える。

床に寝ているのに背中が床に接している感覚が丸でない。


私が思い出した感覚というのが、子どもの頃の経験。

7歳の夏休み前、風をこじらせ肺炎になりました。

その肺炎の菌はあろうことか脊髄を通って脳に飛ぶ。

その瞬間から、次に目を開けるまで私の記憶はブツっと途切れました。


不思議と、今でも記憶が途切れたときの情景や同室の幼い女の子がテレビを見ながら

口ずさんでいた童謡は覚えていて、ふと思い出すときがある。

近くの病院に入院手続きした数時間後に、急遽大学病院に搬送され、ICUで意識不明の3日半。


看護師をしていた母は『助からない』と思ったらしい。

祖父も病院に駆けつけて私を見て、『ダメかもしれない』と祖母にこぼしたとか。

幼い弟は、私のおもちゃのネックスレスを数珠代わりに祖母と近くの神社に手を合わせていってたとか。兄かな?いや、きっと「お兄ちゃんだから」と、不安を表に出さずにいたかもしれないな。


家族みんなが不安になっていた時、父だけが『自分は悪運強いから、絶対助かる』と、

毎夜、母を励ましながらICUの隣で鶴を折ってくれていたようで。(数十年後に立場が入れ替わるとは思いしなかったはず笑)

そんな家族の強い想いが届いたのか、私は奇跡的に目を覚まし、五体満足で今があるのですが。。。


記憶が途切れてから、目覚める前のわずかな間(時間の感覚もなにもないので表現しがたい)に

不思議な心地よさを感じました。


おそらく何も色がない真っ暗なところから、

急に太陽のようなおおきな光みたいなものに、つつまれるというか

ふわぁーっと照らされて、とっても心地よくて、体の重みもなにもない


『なんだろう、この安心感。懐かしいような。ひなたぼっこしてるみたい。

すごくここちいいなぁ』


そう感じたあと、また深い眠りにつくような感覚で、

すぅーっと光が消えていきました。

きっとその時、私の魂はいわゆる「あの世」へ向かったんだと思います。


が、暗がりのなか私はかすかな音を拾いました。

「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・」


私➡️「?」


音「・・・・・ん」


私➡️「ん?」

  「なに?」


音「・・・・・ちゃん」


私➡️「呼んでる?」


音「・・・えちゃん」

音「・・りえちゃん」


私➡️「あ、だれかに呼ばれてる」


そして、ここではじめて「目を開く」ということをしました。

久々に目を開けると、視界はぼやけてて、焦点がなかなか合わない。

そして、自分がいたのはICU。

まず、私の視界に入ってきたのは、緊急で搬送されてきてた方がそのまま

処置を受けてるところ。

医師たちの合間からその箇所がもろに見えてしまい衝撃を受ける。


そして、しばし声を失った。


私のベッドの周りには、母と叔父たちがいて、目を覚ました私を見て

それはそれは喜んでいたはず。私は「ここどこ?なにこれ?」状態でした。


っと、ちょっと長くなりましたけど、

あの状態が本当のゼロなのかもっと20年も前の感覚が繋がりました。

なので「瞑想=臨死体験」というのが納得で、そして「Yoga is Zero」というバガヴァン(インドの師)の言葉も腑に落ちました。


ヨガで臨死体験を目指そー!というのではないですよ。


ヨガも瞑想。

みんなゼロからはじまって、いろんな経験をして、ゼロに帰っていく。

私たちは何もない「ゼロ」の状態から、「意識」が出てきて、「生」をうけて

この世に存在している。

この世に「存在」していることがまず絶対的な自分の表現だと思うので、

必要以上に人と比べたり、過剰にアピールしなくてもいいのではないかな。


私は死は遠くあるものでもなく、死後の世界も多分ないんだろうなぁ。と思ってます。

永遠の命も永遠の美もあまり興味はない(笑)

より良く寿命を生きるための先人たちの知恵。

ヨガやアーユルヴェーダばかりではないとも思っているけれど、まったく役立たなかったら

今頃淘汰されているとおもう。

だから苦しくならない程度に大切にしたいと改めて思うのでした。


はじめてをゴアに訪れた時に出会った夕陽。

今まで見たこともないくらいに大きくて、自分の真正面にいる太陽を全身で感じた静寂の時間。

こんな太陽、もうこの時以外は出会ってません。同じ日はまたとない。そう言うことかもしれません。