戸惑い。
思えば、幼少のころから治療するといえば、
イメージ的には病院への入院だったような気がする。
目のあたりにする光景ですら、病室のイメージが付きまとう。
とある方が・・・戸惑っている。
何も手を打たなくていいのかと。
こころの焦り。
病院のベッドで横になっている姿。
心電図などの機器。
点滴用の設備。
採血検査の数々。
クスリの袋。
まさに・・・こんな感じかな。
これでこそ、治療している!病と対峙している!
って、実感するのかもしれない。
重篤な症状であれば、そうなってしまうのだろう。
こころの焦り。
戸惑いの元凶はそこにあると思う。
ちゃんとした治療をしていないのではないか?
こんな自宅での治療や通院ということでいいのだろうか?
なにも治療をしていない・・・・と錯覚に陥っている。
既に幾たびも検査入院を繰り返してきている。
だからこそ、余計にそのように感じてしまうのかもしれない。
「十分な治療」とは何か?
「満足できる治療」とは何か?
食事制限(食事療法)や軽い痛みはあるものの、
本人(患者)は普段と同じように仕事に出かけている。
現状、普段とおりの生活が出来ていることは喜ばしいはずなのだが。
家族の前でがん告知をされた。
日々の生活の中で、ふと襲われる恐怖だろう。
いま・・・癌と対峙しているといえるのだろうか?
闘病しているんだろうか?
放置に等しいのではないか?
様々な不安が襲っているに違いない。
入院こそしていないが、三種類の治療を受けている。
動けるからこそ、入院は必要ないのだが。
入院生活とは、辛いものだということを本人もよくわかってるはず。
にも・・・かかわらず。
放置しているのではないか?という恐怖にさえなまれている。
戸惑い。焦り。そして不安。
現状維持にもかかわらず、かなり進行しているのではないか?という脅迫感。
日に日に弱っていくのではないかという恐怖感。
待ち構えている末期症状の妄想。
初めての経験なのだ。
自宅療養と通院。
前にも記したが・・・・
戸惑いや焦り・不安は、劇薬に走らせる。
より瞬間的!より即効性を!より確実に!・・・・と。
じわりじわりと、精神的に追い詰められていると推測される。
本人だけではなく、ご家族も・・・。
目に見えないものは・・・怖ろしい。
カラダだけではなく、家族全員の心の隙間さえをも蝕んでいく。
それがガンの本当の怖さなのかもしれない。
ネガティヴな想いに支配されようとしている。