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空海とソロモン王の秘宝

2019.01.05 06:43

https://blog.goo.ne.jp/n_ishii517/e/a52e9ba5a56807faa0c52869b0bc0e2e 【空海とソロモン王の秘宝】より

 司馬遼太郎は氏の著「空海の風景」の中で「空海は日本史上並ぶものなき天才である。世界に目を広げてもあのルネッサンスのレオナルド・ダ・ビンチに並ぶかそれ以上の天才である」と述べている。

空海は四国・讃岐の国の豪族 佐伯氏の家に生まれた。天才空海は地方豪族の子弟としては異例の扱いで朝廷の大学で学んだ。その後大学を中退し、四国の山中に篭り、「虚空蔵求聞持法(この法を習得したものは全ての経典の文句を暗記、理解できるようになる)」、を習得した。その力であらゆる経典を読破したが、「大日経」を理解する事が出来ず、唐に渡って学ぶ以外に方法がないと決意し、遣唐使に私費留学生として加わった。この時同じ遣唐船に乗っていたのが国費留学生・最澄であった。

唐の国で遺憾なく天才振りを発揮し、2年で密教を修め、師・恵果和尚より「わが師、不空の再来である」と言われ第8代の宗祖として認められ「偏照金剛」と言う法号を得た。恵果の弟子たちは認められず、以後中国において密教は途絶えてしまう。この一事で空海の天才振りが証明される。帰国後、天台宗の最澄をしのぎ、時の嵯峨天皇から厚く迎えられ、高野山に金剛峰寺を開いた。その後も日本各地に数々の業績を残し、835年62歳で入廷(死ぬこと)した。死後87年経ったとき醍醐天皇が改めてその業績を認め、空海に弘法太子(大師では無い念のため)と言う尊称を与えた。長い日本の歴史の中で太子の称号を得たのは今一人、聖徳太子のみである。

空海について簡潔に説明したが、これから展開する話の中で大事なのは次の3点である。

一つは・・空海は四国・讃岐生まれで四国全土で修行した。

一つは・・唐に渡って修行した。

一つは・・嵯峨天皇と非常に親しかった。

この3点について順に説明する。

四国の古い豪族の出身であるということは、剣山・剣神社の「契約の箱・ソロモン王の秘宝」の言い伝えを聞いていた可能性があると想像できる。更に四国全土を回って修行する間にこの秘宝に関する噂を各地で耳にしたのではないかと思われる。言い換えると空海は四国が大和朝廷の故郷ではないかという結論に辿り着いたのではないだろうか。そしてソロモン王の秘宝が唐の国でどのように言われているのかを確認するためには唐に渡ることが必要と判断した。実際空海は密教の習得に入る前に、かなりの時間、景教に関わる人達と交流したと言う話が残っている。この間にソロモンの秘宝は日本の‘何処か’にあるという噂が唐の国でも囁かれている事を確認した。空海自身はその場所が‘四国であろう’と言う確信も強まったのだと思う。そして帰国後真言密教の宗祖として認められ、日本一の高僧となった空海は皇室との付き合いも深くなっていった。ある時師として又友達のように親しくなっていた嵯峨天皇にこれらの噂の真実について尋ねたのではないか。

先の章で「嵯峨天皇は空海に対し四国を封印するように指示した」、と言う話を引用した。私は天皇自身がこの秘密を自ら空海に話すことは無いと考えている。朝廷は完全に封印されていると思っていた秘密について空海から尋ねられ、秘密漏洩の危うさを感じた天皇が、噂がこれ以上広がらないように改めて‘四国全土を封印するよう’に命じたと想像するほうが自然に思える。

誰でもが知っている「いろは歌」は空海の作だと言う説と、そうでないという説があるが、私は天才空海でなくては出来ないと信じている。それは全ての‘てにおは’を一度きりしか使わないで詠むことは「大天才」で無ければ出来ない技と考えるからである。「いろはにほへと・・・・」。前回紹介した大杉氏はこの歌の中にも空海が後世に残したソロモンの秘宝に関する、謎解きのメッセージが示されていると言う。そのまま紹介する。「母なる国(四国)はその匂いがいっぱい残っているが、是でおしまいか。この世は無常である。さまざまな因縁によって生じた現象を、今日ようやく乗り越えて、これから浅い夢を見ず、酔いもせず、厳しい現実の中を生きてゆく」。どうだろう。空海の思いが伝わってくるような気がする。

今回は日本の誇る天才のお話をしてきたが、最後に近代が生んだ世界の天才アルバート・アインシュタインが戦前、日本を訪れたとき残したメッセージを紹介してアインシュタインが我々に何を語りたかったのかを考えたい。

アインシュタインはナチスの迫害を逃れ、アメリカに亡命したユダヤ人である。

「近代日本の発展ほど、世界を驚かしたものは無い。(中略)長い歴史を通して一系の天皇を戴いていると言うことが今日の日本をあらせしめたのである。(中略)最後の戦いに疲れるとき、人類は真の平和を求めて世界的盟主を挙げなければならない。それは武力や金力ではなく、あらゆる歴史を遥かに超えた、最も古く、最も尊い家柄でなくてはならない。世界の文化はアジアに始まり、アジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らなければならない。我々は感謝する。我々に日本という尊い国を造って置いてくれた事を」。

是を私はこう解釈する。

「アジアの西の果てヘブライ王国に始まった文化は、失われたイスラエルの支族が造った日本に帰らなければ成らない。我々イスラエル民族は感謝する。我々の同胞がここにこんな素晴らしい国を築いていてくれたことを!」


https://ameblo.jp/minami10kisei/entry-11542266520.html 【空海のしかけ 高野山の高僧は、密教が仏教の皮をかぶった「聖書」であることを知っている】より

<失われたアーク(聖櫃)>

 日本人の祖先をユダヤ人だとするのが「日猶同祖論」である。酒井勝軍が唱えたものだが、これを宇野正美が利用した。こちらのほうが有名である。遠い昔古代ユダヤ小王国が徳島にあり、剣山上に今も「モーゼの契約の聖櫃」があるという。

 その証拠はあるのだろうか。東祖谷村のキリストと読めないこともない「栗枝渡神社」があったり、天皇家の菊花紋と聖地のヘロデ門にある菊模様が同じであったり、こじ付けと言えなくもないが数は多い。

 「三国志」の魏書東夷伝に倭人条なる一文がある。邪馬台国や卑弥呼などが出てくる。これが「魏志倭人伝」なのだ。約2000文字にわたり3世紀前半の日 本が記されている。ところが、邪馬台国への道程記事が曖昧で、現在も邪馬台国の地が確定できない。吉野ヶ里遺跡発掘や三角縁神獣鏡の発見で、北部九州説と 畿内説が二大有力候補地だ。

 しかし水面下(?)では、これら以外にも多くの研究者がさまざまな説を唱えている。五島靖大による中国地方吉備説。木村政昭による沖縄説。鈴木正知による上総説等など。さらに内田吟風のインドネシア説など「邪馬台国比定地一覧」によると数は限りない。

 大杉博の「邪馬台国はまちがいなく四国にあった」(たま出版)による四国山上説もある。この大杉氏、1980年から高名な研究者たちに対して私信による 論争を挑んだ。その経過は「ドキュメント・邪馬台国論争」で公開している。相手は61名の研究者と3団体に及ぶが、「たちまち沈黙してしまわれる」とい う。それはもしかすると、あまりの奇説にただ無視されただけではないのか。実はこの大杉氏、例の宇野正美氏と出会う。そして、四国剣山の秘密にたどり着く のである。

 ハリソンフォードの映画「レイダース 失われたアーク」を覚えているだろう。そのアーク(契約の聖櫃)が、なんと日本の四国「剣山」に隠されているとい うのだ。空海が四国八十八箇所を定めたのも、聖域に近づけないための「結界」だという。この大秘密政策により四国は死国にされた。四国とは黄泉国だった。 坂東眞砂子原作の映画「死国」のように、この世で一番死に近い場所なのだろうか。四国人に失礼である。

 では、なぜ「契約の聖櫃」ことアークが四国にあるのか。いや、そもそもアークとは一体何か。モーゼが出エジプトの際、シナイ山で神から授かった十戒の石 板を納めた箱である。ヘブライ王国第3代ソロモン王は、エルサレムに壮麗な神殿を建ててこれを安置した。ソロモンの死後内乱が起きて、その王国は北朝イス ラエルと南朝ユダに分裂する。

 イスラエルは前721年、ユダは前587年、それぞれアッシリアと新バビロニアに滅ぼされた。ユダ滅亡の際、バビロニア兵が首都エルサレムに乱入して、 神殿も王宮も焼き払う。「列王紀下」25章には、財宝をすべて持ち去ったとある。だがアークに関する記述はない。神の栄光の象徴たるアークも、バビロニア 人から見れば石板を入れたただの箱である。常識的には、アークはその時壊されたはずだ。しかし、信仰者とすれば認めたくはない。そこでアーク探索の試み が、史上幾度となく繰り返されることになったのである。

 このソロモン王、実は死んではいなかったという説もある。3,000年近く前、故国を脱出したユダヤのソロモン王家の一族は、なんと日本にやってきた。 7,000人というユダヤ人達一行は、四国の室戸岬に上陸して剣山に移り住んだ。以来この山頂において、14代800余年にも及ぶ生活をはじめたというの である。その集落が「倭」であり「和」であった。これこそが「邪馬台国」だという。

 ある時王達はこの和を出ることになる。奈良にたどり着いた一族はそこで国を造る。もっと大きな和、つまり「大和」である。だから天皇家はユダヤ人だとい うのだ。一方、四国の和は「阿波」と変化する。淡路島はこの「阿波への路」からきている。そしてみんなを、奈良の大和へ連れて行ったリーダーこそが聖徳太 子だというのだ。

 謎の多い「カゴメの歌」はソロモンの秘宝を歌ったものだともいう。剣山の頂上には宝蔵石、鶴石、亀石という3つの大巨岩があるが、歌詞の鶴と亀はこの石 を指している。夜明けの晩とは、月と太陽がともに天にあろうとする時期をさし、伊勢神宮のシンボルに符合する。また、カゴメは籠目、籠目紋といえば、つま りソロモンの星と同じ六芒星を意味する。宝蔵石こそが財宝のありかを指す岩らしい。

 さて、最初にアークが剣山に隠されていると言い出したのは、高根正教という人物だ。「新約聖書」と「黙示録」、さらに「古事記」を比較研究して達した結論らしい。それによると、前326年に死んだはずのアレキサンダー大王は、日本に渡来していた。

 大王は、田島守をエルサレムに派遣する。アークを日本へと運ばせ、四国の剣山に隠した。日本へ来たこのアレキサンダー大王こそが、実は第10代崇神天皇 だというのである。ところで、田島守(田道間守)に関して万葉集に大伴家持の「橘の歌一首」がある。田道間守は、常世国から「トキジクカグノコノミ」を持 ち帰ったと歌われている。

 だがそれは、崇神天皇ではなく第11代垂仁天皇の御所望ともいわれる。常世国とはエルサレムだろうか。諸説あって常世国は、沖縄とも新羅ともいわれる。 浦島伝説こと浦島子の話にも出てくる。竜宮城のある国なのだ。では、カグノコノミはアークか。輝く木の実のことで、改良されて有田みかんとなる。どうや ら、四国剣山に隠された聖なる箱とはみかん箱のことらしい。

 まさに想像力豊かな話であるが、各証拠は単なる偶然ではないかもしれない。それは、オーパーツと同じで、現在の歴史観で考えるからおかしな結論になる。現代人の想像をはるかに越えた文化交流が当時、地球規模で行われていたということなのだろう。

http://www.mipsworld.com/mizukuki/mizu021.htmより転載

空海の開山した金剛峰寺・高野山ですね。この高野山では、代々空海の悲願が歴代管長他幾多の高僧によって伝えられてきています。研究仲間の一人が、管長と誓い親戚関係にある方で、もちろん、秘密裏ではありますが、匿名を条件に臨終の言葉を教えて下さいました。今回そのお許しを得て話させていただきます。

その言葉とは「弘法大師・空海様の伝えた天台宗の根幹はキリスト教である」と。

高野山の秘中の秘である奥の院とも言うべきところには、聖書の聖なる言葉が隠されていて、許された高僧以外は、誰も開けてはならないという厳然たる不文律があるということです。管長の臨終の言葉によって、巷間でとりざたされてきた空海にまつわる様々な言い伝えへ空海のしかけた謎が、解き明かされ、この21世紀にすごい真実味を帯びてよみがえってきたと思います。

もう一つ空海は、謎めいた言葉を残しています。四国の方々には、広く知られている言葉だそうですけど。

「お大師さんが言うには、四国と本州との間に、鉄の橋が何本も架けられるころ、へそ曲げて逃げていたキツネが、心を入れ替えて帰ってくる」という伝承です。(P124-125)