ふたこ放牧タイムの話2 〜 一緒にいるときにスマホいじってほしい
よくね、一緒にいるのにスマホの画面ばかり見ているなんて変だとか、けしからん、という意見を耳にします。僕は今はっきり、それは害ある偏見だと確信しています。少なくとも僕にとっては。
僕は基本一人きりの時じゃなきゃリラックスできない体質で、それはもう変わらないことだと思い込んでたけれど、そうでもないかもということで「放牧タイム」導入してみたという話を前回書きました。
https://futakowataru.amebaownd.com/posts/2901137
僕が「放牧タイム」と呼んでいるものは、物理的に一人になる時間ではありません。そうじゃない。
物理的に離れて一人になる時間だったら、これまでどおりなので僕の成長や癒しにつながらない。
今パートナーと取り組んでるのは、物理的に一緒にいる。
一緒にいるけれど、彼女には注意を向けなくていい。
一緒にいるけれど、放っておいてもらえる。
そういう時間なんです。
あくまで物理的には同じ部屋にいたり、すぐ隣にいたりする。そこがミソ。
そういう時間を持ってみたときに感じたことが、すごく面白かった。
先日の放牧タイムの様子。
ソファに一緒に座って手もつないでて、「今から10分、放牧タイムね」という共通認識を持って始めました。
彼女はせっせとiPhoneの画面に集中して、僕には全然注意を向けず、僕が動いても手を離してもなにしても、一切意に介さずにいました。少なくとも行動とか注意の向け方では、僕にそれを感じさせなかった。
これは僕にとっては息を吸うくらい普通のことですが、彼女にはものすごく不慣れなことなんです。それをかなり真剣にやってくれたのね。
iPhoneの画面に集中してなにやら作業をしていて、僕は彼女の左手をまた取ったり、ちょっと肩を寄せてくっついてみたりして、また離れて、みたいにきままに過ごしながら、自分のことを観察していました。
そしたらわずか数分で泣きそうな気持ちになってきたんですよ。
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そのときに僕が感じていたのは、「ありのままの僕の存在の尊重」みたいなこと。
なにかをすることなく、ただ自由に僕のままで在りながら、彼女に愛されている。
そういう感覚が、じわ〜〜っと広がってきました。
信頼と尊重による安心感。
友人との間ではこういう感覚を味わうことはあるけれど、パートナーとか家族とか身近な存在だととくに味わえない。
彼女は、ただそこにいた。
僕も、ただそこにいた。
それだからこそ感じられる、深く受容されている、つながりの感覚。
彼女はiPhoneをいじっていて、でもここにいる。そのことに僕は、とても安心したの。奇跡が起こった、と感じるくらいに。
だからもしかしたらこれまでで一番彼女の愛を感じることができたかもしれません。そして自分の意識で届かないくらい深いところにある僕のスイッチ、つまり傷が、癒えていくのが感じられました。
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10分じゃ短くて何にもならないかなと思った設定だったのですが、僕は7分くらいですっかり急速充電し終わって、この発見を彼女に話したくて仕方なくなっちゃいました。
彼女もこの意味の大きさをよくわかってくれていて、一緒に静かに喜んでくれて、それもとても嬉しかった。
一緒にいるのにスマホの画面ばかり見ているなんて変だとか、けしからん、という意見を、僕はなんとなく、「そうだよな〜」って思っちゃってたけど、そこ、同意しちゃいけないところだった。
僕らのつながりの感覚が、一つ進化したエピソードでした。
写真はそのときに食べてたティラミス(笑)