ZIPANG TOKIO 2020「役行者の衆生済度の菩薩行を伝える吉野【櫻本坊】吉野聖天大祭の開催 (前編)」
【吉野聖天大祭】1日限り
役行者が1350年前に大峰山奧に祀られた日本最古の聖天尊は、縁結び・和合・商売繁盛・学問成就の神様として信仰を聚している。大祭に合わせ、ご本地仏 秘仏 十一面観世音菩薩が特別ご開帳される。
開催期間 2017年10月1日(日) (13:00~)開催場所 櫻本坊 お問合わせ先 0746-32-5011
所在地 〒639-3115 吉野郡吉野町吉野山1269
櫻本坊について
櫻本坊の魅力
厳しい法灯を護り継承された格式ある重厚性と、時代が求める新しい考えを取り入れ、その時・その場・その人を生かすための「感謝」と「敬意」の精神性が生きづく姿勢は、古き良き伝統と新しい風とが融合した大きな魅力となっています。
そして宇宙の秩序や自然の摂理といった大いなる環境の中で、一人ひとりの魂のかけがえのなさに気づくような…静寂と優しさを観じれるのがうれしい道場。それが櫻本坊です。
また修行体験でふるまわれる精進料理は尊い「火」と「水」「地」から産まれた野菜が「地・水・火・風・空」からていねいに調理され、心も体も浄化される料理といえましょう。
井光山五臺寺
大峯山護持院
櫻本坊
櫻本坊縁起
万葉の時代 天智10年 … 天智天皇の弟、大海人皇子は吉野離宮日雄殿にてご修行されておりました。
激動の時代の中で、「野に放たれた虎」とも称された日々のこと。
ある冬の夜、吉野の山の中に満開の桜がみごとに咲き誇る夢をごらんになりました。
翌朝めざめられ、前方の山を見上げると、冬だというのに夢そのままに一本の桜が美しく堂々と咲いていたのです。 大海人皇子は不思議に思われ、すぐに役行者の高弟 角乗に夢判断を命じました。
角乗とは「宇宙の皇子」と称された役行者を師とし、大峰山で行を積む高徳の僧です。角乗は謹んで答えました。
「桜の花は日本の花の王です。この夢は殿下が天皇の位につかれるよい知らせでしょう」と。
翌年、壬申の乱に勝利し、大海人皇子は帝位につかれ、天武天皇として即位されました。
天皇は大変およろこびになり、夢に現れた桜をもとめ吉野の山に登られました。そして、夢に見た櫻 ( 天武天皇 「夢見の桜」 ) と出会い、そのもとに道場を建立、 「櫻本坊(さくらもとぼう)」と名づけ、角乗を住職に迎えたのです。
爾来、天武・持統天皇の勅願所となり、1300年 神仏と共に大いなるいのちのなかで 天下の泰平(世界平和)・万民の安楽(すべての魂の安らぎ)を祈りもとめる修験道の根本道場として今日に至ります。
… 夏の大峰奥駈修行をはじめ止観や瀧行・写経写仏などの浄行、聖天さま、お釈迦さま・お地蔵さまなどの法要を通し、人格と自己を実現する「場」、それが櫻本坊 道場です。
「懺悔懺悔六根清浄」(さんげさんげろっこんしょうじょう)、お互いを通して磨き高めあいましょう。
役行者倚像
重要文化財
鎌倉時代 14世紀
木造
彩色
寄木造り
像高146.6cm
御歳19才の等身大のお姿と伝わります。
像の根幹部を堅材の一木から彫出し、面部を矧いで水晶の玉眼を嵌入し、着衣には様々な彩色文様が施されている。
長頭巾(ときん)を着け、右手に錫杖、左手に経巻を持ち、素足に下駄をはき岩に腰かけたお姿。
口を開き微笑んでいるような柔和な表情で、玉眼の両眼を見開いておられます。
髭がなく、表情には生気が漲り、若々しくしっかりとした骨格や筋肉が表された、若き日のお姿である。
本来、前鬼・後鬼が左右に従っておりましたが、明治の神仏分離・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の法難の折、行方知れずとなり今日に至っている。
ご宝号
南無神変大菩薩(役行者にすべておまかせし帰依いたします)
ご真言
オンギャクギャクエンノウバソクアランキャソワカ
役行者神変大菩薩
今からおよそ1400年前、1つの魂が大和の国の高加茂(たかかも)という家を選び舞い降りてきました。
父は高加茂朝臣(たかかものあそん)で、加茂役君(かものえだち)または大角(おおづぬ)と呼ばれ、母は渡都岐比売(とときひめ)又は白専女(しらとうめ)・刀自女(とらめ)と呼ばれました。
日本は大化の改新(645)の前夜、社会も人心も混迷の嵐の中。
役小角は、幼名を金杵丸(こんしょまる・母がある夜、天空に浮かぶ金色に輝く金剛杵が静かに降りてきて口からはいる不思議な夢をみたという)と名乗り、幼い頃より叔父 願行(がんぎょう)上人より仏法を学ばれたという。
17才で葛城山に入り岩窟において孔雀明王の秘法を受け、生駒山では人々に危害を加え苦しめていた鬼のような夫婦 前鬼(ぜんき)・後鬼(ごき)を諭し改心させ弟子としました。
そして熊野本宮、音無川より大峰山に入山、金峰山(山上ヶ岳・標高1721m)山頂において世界の平和とすべての魂の幸福を願い一千日の間修行を積まれました。そして衆生済度のご本尊金剛蔵王大権現(こんごうざおうだいごんげん)をご感得(祈り出)されたのでした。
大峰山の「日の出」
大峰山系
伯母谷覗
現代の山頂の様子、季節になると可憐な花をつける高山植物に癒される。
その後、吉野山へ下られ、金剛蔵王大権現を自ら桜の木で彫られ祀らました。まさにそのとき大峰山が道場となり、修験の道が始まったのでした。役行者(えんのぎょうじゃ)の誕生である。
世界遺産「大峯奥駈道を行く修験者」
大峰奥駈道は、熊野と吉野を結ぶ1,800m級の荒々しい峰々が連なる大峰山系を約 80kmにわたって乗り越えて行くもので、古くから修験道の核心をなす根本道場として位置づけられ、さまざまな苦行の末に味わえる神秘的な大自然の魅力をうかがい知ることができる。この奧駈道は奈良県側の南端に至る手前約4.2kmに渡って国有林内を通り、壮大な樹林帯とともに、持経の宿や平治の宿等疲れた体を癒すところにもなっている。
阿古谷渓流
峯々貫く奥駆道
修験道場「大峯山寺」
西ノ覗き岩
斉明天皇4年(658)25才の時には箕面の龍穴で龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)より密教の奥義を受けられました。
役行者は生きとし生けるもののため日本中を巡り、その生涯を実践を通し衆生済度の菩薩行(他を利する奉仕の行)に捧げられたのでした。
大宝元年(701)6月7日、68才の時、役行者は老母を連れ 箕面の天上ヶ岳へ登り、母を鉄鉢に乗せ五色の雲に乗って昇天されました。
江戸時代 寛政11年(1799)正月25日、役行者一千年御遠忌に際し、その威徳を称え、光格天皇より「神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)」の諡号(しごう)が授けられました。
役行者は、自然に回帰し“未知”なる“道”を開き、世界が真実の光に、すべての人びとの心が安らぎに“満ち”ることを願い菩薩という奉仕を道とされました。
修験道
修験道は、今からおよそ1350年前 飛鳥の時代、役行者(えんのぎょうじゃ)により開かれた「実修実験の道」である。
あらゆる生命(魂)を尊ぶこと…つまり大宇宙 大自然の恵みの中で生かされていることに感謝する素朴で純粋な想いから生まれました。「一宗一法に執せず」諸宗融通・神仏習合の道としてある。
主に聖地の山々に入峰し、何千年何万年も繰り返されてきた『創造・維持・破壊』のドラマの唯中で…自身の魂の浄化と活性を導く道と言える。
自己本来の生命(魂)は平和で愛に満ちたものである。
私(魂)と神(至高なる魂)との繋がりを想い出すことで、自身の心と体のハーモニーを崇高にコントロールすることに深い意義がある。
その素晴らしい徳性の力を奉仕実践する道でもある。
この道を歩む者は、「山に伏し野に伏し山林抖擻 (とそう:心身を浄化し雑念を払い心を集中する行)するもの」として、山伏(山臥・やまぶし)とよばれ、或いは修験者・行者とも称されました。
歴史
修験道は、平安の時代を迎え、より盛んとなりました。
仏教伝来以前からの日本古来の古神道と仏教が習合し、神社の境内に神宮寺が、寺院の境内に「鎮守」としての守護神の社がそれぞれ祀られ、この神仏習合の動きと、密教、道教、儒教と、さらに山岳信仰とが結びついて、修験道という独自の修行の道が成立したといえる。
信仰とは
私たちの母なる大地、地球に生命が芽生えて幾星霜、数えきれない命が分化と進化を積み重ね調和の中、『いま』を生きている。
私たち人類もその一員として、自然の恵みを享受し、その生を全うすべく歩み続けている。
古来民族や言語・文化や歴史が違っていても、時代や洋の東西を問わず、人々は人智を超えた何か『偉大な存在』を観じ、心からの敬意と感謝を捧げ共に歩んできました。
日本でも縄文時代以来、『大いなる存在』を神々として敬い、感謝の念をささげ讃えてきました。
そして飛鳥の世、大陸より仏道が伝わりその教えが受容され、畏敬の想いと共に津々浦々へと拡がりました。
良き伝統と新しい風との融合、人々は縄文以来の古神道に、新しき仏の教えを積み重ね、より深く大きく魂の礎として『信』を捧げ続けたといえる。
それから百年、7世紀の中頃、役行者が大峯山にご登拝、世界の平和と生きとし生けるものの安心の為に祈りを捧げ修行を積み修験道を開創されました。
古神道と仏道の上に密教・五行陰陽などが融け込み渾然一体となった修験の道である。
すべてを信じ、調和を敬い、自然の恵みに感謝、多様性と重層性を受容するゆたかな『こころ』を支え育んだのは、『信じ』『仰ぎ敬う』という揺るぎなき決意と情熱があったからだと言える。
自分を信じること、社会や隣人を信頼し合うこと、そして大自然に委ねられる生きざまこそが信を仰ぐあり方だといえるのでしょう。
護摩祈祷
護摩(ごま)とは、智慧の火で迷いの薪を焼き尽くすことを意味する法要で、焚焼(ぼんしょう)という意味の梵語「homa」を音写したものです。
古代インドで火神アグニ(Agni)を供養して、魔を除き幸福をもとめるために行われた火祭りがその起源といわれます。
不動明王・蔵王権現・役行者などを本尊とし、その前に壇を築き、火炉を設けて護摩木を焚き、火中に穀物などを投じて供養します。そこで煩悩や災いを焼き尽くし、厄難を除き、悪を降伏(ごうぶく)し、世界の平和と幸福、心願成就を祈願いたします。
各種法要
お護摩ご祈祷
家内安全 心身健康 病気平癒 商売繁盛 交通安全 開運厄除 良縁成就 安産祈願 試験合格
学業成就 就職如意
お供養
先祖供養 水子供養 年忌法要
その他
新車ご祈祷 地鎮祭 七五三まいり 仏前結婚式 各種祭礼法要
櫻本坊からのメッセージ
万葉の時代、役行者68年の生涯は今だから着目したい“自然人”の生き方があります。これは膨大な経本や数知れない戒律に縛られるものではなく、ごく純朴に自然の中で真理を求められるものでした。
役行者への“あこがれ”にも似た懐古の念は“…ともにある”という幸福感を増幅させ、人間的また超人的(宇宙的)である、実にその絶妙なバランスが我々の心をとらえて止まぬところでもあります。
「神童」から「宇宙の皇子」へ…仏法を学び 古来の神々の道も極められ…大峰山上ヶ岳においては金剛蔵王大権現を祈りだされた…まさに現代へのメッセージ(真理の宝)を記されていると言えるのでしょう。
まさしくその時、櫻本坊は、何ものにもとらわれることなくすべてに開かれた道場、一人一人が幅広い精神性に目覚め共に磨き合い成長できる空間として、天武天皇により神仏習合の修験道場として開創されました。
大自然に身を投じ大宇宙へと回帰・融合するところから始まる、あらゆる生命(魂)を尊び自然の恵みの中で生かされていることに感謝する素朴で純粋な想いから生まれた修験の道。
それは何千年何万年も繰り返されてきた『創造・維持・破壊』の輪の中で、自身の魂の浄化と活性を導き、社会に活かしていく道と言えましょう。
本来すべての魂は平和で愛に満ちたものです。
私(魂)と神(至高なる魂)との繋がりを想い出すことで自身の心と体の調和を崇高に保ち、そしてそこから生まれる素晴らしい’徳性の力’を社会に奉仕還元することは意義深いものです。
人として生を受けた者の義務といっても過言ではありません。
‘奉仕’とは何も見返りを求めない無償の愛の実践です。
この世における性別・年齢・職業・地位・名誉などを離れ、ひとりの人間としてすべてを尊び敬う謙虚な行いです。
それは私だけではなく世界を変革するほどの力の基となります。
私たちは幸せになる為に、誰かに幸福をもたらす為にこの世に生を受けたことを認識しましょう。
富士山山頂・富士山本宮浅間大社奥宮(例として)
出羽三山神社・月山神社本宮(例として)
出羽三山神社・出羽神社(例として)
櫻本坊道場では夏の大峰修行をはじめ各地の聖地を巡礼し、本来の大自然の調和の中に還ります。
大護摩供やいろいろな法要神事を通し、世界の平和とすべての生命の幸福を心から祈ります。
また瞑想や瀧行・写経などの浄行を修し、心身を純化し正しく内観し、生きた智慧を学び、ともに分かち合います。
一人一人の魂が輝くステージに昇華され、人格と自己を実現する「場」がこの道場です。
「懺悔懺悔六根清浄」(さんげさんげろっこんしょうじょう) お互いを通して磨き高めあう場となれば幸甚です。
合掌
櫻本坊への交通アクセス
どうぞご来山ください。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
櫻本坊 〒639-3115 奈良県吉野郡吉野町吉野山1269 TEL 0746-32-5011
農林水産省・林野庁
〒100-8950 東京都千代田区霞が関1-2-1
電話:03-3502-8111(代表)
近畿・中国森林管理局
〒530-0042 大阪府大阪市北区天満橋1丁目8番75号(代表電話)050-3160-6700
富士山本宮浅間大社 〒418-0067 静岡県富士宮市宮町1−1 電話: 0544-27-2002
出羽三山神社
〒997-0292 山形県鶴岡市羽黒町手向字手向7 TEL:0235-62-2355