My Roots My Favorites 新井弘順(真言宗豊山派宝玉院住職)
世界に放り出され、
最先端の音楽と出会えたことで
自分達も聲明を音楽として再発見した。
1973年、国際交流基金のツアーでテヘランからフランス、ドイツ、アメリカなどを周りました。日本の伝統芸能や音楽の原点を紹介する43日の世界旅行です。国立劇場の木戸敏郎さんが、私の師匠で人間国宝の青木融光大僧正の聲明が素晴しいからと推挙され、お坊さんが17名ほど行きました。この時初めて聲明を欧米の人たちの前で公演したのです。石井眞木さんらの現代音楽のアンサンブル、平家琵琶の方々も一緒でした。私はその前年、28歳で初めて国立劇場に出たばかり。ツアーについて来いと言われ、若手なのでトラックで先乗りして法具や舞台を整えたりしながら一度舞台に出ました。その時融光師は82歳です。82歳の方がベートーヴェンホールで「凄い。素晴しい音楽家だ。芸術家だ」と大絶賛を浴びた。一方、宗教音楽をお金を取って見せるのはいいのか、という批判的な新聞評も出ました。
フランクフルトのホールでは眞木さんの新曲で無我夢中で法螺貝を吹いて、カーテンコールは急遽「お坊さん出ろ」と言われて。恥ずかしい思いをしながら現代音楽デビューしました(笑)。五線譜で指定されたとおりにするのが音楽と思っていたのが、なんだ現代音楽ってこんないい加減で面白いものなのかと(笑)。つまり戦後の現代音楽に直接触れたのです。
聲明はグレゴリオ聖歌のような綺麗なハーモニーではなく、各自が地声で声を響き合わせて唱えるもの。インド、中国を経て日本へ伝わり、歴史的にも地理的にも大きな広がりを持つ、日本の音楽や古典芸能の源流なのですが、我々は職業としてやってきて、音楽として全然意識していなかった。それが欧米の人々にインパクトを与え、次第に、聲明ってこんなに素晴らしいものなのだ、と自分達自身も聲明を再発見した。その後国内外の舞台で公演し、実験的な音楽にも創造的に関わり、研究にも進んで行くことになりました。世界に放り出され、最先端の音楽と出会えたことで、聲明との一番良い出会いがあったのかな、と思います。(談)
新井弘順 Kojun Arai
1944年埼玉県生まれ。高野山大学大学院修士課程修了。真言聲明を青木融光大僧正に学ぶ。上野学園大学日本音楽史研究所研究員として声明史料の調査研究に従事。所沢市 宝玉院・普門院住職。真言宗豊山派迦陵頻伽聲明研究会会員。
◎11/4(土)音楽堂聲明「月の光言」、10/18(水)関連講座(受付終了)に出演。
Photo(上下とも)
2007年神奈川県立音楽堂公演「音楽堂で聴く聲明-西行マンダラ-」より ©青柳 聡