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乗り初め(柳津町「福満虚空藏菩薩 圓藏寺」初詣) 2022年 冬

2022.01.03 09:59

2022年、今年最初のJR只見線の列車旅は、柳津町にある「福満虚空藏菩薩 霊巌山 圓藏寺」で初詣をした。

 

「霊巌山 圓蔵寺」は、807(大同2)年に法相宗の徳一上人によって開基されたと言われ、現在は臨済宗妙心寺派に属している。本尊の「福満虚空藏菩薩」は空海(弘法大師)によって刻まれ、「日本三所之虚空藏菩薩」の中で当地の菩薩は“日本三所之随一として霊験の顕著なこと他に比なし”とされている。

【日本三所の虚空藏菩薩】
能満虚空藏菩薩 千光山 清澄寺 (千葉県鴨川市清澄)
大満虚空藏菩薩 村松山 日髙寺 (茨城県那珂郡東海村)
福満虚空藏菩薩 霊巌山 圓藏寺 (福島県河沼郡柳津町)

 

「新編會津風土記」(1809(文化6)年編纂完了)の牛澤組 柳津村の項に、「虚空藏堂」と「圓藏寺」の記述がある。

〇寺院 〇虚空藏堂
村東岸上にあり、八間一尺四面、高五丈餘、西南に向ふ、庇緣勾欄ありて西南に舞臺を構へ數仭の石壁に臨めり、只見の長流其下を過ぎ、山色明媚にして、怪巖畫くが如く無雙の靈場なり、大同二年德一の創立とも云ひ、叉慈覚の創立とも云(或る説には弘仁三年の建立と云) 本尊を福滿虚空藏と云、長一尺八寸、空海の作にて安房國清澄と常陸國村松と、當山の靈像を併て一木三體の作とす、叉外に賓頭蘆の坐像を安ず、長一尺三寸、これも空海の作にて靈驗いちじるし、東の入口に香集界と題せる額あり、筆者知らず、西に菊光堂と扁する額あり、林道榮が筆なり、叉鰐口一口を掛く、奉掛鰐口諸願成就皆令滿足之所也、仍檀那細越村猪俣美濃守吉種、于時天正十五年丁亥十月七日、大工藤原氏早山彦八郎定繼と彫附あり、(今の鰐口は天明の頃改鑄たりと云) 此堂は昔は河畔にありしを、元和三年に水災を避けて此に移せり、(本願は蒲生忠郷の母堂なり 國歳寺の條と照見るべし)  △二王門 麓より巖を鑿し石階とす、四十七級を登り二王門に入る、二王門四間餘に二間半、南に向ふ左右に力士あり、一軀は運慶の作、一軀は作者を知らず、吹雲關と云額あり、叉七十五級を登り本堂の前に至る  △鐘樓 本堂より辰巳の方にあり、二間半に二間、鐘徑三尺六寸、大日本國會津縣太守大檀那藤原朝臣羽柴飛騨守秀行公奉鑄大鎮柳津靈巖山圓藏寺文庵叟叔結緣助成同利益(願主見正)、冶工早山掃部助定次惟時慶長十一丙午年十月十三日と銘あり

△別當圓藏寺 境内東西五十二間 南北二十三間免除地
虚空藏堂の東山腰にあり、靈巖山と號す、大同二年本堂と共に此寺を建立す、法相宗なりしが、至德年中に徳一の裔孫義乗靈夢の感ありて郭内興德寺第三世大圭に嗣法し、臨済宗となる、葦名の時既に許多の寺産あり、因て天正十八年豊臣太閤此地に下向し給ひしとき、秀次より寺料二百石の寄附あり、其後蒲生加藤兩家の時寺料の如し當家封に就に至て、二百石の地を附し堂料とせり、慶長十六年故ありて蒲生家より臨済の住職を停め、府下眞言の僧四員に命じて輪番に寺務を掌らしめき、其年地震暴水ありて屋宇漂流し、此寺も災に罹り多く經巻什寶を失へり、其翌十七年の春叉大地震ありて寺の後山崩れ僧房を破り、看寺の僧二人を壓殺し、禪僧一人其傍にありて恙なかりしかば、里俗其祟なるべしと驚怖せり、其後大坂の役起りしとき、蒲生忠郷の母堂は東照宮の姫君なれば、本堂に祈願ありしに大坂の事畢て後其報賽のためとて殿宇再興あり、叉江戸に朝し、白書院にて謁見することを許される、寛永四年に臨済に復し興德寺の末山となる、此寺もとは山下にありしが、屢囘祿に罹り、安政五年此に移せり、虚空藏の靈場なれば輪奐の美舊の如く、今に至るまで五年に一度江戸に出て歳首を賀し、殿上に謁見す

*出処:新編會津風土記 巻之九十三「陸奥國河沼郡之六 牛澤組 柳津村」(国立国会図書館デジタルライブラリ「大日本地誌体系 第33巻」p275-278 URL:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1179220)

 

 

また、「虚空藏菩薩」は丑歳・寅歳生まれの守り本尊と言われ、丑年の昨年から寅年の今年末まで(2021年1月1日~2022年12月31日)、柳津町では「丑寅まつり」期間となっている。

 

さらに、「福満虚空藏菩薩 霊巌山 圓藏寺」は、今や福島県を象徴するキャラクターとなった“赤べこ”発祥の地とされている。

1611(慶長16)に発生した会津地震で圓蔵寺が倒壊し、再建の地を現在の大岩の上にした。建材となる木材は只見川を利用し、上流から運ばれてきたが、河岸から大岩に引き上げるのに難儀。そこに、“赤毛の牛”の群れが現れ、運搬を手伝った事で圓蔵寺が再建されたという。この“赤毛の牛”を感謝と親しみをこめて“赤べこ(牛)”と呼ぶようになったという。*参考:柳津観光協会「疫病終息祈願 赤べこ伝説

 

 

今年最初の只見線乗車は、この沿線随一の名刹「福満虚空藏菩薩 霊巌山 圓藏寺」を目的地にして、初詣をすることにした。会津地方、特に只見線沿線の年末から続く大雪が心配だったが、柳津町付近は大丈夫だろう、と現地に向かった。

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線(会津川口~只見間)復旧工事の完了時期について」(PDF)(2020年8月26日)/「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の冬

 

 


 

 

昨日(1月2日)、富岡町を出て柳津町に移動した。富岡から常磐線の列車に乗り込み、広野を出て夕筋海岸で太平洋から昇る朝陽を眺めた。私にとっての“初日の出”だった。 

 

いわきで磐越東線、郡山で磐越西線に乗り換え、会津若松に到着。

 

昼食を駅前の「ラーメン金ちゃん」で摂った。今年最初の一杯は、ネギラーメン。刻みチャーシューが入った少し辛めのネギは、シャキシャキ食感がたまらなく旨い。

  

 

 

「ラーメン金ちゃん」を後にして、会津若松駅舎に入り只見線のホームに向かう。北側にある車庫を見ると、山形県境の大峠に連なる山々を背景にキハE120形が待機していた。

 

列車が入線してから席を確保した後、再び連絡橋に上り、磐越西線下りのGV-E400系と並ぶ、これから乗る只見線の列車を見下ろした。

 

北東に見える会津百名山18座「磐梯山」(1,816.2m)は、麓から山頂に向かって徐々に白さを増し、青空にくっきりと浮んでいた。

13:09、会津川口行きのキハE120形2両編成が会津若松を出発。車内は、大きな荷物を抱えた客を中心に賑わっていた。

只見線は大晦日から元日にかけての大雪で、今日も始発から運休していたため、この列車が“始発”となっていた。今冬は寒波の影響で会津地方の降雪が多く只見線も影響を受け、年末年始に運休が頻発している。明日から日本海側を中心に大雪の可能性、と言われていたが、この青空を見たせいで、この時点で自分がその影響を受けるとは思っていなかった。

 

  

列車は七日町西若松を経て大川(阿賀川)を渡る。上流側を見ると、会津百名山36座「大戸岳」(1,415.9m)も青空の下、どっしりとした山塊を現していた。今年、この山に登りたいと思っている。

 

 

列車は会津平野を進む。会津本郷を出発直後に会津美里町に入り、会津高田を経て“右大カーブ”で進路を真北に変えた。前方に見える飯豊連峰は、雲に覆われ山容は見えなかった。*参考:福島県観光交流課「ふくしま30座 飯豊山」URL:https://www.tif.ne.jp/yamafuku/mt30/18.html

 

カーブを抜け東に目を向けると、雪に覆われた田園越しに「磐梯山」が見えた。

列車は根岸新鶴を経て会津坂下町に入り、若宮、そして会津坂下に停車。

 


会津坂下を出ると、“七折越え”に入る。列車はディーゼルエンジンを一旦休ませた後、一気に出力を上げ七折峠に向かった。

 

塔寺手前で木々の間から、会津坂下町の市街地を見下ろした。優しい冬の景色が広がっていた。

 

 

 

 

14:05、会津坂本を出た列車は柳津町に入り、まもなく会津柳津に到着。静かな無人駅に降りた。 

 

駅舎を抜け、南に延びる坂を下ると、柳津温泉スキー場跡が綺麗に見えた。私は、駅チカのこの施設跡地をキャンプ場にして欲しいと思っている。

 

 

道は「福満虚空藏菩薩 圓藏寺」に初詣に向かう車で、混雑していた。まもなく、前方に行列が見えた。仮店舗で営業を始めた小池菓子舗に、「あわまんじゅう」を求める客だった。

私は粒あんが好きなので、この先のいなば屋菓子店で「あわまんじゅう」と、大栗まんじゅうをバラで購入した。

 

  


寄り道しながら、途中の圧雪された階段をゆっくりと上り、50分ほどで本日の宿「つきみが丘町民センター」に到着。日帰り温泉利用で度々お世話になっているが、宿泊は今回は初めてだ。1976(昭和51)年にオープンした施設だが高台にあることから、浴室からの眺めが良く、食堂の料理も旨い。

 

受付で、検温などの手続きをして、客室へ。1階の部屋だったが、窓からは正面にダム湖となった只見川とそれを取り囲む山々や家々が見え、良い眺望だった。

 

ほぼ正面には会津百名山86座「飯谷山」(783m)がそびえ、山容が只見川の水面に映り込んでいた。

 

 

ゆっくりと湯に浸かってから、18時30分に食堂に移動し、夕食を摂った。メインが天ぷらと鍋だった。天ぷらはカラッと揚げられ、鮭や白身魚のすり身が入った鍋の出汁は絶妙で、旨かった。

 

紅白かまぼこ、黒豆、ニシンの昆布巻き等が載った皿があり、正月気分も味わわせていただいた。

   

  


  

  

  

今朝、起きると、昨夜雪が降っていたようで、風景の白さが増していた。ただ、上空にはうっすらと青い部分も見えていた。この天気ならば、只見線の運休は無いと思った。

 

朝食前に散歩に出かけた。国道252号線に出て、真っ赤な瑞光寺橋(ニールセンローゼ橋)に向かった。

 

橋の中ほどに進み、「福満虚空藏菩薩 霊巌山 圓藏寺」の全景を眺めた。雲が朝陽でほんのりと曙色に染まり、良い景観だった。

 

 

宿に戻り、朝食を頂いた。重箱に入った小鉢は、それぞれ特徴があり旨かった。何より、白飯の香り、味、食感に幸せな気持ちになった。やはり、会津の米は旨い!

 

食後、少し休んで、温泉に浸かった。朝の掃除(8時~9時)が終わった直後に、“一番風呂”をいただいた。春は眼前の桜の並木が美しいが、雪景色に映える瑞光寺橋の赤と、吸い込まれそうな只見川の青緑も美しく、癒された。

柳津町「つきみが丘町民センター」温泉の主な特徴
・源泉名:新柳の湯
・泉質:ナトリウム・カルシウムー塩化物温泉(等張性弱アルカリ性高温泉) 
・泉温:56.3℃ (pH7.8)

 

 

入浴を終え、スマートフォンでJR東日本の運行情報を見ると、なんと只見線は始発から運休で、下り列車の運行開始は会津川口発15時29分、という事だった。今日中に富岡まで戻る必要がある私は、どうやって帰宅するか考えた。

結果、

①「福満虚空藏菩薩 霊巌山 圓藏寺」に初詣後、タクシーで会津坂下町(坂下厚生病院)に向かう

②坂下厚生病院バス停から、路線バスで会津若松駅前にある若松駅前バスターミナルバス停に向かう

③会津若松からJRを乗り継いで、富岡に帰る

という方法を採る事にした。


 

チェックアウトとなる10時に「つきみが丘町民センター」を出た。想像以上に素晴らしい宿だった。

会津柳津駅から徒歩圏で、何より高台からの眺望は町内随一だ。只見線の旅で、多くの方に利用してもらいたい、と心から思った。


 

 

 

「つきみが丘町民センター」から雪が積もった階段を慎重に下り、初詣に向かった。途中、きよひめ公園前の駐車場から、瑞光寺橋と同じ真っ赤な柳津橋(ニールセンローゼ橋)を眺めた。

 

そして右側、只見川の右岸を見上げると、巌上に建つ「福満虚空藏菩薩 霊巌山 圓藏寺」が見えた。

 

県道255号(会津柳津停車場)線を進み、表門である仁王門(南山門)に向かう石段前に到着。除雪された石段を、ゆっくりと上った。

 

境内に到着。本堂のみならず鐘楼にも五色幕が巻かれ、雪景色に映えていた。

 

この鐘楼から奥之院弁天堂(国指定重要文化財)に続く“歴史の散歩道”は、雪に埋もれていた。

 

 

鐘楼と本堂の間には、「福満虚空藏菩薩 霊巌山 圓藏寺」に縁深い“牛”が二匹横になっている。新旧の「開運撫牛」で、手前の石像では頭を地面につけリラックスしているように見えた。

 

もう一方、本堂に近いのが金属製で、頭を上げ『何だぁ』をいう表情をして、撫でられた部位の塗装が剥げ、黄金色になっていた。

   


手水舎で清め、本堂である菊光堂(総欅造)に向かう。参拝者が次から次にやってきたが、朝早いためか、混雑というほどではなかった。

本堂の中に入り、少し進んで列に並んだ。3組が詣でた後に自分の番となり、賽銭箱に硬貨を投げ入れ、合掌。新型コロナウイルス禍の終息と、家族、福島県、国家の安寧を願った。


「福満虚空藏菩薩 霊巌山 圓藏寺」は、織田信長や豊臣秀吉が代参したのみならず、徳川宗家の永代祈願所になっていたという事で、本堂の中には、徳川家の家紋である葵の御紋が飾られていた。また、この本堂(菊光堂)は1818(文政元)年に全山焼失したが、徳川一門である会津藩主松平家の支援により1830年(文政13)年に再建されたという。

   

 

初詣を終え、本堂の西側に張り出た舞台に移動した。只見川を取り囲む景色を見下ろせる場所だが、積雪の影響か、ロープが張られ欄干まで進めず、瑞光寺橋が見られるだけだった。

  

 

 

 

「福満虚空藏菩薩 霊巌山 圓藏寺」を後にする。帰りは裏門となる北山門から出た。

 

「福満虚空藏菩薩 霊巌山 圓藏寺」の本堂では、正月7日に「七日堂裸詣り」が行われる。今年も、新型コロナウィルス対策を行い、実施されるという。

来年は土曜日の開催で、新型コロナウィルスの感染状況が落ち着いているのであれば見学し、いずれは下帯一つで参加したいと思う。*参考:柳津町観光協会「奇祭 七日堂裸詣り」  

 

10:33、「福満虚空藏菩薩 霊巌山 圓藏寺」に初詣後、タクシーを呼んだ。初詣に時間をかけてしまったようで、坂下厚生病院バス停の路線バス発車時刻(10時57分)まで間に合うか微妙だった。

 

 

 

道(国道252号線、国道49号線)はよく除雪され順調にタクシーは進んだが、坂下厚生病院に到着すると、路線バスが目の前を通り過ぎ行ってしまった。次の路線バスまでは1時間30分ほど空くので、昼食を摂る事にした。

   

雪が積もり、圧雪された国道49号線の歩道を1.6km歩き、桜肉・馬刺しの有名店「堀商店/坂下ドライブイン」に到着。昼前ということで店内はすいていて、すぐに席に着く事ができた。注文したのは桜焼肉定食。淡泊で柔らかい桜肉に、濃厚なタレがからみ旨かった。

 

 

 

食後、「堀商店/坂下ドライブイン」から一番近いバス停・喜多方街道入口から路線バスに乗った。

  

ほぼ定刻通りに若松駅前バスターミナルに到着し、100mも離れていない会津若松駅に向かった。

13:26、磐越西線の列車が会津若松を出発。車内は帰省客を思われる方で。ほぼ満席だった。


 

 

 

17:28、郡山で磐越東線、いわきで常磐線に乗り換え、無事に富岡に到着。浜通りというこで雪は無く、会津地方に比べ気温も高かった。

 

2022年初めての只見線の旅が終わった。

今秋、只見線は全線再開通することになり、国内外から注目を浴びるはずだ。私は今年も可能な限り只見線を走る列車に乗り、“観光鉄道「山の只見線」”の山岳アクティビティのコンテンツや、途中下車して訪ねてみたいと思えるような場所を探りたいと思う。

 

 

最後に、今回の旅で思った事。

只見線に乗り始めて、初めて“雪害”による運休を経験した。道路の除雪が行き届き、車が何事も無く往来している中、只見線が15時以降の運行再開という事態に遭遇し、只見線がここまで住民利用を減らした理由の一端と、福島県を中心とする沿線自治体が、只見線を生活利用ではなく観光利用促進に転換した決断の背景を知ったような気がした。

しかし、2022年秋の全線再開通に向けて、“観光鉄道「山の只見線」”として観光利用に舵を切った只見線は、“雪は大きな観光資源”という事を関係者が共有しなければならないと思う。


現状、タクシー以外の代替交通が無い奥会津(柳津町、三島町、金山町、只見町、昭和村)では、只見線が終日運休となってしまっては、予定が大幅に狂ったり、移動のための余計な支出が発生するなど観光客の負担が大きく、雪を観光資源として活かすには環境にはなっていない。

確かに、雪は災害を引き起こし人命を脅かすものでもあるが、“雪の観光資源化”に向けた工夫の余地はあるのではないだろう。

案①:運休が会津坂下~会津川口(全線再開後は会津坂下~只見や会津坂下~大白川など)となっているが、降雪量によって現在運休の起点となっている会津坂下を、会津宮下や会津川口まで延ばせるようにする
案②:雪崩発生箇所を精査し、現状の防護柵では十分でない場所を増強したり、雪崩が発生しないような法面の形状を変化させる

などの方法を私は考えている。只見線の一部(会津川口~只見間27.6km)を上下分離で保有することになり、現在「只見線の利活用」を進める福島県を中心とする沿線自治体は、JR東日本と“雪の観光資源化”に向けた方法論やコストの負担法を協議して欲しい、と今回の旅で思った。



(了)



・  ・  ・  ・  ・

*参考:

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室:「只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(令和2年3月)(PDF)

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/


②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。


以上、宜しくお願い申し上げます。