クリスマスより正月より思い出深いのは年の瀬
霜月も終わりに近づきそろそろ師走
世の中はクリスマスのデコレーションで彩り
コンビニは早くもおせちの予約のチラシ
ああコロナに明けコロナに振り回された2021年も終わりますな
子供の頃は甘いもの嫌いな私は父が会社から支給される?(高度成長期 波平さんよろしく赤鼻は酔っ払いのオヤジで いい時代で街では土産に会社から支給されていたケーキが持ち歩いて崩れてたもの)バタークリームのホールのデコレーションケーキが食べられず。
わざわざアイスでできたクリスマスケーキを別に土産てくれた。デコレーションのチョコは苦味があって生クリームもアイスと別の風味で層になっていて、さしずめ大判チョコレートパフェ。
溶けないように箱に入ったドライアイスでぶくぶく遊ぶのが定番だった。
確かに子供の頃はサンタのプレゼントを楽しみにでもありましたが。
大人になって振り返ると思い出深いのは「年の瀬」かもしれない。
床や柱を磨く方法
障子を破るのが正当に思いっきりさせてもらって、たわしでサンののりと障子紙の残りをこそげ取り、乾いたらのりをお湯で伸ばし皿の上に流し障子の糊刷毛でサンにつけては新たな障子を張っていく。
最後にスプレーの代わりに口で水をスプレーするのだけれど。子供の私にはうまくできずに、下手くそで水が固まって出て障子がまあるく濡れるだけ。その下手さに大笑い。
そして晴れて空気の乾いたある日には
一番広い畳の部屋の窓を全て開け放ち
布団の打ち返しをしたものだ。
段々に小さく台形に真綿を積み並べ最後に全てをまとめるように薄く伸ばした薄綿を母の反対端に回って摘みひっぱりさらにそっとそっと同時に重ねた真綿の塊を包む。
この儀式のような不思議な感触が今も記憶に残ってる。
洗い直した布団の布を端から綿をいれ包み込み縫い上げると ところところを縫い針より長い針で糸を通して結ぶ。布団の綿がよれないように。
そんな作業を難なくこなす母は家事のエキスパートだった。
障子貼り
畳の打ち返し
なんと昭和の母というものはなんでもこなせたことか?
重い布団からやがてベットと羽布団に代わり
こうした年の瀬も日本から消えてしまった。
年の瀬を気持ちよく新たな年に向け
母と娘がせっせと支度する
昭和の家庭の
なんと幸せな記憶か…。