伊藤弘美後援会長と藤原町を行く いなべの農業考
現職の市議会議員で後援会長の伊藤弘美先生と、藤原町を中心に先生の支持者宅を回らせて頂きました。藤原町は、いなべそばの白い花が満開でございます。そして、天気は少し悪かったですが、稲刈り真っ最中。朝昼と多分、ライスセンターに多くの新米が持ち込まれていることでしょう。JAの広報誌の取材をやっていた頃は、毎年、どこかのライスセンターへお邪魔しました。この時期はJA職員もローテーションを組み多忙な毎日を送ります。
いなべの米。本当に美味い!故に、JAいなべ、ながしま、くわな、みえ四日市が合併し、「JAみえきた」となり、「いなべの米!!」と言えなくなったのは個人的に非常に残念です。18年間の取材のなか、いかに、農家の方が伝統のいなべの水稲を守ってきたか、それを現場で見て来ました。種子農家さんは、かなり、皆さんご高齢でしたが、担い手が気になります。種子は稲のベース。その種を使い育苗します。いなべには種子専門で作られている農家さんがありますが、種子栽培はベテランの経験値がすごく大切になります。
いなべの農業は、水稲が中心。転作を考えると米麦と言えます。奈良時代より奈良の名刹・大安寺などの荘園になっていたこと。早期に藤原氏などが住みついたことを思えば、かなり古くから水稲栽培の適地だったのでしょう。
また、藤原の獣害の被害については何度も取材をしました。特に山口は集落全体を高い網で囲んでいます。農家の方々がタッグを組んで、箱わななどを管理され、市の対策がなかなか進まないなか、自分たちで処理をしています。大型獣を捕らえ、命を断つ。こんなことは誰もやりたくないことですが、自分たちが苦労して栽培した農産物を守らねばならない。いや生活を、暮らしを、守らねばならないのです。パトロールもローテーションを組んで行われています。
この夏咽頭がんで、あの元気な声を失った伊藤先生。
筆談で、私を引き連れ、自分で車を運転し、回って頂いて、「この人を市政に。どうか助けてほしい」と、やはり、筆談でお願いする。
ある方が「弘美さんが連れて来られた方ならきっと立派な方だから応援するわ」と。
いや、もちろん、弘美先生が立派なのです。みなさん、「頑張ってください!」と初めての顔に声を掛けて頂ける。これが「お願いする」ということかと。
皆さんが信じているのは弘美先生で、僕ではない。その僕を弘美先生が息子でもないのに押す。
これは、ものすごいドラマです。ものすごく、しっかり、感じなければいけないことです。
やはり、18年間、員弁郡中を取材し回りましたが、こうした視点で土地を巡ってみますと、いかに人と人の繋がりが濃く、固いかが理解できます。それはある意味、両刃の刃で、暮らすには良いが、何かを変えるのはとても難しい。ベースが地縁、血縁なのだから。そう考えると私は非常に厳しい立場ですが、これは、最大のいなべの武器であることも否めない。まだ人の繋がりがしっかり残っています。
それも勉強と思いながら楽しまないといけないのでしょう。立つとはそういうことなのです。
自分の責務を改めて実感し、だからこそやり切らねばいけないと思った1日でした。
これを契機にいろんな方と出会い、語り合いたいと前向きに考えております。
私、どこにでも参ります。いなべ市民の皆様、お気軽にお呼び付けください。
私の政治信条を伝えたい。