「何を見ているのか」
2017年9月10日
使徒言行録1章12-26節
「失ったもの」はどうすればいいのか。
私たちは沢山のものを獲得します。
それと同時に多くのものを失います。
「もの」「人」「環境」「信頼」「名誉」「誇り」「自信」「正義」「平和」。
失ったものをどうすればいいのか。
イエスの弟子・使徒達は大切な仲間を失いました。
イスカリオテのユダ。
彼は確かに主イエスを裏切りましたが、それは他の使徒とて同じようなことをしています。
自分と変わらないことをしたユダが今はいない。
使徒達の心を、そして使徒達と行動を共にしてきた人々の思いを苦しめている現実でした。
ペテロは語り出します。
ユダの行動は聖書の詩篇に記されていた通りのものだったと。
ペテロは何を語っているのか。
ユダの行動は運命だった。
定められたもの、神が既に決めていたこと。
すなはち、人には、私たちにはどうすることも出来なかったもの。
失ったものをどうすればいいのか。
執着しない。
必ず起らねばならなかったものと整理をつける。
ユダを失い使徒の数は11人。
世界は12でなければない。
12が完成を表す数。
彼らはあと一人の補充に乗り出す。
二人のものを選び出す。
そして最後はくじに委ねる。
「神様、あなたがお決めになっていることを私たちに示してください」。
神が既に決めている。
人はそれを待つだけ、聞くだけ。
失ったものをどうすればいいのか。
人が、私がそれを仕上げようとしない。
委ねる。待つ。
使徒たちの使命は「イエスの復活を証言する」こと。
使徒たちは失った。
大好きなイエス様を見捨てて逃げて行った。
愛を失った。
もう愛することはできない。
愛されることなど絶対にない。
記憶の中にイエス様を思い出してもつらいだけ。
愛を失った。
イエスは甦り使徒たちに現れる。
失ったものが返ってきた。
使徒の努力でない。
人の力ではない。
失ったものは人の力では取り戻すことは出来ない。
しかし、失われたものは必ず帰ってくる。
「何を見ているのか」
失ったものに心奪われ、それを見つめ、自らの傷ついた心を見続けるのか。
失ったことに嘆き悲しむばかりが人の仕事ではない。
必ず世界は世界自らが失ったものを取り戻しに動き出す。
「何を見ているのか」
これから始まることを見る。
神の造られた世界を信じる。
失ったものへの心構え。