ヌーソロジーから見たカタカムナ
半田広宣さんが、ヌーソロジー的視点で、カタカムナをかたっています。
ヌーソロジーは、科学、哲学、芸術、宗教、スピリチュアルなどあらゆるジャンルの垣根を越えて、人類の精神活動を語っている思考ロジックの解説です。
人類の進化を予言しています。
素粒子という存在にきづいてしまった人類は、自分の精神も物質であると認識する様になるでしょう。
空間、時間も物質であるとかたるカタカムナにも通じるかんがえです。
冥王星のオコツトから降りてきたメッセージを、何年もかけて自身が探求していった、という点も、楢崎皐月がカタカムナの解読に生涯を捧げたストーリーに似てますね。
空間が精神として開いてくると、物質は精神の対化における等化の運動のようなものに見えてきます。物側が自己と他者の持続空間を巻き込むようにして等化の運動を行なっているということです。巻き込み側の対化が原子核で、繰り広げ側の対化が電子殻です。両者は球精神と精神球として反転しています。
精神の対化の等化の進展が直線的に累積されているのが原子です。中和側に展開されているのが分子です。中和は精神を常に元の位置に戻す働きをしていて、そこで最初の等化作用と接続し精神の方向性を調整します。その原基となっているのがH20としての水です。酸素O→中和、H2→最初の等化における対化。
精神の方向性は水分子のH+とOH-への電離として現れ、調整されているとOCOT情報は言います。H+は精神が他者化し、方向性を失ったものの反映です。その意味で、水は人間の意識次元を凝縮化させたものと言えるかもしれません。付帯質の外面と内面の方向の調整のすべてを水が担っているとも言えそうです。
精神の方向性は水分子のH+とOH-への電離として現れ、調整されているとOCOT情報は言います。H+は精神が他者化し、方向性を失ったものの反映です。その意味で、水は人間の意識次元を凝縮化させたものと言えるかもしれません。付帯質の外面と内面の方向の調整のすべてを水が担っているとも言えそうです。
その意味で「水=H20」は「脈質」と呼ばれていて、OCOTたちの世界では存在の永遠性の象徴として特別視されているようなところがあります。
科学的世界観では万物の始原は素粒子とされていますが、真実はおそらく、原子次元(ヒト)から逸脱した意識(人間)を元の場所へと呼び戻そうとするヒトによる変換性によって生じているフィードバック機構のように思えます。逸脱が付帯質の外面を作り、呼び戻しが付帯質の内面への方向性を作っている。
ハイデガーの言葉を借りるなら、素粒子について思考することは、自己を呼び戻す存在からの良心の声に聴き従うことと言えるのかもしれません。少し宗教的ではあるけれど、そのイメージで観察子の思考を進めるといいと思います。
僕も何が分かっているというわけではありません。「顕在化の観察子がそのまま原子となっている」というOCOT情報を鵜呑みにして、御託を並べているようなものです。このあたりの裏どりは素粒子のカタチが見えてからの後の作業ですね。まだまだ先です。
万物の始原は水か………。ありえるかもね。水の神というと、どうしてもドゴン神話のノンモを思い出す。グリオールの『青い狐』に90年代後半に出会い、OCOT情報を解読する上でかなりハマった。神アンマによる宇宙創造の概要があまりにもOCOT情報に似ていて仰天した記憶がある。
自他が互いの「前」の世界を尊重しあって、その両者間で無限の交換性を展開できているか、もしくは「後ろ」に重心を持って他者化してしまい、本来の交換性の世界からはじき出されるか。今の自他は後者の世界の中を彷徨っている。
数学はその両者の世界の違いを円と双曲線の違いとして映し出す。青と緑の双曲線が自他それぞれの時空の世界だと考えるといい。一方、円の方は物たちの世界を象徴している。物の外の世界にいる限り、自他は永遠に繋がることはできない。
ヌーソロジーはイデア論なのだけど、論としてイデアが語られるときは、トポロジーの図式として表現されるのが一番望ましいと考える。と言うのも、イデアは表象の世界とは真っ向から対立するものだからだ。図式は言語的なものでも知覚的なものでもない。OCOT情報がカタチを重要視する理由もそこにある。
彼らがいうカタチとは持続空間の幾何学のことであり、私たちが普通に形と呼ぶものとは全く違うものだ。大きさも体積もなく、時間にも全く影響されることのない絶対不変なものだ。そして、彼らはそのカタチが人間が素粒子や原子と呼んでいるものとして現象化していると言う。
永遠の空間の中で結晶化している正四面体とは何なのだろう?
正6面体とは?
正8面体とは?
正20面体とは?
正12面体とは?
OCOT情報はそれこそが人間の意識のカタチなのだと言う。
何と美しい考え方なのだろう。
そのビジョンに魅了されて、このカタチの知覚をずっと追い求めている。