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「宇田川源流」【年初放談】 コロナウイルスとその対応の予想

2022.01.01 22:00

「宇田川源流」【年初放談】 コロナウイルスとその対応の予想


改めまして、令和4年、皇紀2682年、みずのえとら(壬寅)、このほかにも西暦から仏滅紀元にイスラム歴に中華民国暦など様々あるが、まあ、どうでもよいだろう。とりあえず、新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

そもそも新年というのは、日本の場合、「一年の神」がやってくると考えられているのであって、その神様を迎えるというような気持人あっている。一年お家で何か良いことがあれば、その神様が良い神様を引き寄せてくれたと考えるものであり、逆に悪いことがあった場合には、悪い神がたくさん来るというように考える。

たまたまなのか、何か法則があるのか、あるいは、日本人の考え方が正しいからかなのかはよくわからないが、悪いことが重なるときというのは、本当に何か重なる。「泣きっ面に蜂」という言葉があるが、まさにそのような状況になるということは、一年の日本ということにはよくある。安政年間などは「開国」「安政の大獄」「安政虎狼痢」「安政大地震」といろいろなことが重なり、日本が最も危なかったといわれるときであろう。まさにそのようなときに、政治は何をするのか、そして、国民(当時は国民というような画院で名白書民党概念であったかもしれない)は何をするのか、そして悪い神をどのように鎮めるのかということが大きな問題になる。

 暦を扱う神である「天皇」が、時代、つまり年号を変えるか、あるいは、政治が責任を取って辞めるか、どちらかしかないということになるのである。その意味で、天皇というのは重要な役割をしていたということになるのではないか。

 さて、そのような意味で言えば「元号が変わってもよい」というレベルなのかどうかは議論が分かれることになるが、しかし、ここ2年間はコロナウイルスによって政治も経済もかなり影響を受けたということになる。さて、このコロナウイルスが今年どうなるのかということを、まずは今年の第一発目のブログとして考えてみたい。

 あらかじめ言っておくが、私は占い師ではない。そのために、そのような「予想」をしても、それが当たるなどとは考えていない。そもそもこの「年初放談」な度は必要がないというような感じがないわけでもない。毎年そのようなことを思っているのであるが、残念ながら、正月早々様々なニュースなどというものはないのであって、そのために、このような「企画」をしないとなかなか持たないということにある。

 まあそういう事情もあるので「当たらない」可能性のる「素人の占い」にお付き合いいただきたい。まあ一応そのように先に言い訳をしながら、今回は、一応「2021年までに何があったのか」ということを復習し、そのうえで、その延長線上に今年の内容があるという前提で物事を考える状態で、その内容を考えてみようということになる。そのために、今年にあり得ないようなあ劇的な変化や、新規の技術開発、または天変地異や戦争などの変異事項があった場合は、そのために、子の予想はすべて外れるということになるのである。実際に、昨年の「年初放談」は、冒頭に「昨年の予想はすべて外れました」と、コロナウイルスによって、政治も経済も臭い関係もすべてが予想通りにならなかったことを素直に認めているのである。

 さて、そのうえで、「今年のコロナウイルス」について考えてみよう。

 2019年から中国の武漢で流行が確認され、その後2020年の中国の春節以降世界に蔓延し、一時世界経済がパンデミックとなったCOVID19、ここでは新型コロナウイルスと言っている。このコロナウイルスの蔓延によって昨年2020年から今日まで、世界経済はまだ戻っていない状況になっている。

 各国政府は「民主主義」であるということから「経済よりも人命」ということになる。基本的に国民の生命を守るというか、取り返しのつかない事態を避けるということが、民主主義の政府の役目ということになるからである。その意味では死んでしまった人は、元に戻らないが、経済状況は何とかなるということで、経済や余暇を犠牲にしてコロナウイルス対策を各国政府が行うということになるからだ。このようなことをかくと、「コロナはただの風邪である」とか「経済苦で自殺する人が出る」「引きこもって鬱になる」というような主張が出てくるが、政府は「自殺や鬱に関しては、全員がその症状になるという物ではない」ということからある程度のところで「自己責任」や「個人を取り巻く環境への帰責性」が出てくるので、そこまでの手は打たない。もっと言えば「共助」など周辺の人々が精神的な部分や雇用に関して行い、法的強制力などは使わないということになる。しかし、ヨーロッパなどの多民族国家では、そのようなことはお構いなしに、一気にここで政府がイニシアティブをとり、そのうえで、多くの民族を国が制御するということが行われることになる。。

 今回は、そのような政策に関して是非を問う場所ではないので、その政策に関してはこのへんにして、結局コロナウイルスで最も犠牲になるのは「経済」ということになる。特に、日本を含め世界経済はグローバルサプライチェーンによって成り立っているということになるから、「経済の復興」というのは、そのまま全世界全ての国でのコロナウイルス克服と経済的な復興がなければ、日本一国だけの経済復興は成り立たないということになるのである。

 日本においては、奇跡的にといってよいのかどうかは不明だが、コロナウイルスの新規感染者は低く抑えられており、病院もまた、少なくとも国内の消費市場においては徐々にコロナ前の状況に戻してきているということになる。しかし、一方で原油高(ガソリンや灯油の値上がり)やそれに伴う「原材料費及び原料費の値上がりによる小麦粉や卵、魚などの値上がり(温室燃料費や輸送費などの値上がりおよび環境の変動による不作など)」または、半導体や液晶などの不足による様々な商品の品薄(ガス湯沸かし器や自動車、エアコンなど)などを経験しており、消費の回復とっても必ずしもすべてが戻っているわけではない。

 このような中で、現在は「オミクロン株」というようなことが大きく影響が出てきています。WHOは、コロナウイルスに関して、その変異種を地名などによって名前を付けることは国の差別につながってしまうということから、ギリシア数字を当てることにし、今回15番目(13と14を抜かしているので実質的に変異の13番目)となっています。今まではデルタ株が猛威を振るっていましたが、今年の12月からオミクロン株について警戒が強まっているという段階になってきているのである。

 日本では昨年年末にオミクロン株の感染者が数百名になり、そのことから徐々に「増加傾向」になってきている。ヨーロッパなどでは「今までで最多」などというようなニュースが出てきていることから、日本も今後オミクロン株の流行が今後来ることになるのであろう。まあ、2月の北京オリンピック後に緊急事態宣言になると考えられる。まあ、これは一つ目の予想になるが、基本的には、「緊急事態宣言になる」ということは、経済も政治も停滞するということになるのであるから、あまり面白い状態ではない。日本の場合は、緊急事態宣言といえども強制的なことにはならない。また、小池都知事や尾身会長が出てきて、様座奈々ことを言うのであろうが、まあそれに従う人はどれくらいいるのであろうか。

 オミクロン株に関しては、まだわからないあが「毒性が低い」ということが一般化すれば、それほど多くの経済的な被害はないものと思うが、逆にそのことで警戒が解かれることから、新規の変異株の大流行を招くということが出てくると思われる。日本の場合は「緊急事態宣言」解除後も実際にマスクを外す人は少ないが、外国の場合、少なくともニュース報道の画面を見ている限りにおいては、カフェで酒を飲みながらほとんどの人がマスクを外してしまっているということになり、そのことで日本よりも感染を引き起こしやすい。これは、北京オリンピックでも同じ状況になる。つまり、北京オリンピックに、無症状のオミクロン感染者が多く集まり、それが、各国に広めるでだけではなく、そのことで感染者が増え、また新たな変異株が生まれることになる。

 さて、オミクロン株の警戒感から、また産業が停滞すると読んだ投資家が多いらしく、原油の相場が下がってくる。相場というのは、需要と供給のバランスということになるので、当然に、今後オミクロン株によって需要が少なくなる予想になれば、相場は下がってくるということになる。その間に、ワクチンのアフリカや中東などに対する供給ができ、世界各国で予防的措置ができるようになればよいですが、「3回目」「4回目」というようなワクチンの接種をWHOなどが提唱し始めれば、そちらに優先されてしまい、発展途上国におけるワクチン接種率は低いままになり、そのままグローバルサプライチェーンが崩壊してしまうということになりかねない。

 そのようにならないためには、「医療の充実」と「治療法の確立」ということになる。医療が余裕があるところになるが、それは、人口過密の場所に医療が集中するということになり、「精神的な余裕」をどれくらい持つことができるのかということになってくる。そのような余裕があるところが、うまくバランスが取れることになり、経済と医療のバランスが取れ、そのことによって経済格差が生まれることになる。これは、コロナウイルスによって貧富の格差がより一層広がるということになるのである。 

 いずれにせよ「コロナウイルス禍」はもう少し継続するということになる。これは「治療方法が確立するまで」ということになり、そのために、実業で働くことが少なくなり、また飲みに行くなどの時間が無くなってしまうことから、投資などの副業が徐々にクローズアップされることになると思われる。

 はやく、治療法などが確立しなければこのまままた一年が無駄になるということになるのではないか。