ZIPANG-6 TOKIO 2020 我と来て 遊べや親の ない雀 「小林一茶と信濃町」
一茶が少年時代を思いおこしてつくった俳句
我と来て 遊べや親の ない雀 一茶
俳諧寺(一茶俤堂)
明治43(1910)年、地元の一茶を慕う人々によって建てられたもので、間口3間(5.4m)、奥行2間半(4.5m)、萱葺の小さなお堂です。一茶の俳号にちなんで、俳諧寺(はいかいじ)と呼ばれるようになりました。
昔の人たちは一茶にあやかって、句会を催したそうです。お堂の天井を見上げると、ここを訪ねた著名な俳人たちの作品が掲げられています。
信濃町について
長野県と新潟県の県境にある信濃町は、大きく4つのエリアに分かれています。
黒姫高原エリア
長野県らしい自然を満喫できる黒姫高原。秋に見ることのできる三段紅葉(山頂の雪、中腹の紅葉、裾野の草原)は見事。
夏はダリアとコスモス、冬はふかふかの天然雪100%のスノーパークで子どもから大人まで楽しめる人気エリア。
柏原・富士里エリア
江戸時代を代表する俳人小林一茶のふるさと柏原。
エリア内には数多くの句碑が点在しています。
一茶記念館、一茶旧宅(復元)があり、一茶の人物と歴史に迫ることができます。
甘いとうもろこしが有名な通称「もろこし街道」があるのはこのエリア。
タングラム斑尾エリア
リゾートエリアとして人気のタングラム斑尾。様々なアクティビティからゴルフ場や温泉施設も充実しており、一日中遊んで過ごせるエリア。
冬にはツリーランコースのあるタングラムスキーサーカスとしてバックカントリーでも人気のスキー場。
野尻湖エリア
アクティビティや観光が楽しめる野尻湖を中心に広がるエリア。
夏はカヤックやSUP、大型遊覧船のクルーズなどウォーターアクティビティが人気。
冬にはワカサギ釣りが解禁となり、湖面にいくつもの屋形船が浮かぶ姿は風物詩となっています。
北国街道巡り
古間宿 野尻宿 柏原宿
俳諧寺(一茶俤堂)
【古間宿】
短夜(みじかよ)を 古間の人の たくみ哉 一茶
古間宿は、鳥居川をはさんで隣接する柏原宿と合宿で、月後半の人馬の継ぎ立てを分担した。
古くから宿場を任され、1583年ころの越後上杉氏の文書があり、これら伝馬宿に関する文書十通二巻は信濃町指定文化財となっている。
当初の伝馬屋敷を「御免許屋敷」といい、35軒であったが、1810年(文化7年)には家数85軒・人数375人・馬36匹となった。
宿の中ほどにある本陣古家には、1868年(明治元年)戊辰戦争で通行した官軍方の関札が残されている。
1818年(文化15年)ころ信州鎌の元祖といわれる荒井津右衛門、小林重左衛門、荒井平右衛門が鍛造技術の向上に努め、その後熊坂村から移り住んだ佐藤要八らが古間鎌を発展させた。
古間の一茶門人には雪居と白飛がいて、一茶はたびたび訪れていた。
【野尻宿】
そば所(どこ)と 人はいふ也 赤蜻蛉 一茶
野尻宿は信州北端の宿場として重要な位置にあった。
仲町が役屋敷で、はじめは51軒であったが、1781年(天明元年)の絵図によると、役屋敷76軒のうち、間口六間以上の馬役32軒・五間以下の歩行役43軒で、13軒が旅籠屋を営んでいる。
野尻宿は俳句が盛んで多くの一茶門人がいた。
野尻仲町信号の西側に「明治天皇御膳水」の碑があるが、医師竹内又玄の井戸水を献上したものという。先代の迅碩が一茶の父弥五兵衛や、妻きくの診察をしている。
【柏原宿】
霞(かすむ)やら 雪の降(ふる)やら 古郷山 一茶
柏原宿は野尻と古間の間の宿場で、はじめに伝馬屋敷52軒分がつくられた。
町用水・松並木・宿場の出入口には土手が築かれ、東に飯山道、西に戸隠山道が分岐している。
村役人の家は間口が広く宿場の中心部にあるが、次第に屋敷の細分化が進み1822年(文政5年)には112軒になった。
晩年、ふるさとに帰った一茶は間口九間の家を弟と半分に分けて住んだが、1827年(文政10年)閏6月1日の大火により83軒、土蔵25軒が焼失し、一茶の家も類焼した。
一茶は焼け残った土蔵に移り住み、11月19日、65年の生涯を閉じた。
一茶記念館では、焼失前の文化文政期の柏原宿を復元している。
俳人小林一茶の生涯
一茶の句
小林一茶は、1763(宝暦13)年、長野県の北部、北国街道柏原宿(現信濃町)の農家に生まれ、本名を弥太郎と名乗りましたが、3歳のとき母がなくなり、8歳で新しい母をむかえます。
働き者の義母になじめなかった一茶は、15歳の春、江戸に奉公に出されました。奉公先を点々と替えながら、20歳を過ぎたころには、俳句の道をめざすようになりました。
一茶は、葛飾派三世の溝口素丸、二六庵小林竹阿、今日庵森田元夢らに師事して俳句を学びました。当初、い橋・菊明・亜堂ともなのりましたが、その後、一茶の俳号を用いるようになります。
29歳で、14年ぶりにふるさとに帰った一茶は、後に「寛政三年紀行」を書き残します。以降、30歳から36歳まで、関西・四国・九州の俳句修行の旅に明け暮れ、ここで知り合った俳人と交流した作品は、句集「たびしうゐ」「さらば笠」として出版しました。
一茶は、39歳のときふるさとに帰って父の看病をしております。父は、一茶と弟で田畑・家屋敷を半分ずつ分けるようにと遺言を残して、1か月ほどで亡くなってしまいました。このときの様子が、「父の終焉日記」にまとめられています。
それには、一茶がふるさとに永住する過程では、決して安穏とした日々を過ごしたわけではなく、10年以上にわたって、継母・弟との財産争いが続いていたのです。
一茶は、江戸蔵前の札差夏目成美の句会に入って指導をうける一方、房総の知人・門人を訪ねて俳句を指導し、生計を立てました。貧乏と隣り合わせの暮らしでしたが、俳人としての一茶の評価は高まっていきます。
50歳の冬、一茶はふるさとに帰りました。
是がまあ 終のすみかか 雪五尺 一茶
※50才で故郷永住を決意し、雪の故郷にたどりついてよんだ句です。
小丸山には、ほかにも一茶顕彰にかかわった人達の句碑が建っています。
借家住まいをして遺産交渉を重ね、翌年ようやく和解したのです。
52歳で、28歳のきくを妻に迎え、長男千太郎、長女さと、次男石太郎、三男金三郎と、次々に子どもが生まれましたが、いずれも幼くして亡くなり、妻きくも37歳の若さで亡くなってしまいました。
一茶はひとりぽっちになりましたが、再々婚し、一茶の没後、妻やをとの間に次女やたが生まれました。
家庭的にはめぐまれませんでしたが、北信濃の門人を訪ねて、俳句指導や出版活動を行い、句日記「七番日記」「八番日記」「文政句帖」、句文集「おらが春」などをあらわし、2万句にもおよぶ俳句を残しています。
1827(文政10)年閏6月1日、柏原宿の大半を焼く大火に遭遇し、母屋を失った一茶は、焼け残りの土蔵に移り住みましたが…この年の11月19日、65歳の生涯を閉じました。
一茶自筆扇面 うまさふな雪やふふはりふふはりと
上記以外のお楽しみ
〇(映像コーナー)「信濃の一茶さん」 一茶がめぐった北信濃とふるさとの四季。
〇一茶ものがたり(アニメ) 一茶さんの伝記をアニメーション。
〇俳句を楽しむ
クイズ・俳句すごろくなどのゲームに挑戦。
開館期間
3月20日~11月30日(通常営業)
休館日 5,6,9,10月末日(土・日に当たる場合は翌月曜日)、年末年始
※冬季営業/12月1日〜3月19日の間も、平日のみ見学可能
開館時間 午前9:00~午後5:00
入館料 おとな(高校生以上) 500円(450円) こども(小中学生) 300円(260円)
※( )内は20名以上の団体料金
※冬期間は半額(おとな250円・こども150円)
※障がい者手帳ご提示の方と、付添いの方1名まで半額
信濃町への交通アクセスは次回ご紹介します。
次回に続く・・・
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
協力(順不同・敬称略)
信州しなの町観光協会
〒389−1305 長野県上水内郡信濃町柏原2692−12 電話:026−255−3226
一茶記念館
〒389-1305 長野県上水内郡信濃町柏原2437-2 電話:026(255)3741
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
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