豊年祭(旧暦8月15日に一番近い日曜日)
前夜祭
交通手段が今ほど発達していなかった頃,街に出ていた人々が豊年祭に出るためには前日のうちに帰郷しておかないと間に合わなかった。そこでせっかく前日からみんなが集まっているのだからと始まったのが前夜祭である。
当初はみんなで集まって飲む程度だったそうだが,年配の方々を喜ばせるために余興がはじまり,現在では夜店も出ている。
余興は保育所のお遊戯や小学生・中学生による発表,そして婦人会・青年団・壮年団の出し物からなる。飛び入りのカラオケがあったり,舞踊や民謡のゲストを迎えたりすることもあり,集落全体で盛り上がる。
青年団や壮年団,婦人会などの出し物は,敬老会と同様,1~2週間ほど前から熱い(?)練習が始まる。練習内容は敬老会を参照下さい。
豊年祭
豊年祭はその名前のごとく,今年の豊作に対する神への感謝と来年も穀物が豊かに育ちますようにとの神への願いが込められた祭である。奄美諸島では今も盛んで,ほとんどの集落で行われている。メインは相撲で,1週間ほど前から子ども達の相撲の練習も学校や公民館前にある土俵で行われる。
前日,当日の午前中は,照明の設置,土俵周りの掃除やパイプイスを並べての客席や敬老席づくり,豊年祭の「のぼり」を立てるなどの準備をする。土俵上の屋根を支える四隅の柱には,中国の影響であろう,東側に青,西側に白,南側に朱,北側に黒の布を巻きつける(もともと色が塗られている柱の集落もある)。
午後からはいよいよ豊年祭。名瀬やその他の集落に住んでいる集落出身者も見物に訪れる。
まず,トネヤ(村の守護神を祀る家)で四,五名の男達が輪になってチヂン太鼓をたたきながら踊り,次にミャー(トネヤの前の広場)で同じように踊る。その後,力士たちが「ヨイヤーヨイヤー」とかけ声をかけながら,土俵のある公民館まで行進する。その後,土俵の周りを何周か回って入場終了。東西に分かれて席に着く。
試合は年少者から順番に行う。場合によっては赤ん坊が初土俵を踏むこともある。赤ん坊の仕草や子ども達の試合で場は和み,小学生,中学生達の試合で熱が帯びてくる。子どもが大きくなってくると親子相撲の取り組みも見られ,場は更に盛り上がる。
そうしているうちに,他集落からも若者達がやってきて,集落対抗で相撲をとる。やらせは一切ないので集落の応援にも力が入る。
やがて仮装した女性達が入場。その後食べ物を担いだ女性達と力士が土俵の周りを回り始める。これを「中入り」と呼んでいる。女性が担いできた食べ物は土俵の周りを行進しながら力士達に渡され,力飯となる。
いよいよ試合は終盤。他集落の力士も含めて最強力士を決めるためのトーナメント戦が行われる。優勝者には賞金も出るとあって,迫力ある相撲が見られる。
こうして相撲は終了。表彰式が行われ,最後にみんなで八月踊りを踊り,お開きとなる。勿論この後,集落の者は後片付けの後,楽しい反省会(飲み会)が待っている。