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なるほど分かる、エルサレムの歴史(旧約聖書〜ディアスポラ)

2017.09.18 10:29


まえがき


トルコでの旅行記は一度置いといて、書き溜めた記事を更新します。


今までのアジア中心の旅ではなかなか分からない事も沢山ありました。


僕はまだ世界のほんの一部しか見ていません。


トルコは初めてのヨーロッパで、行く前にたくさんのことを調べました。


調べだすと世界史で習ったオスマン帝国の話が出てきました。そう、あのアサシンクリードで出てきたあの街です。


そこから掘り下げて行くと、脳の端っこに残っていた単語が次々と蘇って来て、読書に明け暮れていたなぁ。


確かに、絶対安全とは言えないかもしれない。ですが、僕の心の中にある少しの不安は、無知による恐れではありません。イメージによる不安ではありません。


世界には色々な見方があります。


正しい知識を持ち、様々な見解を踏まえた上で、世界を知ることは自分の可能性を広げてくれるはずです。


イメージだけではありません。偏った見解ではありません。インターネットの情報だけではありません。


全てを判断材料とした、自分の思想というものになります。自分を守る武器にもなります。


目の前だけではなく、今を知るために過去を知ろう。思想を持とう。その上で未来を語ろう。平和とは何かを考えよう。


愛とは何かを考えよう。と思うところです。


彼らが武器を持つなら、核兵器を持つなら、こちらは知性で戦おう。


自分達は平和の消費者では無いという自覚が大切。平和は一人一人が知識を持ち、考え、議論し、行動するして作られて行くもの。


1人では何もできない。が、知識のない集団も何もできない。


まずは知ること、この記事がその一助になれば幸いです。


イスラエルに行くと決めた時から、たくさんの本を読んだ。


パレスチナ、イスラエル問題について、ユダヤ人について、宗教について、分かりやすく、簡単に、包括的に、ざっと歴史を説明しようと思う。


それでは行きます。


3つの宗教の聖地が混在する現エルサレム



イスラエルのエルサレムにはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教の聖地が1キロ四方という狭い場所に混在している。


その理由は歴史を見れば見えて来る。


神話から始まる世界の歴史「創世記」


この地の歴史を語るには、ヘブライ語聖書(旧約聖書)のアダムとイヴの神話からはじまる。


ヘブライ語聖書(旧約聖書)はユダヤ教の聖書であり、そのユダヤ教は現存する中では世界最古の宗教と言われている。


その聖書に記されている創世記は天地は神によって創造されたとされる。




その神様が創造した初めての人間が御存知、アダムとイヴである。


彼らは禁断の果実を口にし、エデンの園を追放される。


その子孫に「ノアの箱舟」で有名なノアが生まれたと言われている。


その子孫のアブラハムが、神からカナンの地(現パレスチナ)に行くことを命ぜられ、


カナンの地に着くと、そこで神との契約を交わす。「この地を汝の子孫に永遠に与える」と告げられる。


伝説と歴史に生きたアブラハム


これがアブラハムの契約と呼ばれる。

アブラハムは伝説と歴史の中におり、詳しい時期については諸説あるが、おそらくB.C1800年、いまから4000年ほど前の事。


その頃すでに100歳であったアブラハムと、90歳であった妻のサラの元に、イサクが生まれる。


(イサクを生贄に捧げるよう神に命じられ、それを天使に止められるアブラハム)



その後、神との契約通り、イサクはイスラエル十二部族の祖となるヤコブ(のちにイスラエルと改名)を生み、このヤコブがユダヤ人の祖となったと言われている。


その後、アブラハムの契約によってカナンの地で暮らしていたユダヤ人は飢饉に見舞われエジプトに移住。


預言者モーセ


その地でユダヤ人達は奴隷として暮らしていた。その頃、その地で預言者モーセが生まれる。


モーセは神からの啓示を受け、エジプトからユダヤ人を率いてエジプトを脱出する。


これがかの有名な「出エジプト記」である。


出エジプト記


カナンを目指したモーセは、海を切り開いてユダヤ人を先導したとされる。


カナンの地に向かう途中、モーセはシナイ山で神から十戒を授けられたとされる。


この教えを守ることで救済されるとされる、神とイスラエル民との契約を「シナイ契約」と呼ぶ。


その十戒の中には、「ヤハウェ(ヘブライ語で神を表す語)の他に何者をも神としてはならない」などの契約がある。

この頃はおよそB.C1300-1200年前後とされる。


その後、後継者ヨシュアにより、ユダヤ人達は無事カナンの地に戻ったとされている。


イスラエル王国

カナンに戻り、「約束の地」を得たユダヤ民。B.C1000年頃、サウルという王様が出て来て、ダビデの時代にイスラエルを統一し、イスラエル王国が完成する。


この辺りはすでに伝説ではなく歴史に近い話。


そして、ソロモン王により、この地に神殿が作られる。

(ソロモンはB.C1000年頃に神殿を建立)


しかし、その後ソロモン王が死ぬとイスラエルはユダ王国とイスラエル王国に分裂。


バビロン捕囚


イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされ滅亡、ユダ王国は新バビロニアのネブカドネザフサル2世により滅ばされ、神殿は破壊される。(B.C586年頃)


その地にいたユダヤ人はバビロニアに連行され、「バビロン捕囚」となってしまう。


(バビロン捕囚の様子)


その後、バビロニアが滅ぼされると(B.C538年頃)、ユダヤ人は再度帰国が許された。


ユダヤ教、旧約聖書の完成

彼らはバビロン捕囚となってからも、モーセの十戒などの「律法(トーラー)」を守り続けた。この頃、組織教団としてのユダヤ教は成立されたと言われており、旧約聖書が完成したのもこの頃と言われているそう。


ユダヤ教は「ユダヤ人によるユダヤ人の為の宗教」とされ、選民思想(神から選ばれた民)があり、他の文化や宗教に溶け込むことなく、自分たちの信仰を守り続けた。


その後、再び約束の地に戻って来たユダヤ人は神殿を再建(B.C515年頃〜)し、エルサレム神殿が復興(第二神殿)。




B.C200年頃には、ユダヤ人の独立王朝であるハスモン朝が成立し、大いに栄えた。


しかしその後、アレキサンダー王によるヘレニズム文化の波やローマ帝国の支配などにより、エルサレムはローマ帝国の属国となってしまう。(B.C63年)


その後もヘロデ王などにより神殿は増改築された。(B.C20年)


(ヘロデ王によって完成した第二神殿)



イエスキリスト降誕


この時代にイエスキリストが生まれる。(B.C4年)


イエスはユダヤ人であり、ユダヤ教であったが、ユダヤ教の律法重視の考えに疑問を抱き、次いで山上での垂れ訓などを経て「律法ではなく、もっと神を信じなさい、愛を信じなさい」と、説いた。(次記事で詳し目に)

 

イエスキリストの処刑


イエスは戒律のみを重んじ、律法主義に凝り固まったユダヤ教を強く批判したため、ユダヤ教の指導者に目をつけられ、神を冒瀆した罪で貼り付けにされてしまう。


実際にイエスを処刑したのはローマ人とされているが、この事件以来、ユダヤ人はキリストを殺した民族として世界中のキリスト教徒から憎まれることになった。


補足として、イエスはユダヤのお祭りである過越祭でエルサレムに来ており、そこで最後の晩餐をしたのち、部下であるユダに裏切られてゴルゴダの丘で磔刑されてた。


その場所には聖墳墓教会というイエスのお墓がつくられ、ここは現在もキリスト教の聖地である。


この為、エルサレムにはキリスト教の聖地がある。

(聖墳墓教会)


ユダヤ人の戦い


その後、66年には第一次ユダヤ戦争(ユダヤ人vsローマ帝国)が起きるが、ユダヤ人は負けてしまい、エルサレム神殿は破壊されてしまう。


この後、現在に至るまで神殿は再建されることなく、いま残っているのはその神殿の一部のみ。


これが、嘆きの壁と言われ、エルサレムにあるユダヤ教の聖地である。


ディアスポラ


これを機にユダヤ人はこの地を離れることになる。

この後、1948年のイスラエル建国まで続く、長い長いユダヤ人の離散(ディアスポラ)が始まった。


しかし、ユダヤ人は自分たちの律法を信じ、シナゴーグというユダヤ教会を各地で作り、共通の暦であるユダヤ暦を使用したりなど、世界各地でもその文化に馴染むことなく自分たちのアイデンティティを貫いて行った。


以下のことが重なり、ユダヤ人は周りに馴染めず、加えてキリスト殺しという肩書きがあり、世界で嫌われる民族となってしまったわけである。


つづく