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信長の野望・創造・PK・プレイレポート・最上家・41(白寿丸)

2017.10.14 00:00

俺は殿の子。

白寿丸は何度もその言葉を繰り返しながら、徳山館に向かった。

俺は顔が醜い。

鏡というものをもらって自分の顔を見た時は、男なのに悲しい気持ちになった。

だが父はそんな俺を笑って、頭をなでてくれた。

俺は父の子だ。

だが父は俺に言った。

俺は、殿の子。


俺は殿の顔は何度か見ている。

顔立ちの整った公家のような人だ。

似ても似つかぬ。

今こうして、目の前で見ても、俺とは違い過ぎる。


永禄3年4月。

徳山館では義守と白寿丸の対面が行われていた。

「お主ならどうやって朝廷に金を届ける。」

白寿丸は阿呆のように口を開けて、義守の顔を見ていた。

「どうやって届けると聞いているのだ!」

義守の声色が強くなってようやく、白寿丸は目を閉じて答えた。


「北条に頼みます。」

「北条から尾張の織田に行きます。」

「北条は伊達が最上を飲み込むことを歓迎など致しませぬ。必ず協力致します。」

「その先は尾張から陸路で京に運びます。北条に織田への伝手を頼みます。」

「織田信長という男は京に最も近い大名です。天下を狙っております。織田の金を京に運ぶと伝えれば、手を貸してくれます。」

「朝廷には織田の金でなく、最上の金であることは伝えます。出所がなくなれば困るのは朝廷です。必ず停戦調停させます。」


白寿丸があまりにスラスラと答えるものだから、義守はそれは誰の入れ知恵かと聞かずにはいられなかった。

白寿丸は素直に答えてにっこりした。

「氏家守棟殿です。」

その醜い顔が、にっこりと笑うと何とも別の顔になることを、義守は見逃さなかった。

こやつ・・・良い顔をする。


この日、義守はただちに氏家守棟に金の輸送の段取りを指示し、白寿丸を京に送り込むことを決めた。






永禄3年4月。

伊達家は2万を超える大軍勢で、最上領へ侵入した。


永禄3年4月、松平・織田連合軍は総勢1万の兵で、今川家の長篠城へ侵攻した。

今川家は5千ほどの兵でこれを迎え撃った。



永禄3年4月。

大内家は天野隆重隊を先陣に総勢3500で、大友家の小倉城へ攻め込んだ。

大友家は島津家の岡城侵攻に救援を出していたため、城主・伊東義佑は1500ほどの兵で応戦するしかなかった。

岡城では、島津貴久隊と城井鎮房隊が戦闘を開始していた。

また隈本城では、再び島津家の侵攻が始まっていて、赤池長任隊は背後から、救援に来ていた竜造寺隆信隊を強襲した。



永禄3年4月。

伊達の軍勢がまだ押し寄せぬその時に、山形城ではかつてない賑わいを見せていた。

農業区画が新しく整備され、城下町は活気に沸いた。

その様子を見た池田盛周は、義守にその様子を書状にしたためた。

池田盛周:城下町が広がりましたな。

    :これでまた城下が豊かになれば、新しい民も集まるでしょう。

    :さすればさらに城下町を広げることが出来ます。

最上義守:それを繰り返し、果てなき城下町を作る。

池田盛周:我らの城下町を、我らの土地を、どこまでも広げていきましょう。


戦国伝 『城下町を広げよう』 達成

永禄3年4月、天童頼長隊は茂別館に総攻めの強襲を行った。

しかし徳山館を攻略した天童頼長隊の兵は1100しか残っておらず、この戦いの後に山形城救援に行くことは不可能だった。

この月のうちに茂別館は落城し、当主・蠣崎季広は最上家の軍門に下り、蠣崎家は滅亡した。



永禄3年4月。

山形城の南方で、伊達家と最上家の戦が始まった。

伊達家の先陣は蘆名盛氏隊総勢5200が、最上家の安東愛季隊総勢4100に襲い掛かった。


永禄3年4月。

伊達家の出撃はさらに続いた。

名生城を攻略した鬼庭左月斎隊が帰還後再び出撃し、天童城に向かっているというのだ。

最上家は各城を防衛する戦力などはもはやなかったために、山形城に兵を集めた。


永禄3年4月。

伊達家との戦を引き起こし、敗走していた九戸政実隊だったが、奇跡的にも彼らは胆沢城に帰還した。

捕縛されていた大崎家の家臣団は、すべて最上家に降った。

宗主国であった伊達家が大崎家を見殺しにした後、名生城を奪還した事実を目の当たりにしたからだった。


永禄3年4月。

山形城より出撃した安東愛季隊はついに天童城への撤退を決意した。

圧倒的な伊達家の兵力の前に、最上家はなすすべがなかった。

永禄3年5月。

義守は繁栄する山形城の様子を書状にしたためて報告した池田盛周を気に入り、徳山館に呼び寄せた。

そして徳山館の修復を命じた。

池田盛周には、それが伊達家との戦になっている今やるべき事とは思えなかったが、指示には従った。

義守は義守なりに、蝦夷地の支配体制を確立しようという意志を示したつもりだったが、この話は家臣たちの不興をかった。

この話を聞いた茂別館に入城した兵士たちは、疲れをいやすことなく、一人また一人と山形城に向けて出立を始めた。


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