人の3倍やれ!高校時代の応援団からの学び
昨日は不覚にも、デスクの前で根落ちした。手にはマウスを握り締めていたのだが・・・・。
夕方、弘美先生と共に、藤原町を中心に回る。皆さん、握手をし、「頑張ってください!」と。
涙が出てくる。電話を頂く、見ず知らずの方である。
「いなべ市を変えてください!」と。こうして僕らはパワーを頂くのだ。
だから、甲州弁で言えば「こぴっと」、やらねばいけない。
山梨県立日川高校 応援団の誓い
応援団は新時代における明朗と歓喜に満ちた
学園民主化の推進力にして、
名声興隆の原動力と団結の核心であり、
団員相互の親睦友愛と切磋琢磨を基盤に結集し、
各自の真剣なる態度と人格の陶冶とによって、
日高生の範たらんとする。
吾々は、確固たる信念をもって、各部選手を激励し、
勝負を共に喜び、共に悲しみ、
烈々たる斗志と限りなき勇気と強固な意志を維持し、
以って母校のために情熱の双手を捧げんとする。
故に我々は信義を思んじ、大勇を尊び、
礼儀を尽くし服装を正し、常に生徒の範たらんと念じ、
全力をその目的達成のために注ぐ事を誓う。
我が母校、元山梨県旧制第二中学校、山梨県立日川高等学校の応援団の誓いである。
我々、応援団員は1年生の時に、この精神を心身に叩き込まれる。
我々は、生徒の模範。一般生徒を指導する者として、模範たらないといけない。
春、夏、1週間の地獄の合宿がある。内容は筋トレ、筋トレ、また、筋トレである。
総体は、午前2時に現地入り、朝まで筋トレと走りである。応援、会場へは走っていく。どんなに遠くてもである。
高校総体10連覇の偉業を脊中に、甲府のまちを校歌を歌い練り歩く。足にはほうば(下駄)で、頭にはボロ学生帽である。おばあちゃんが寄って来る。
「日川の応援団は昔から変わらないね。見るとわくわくするわ。男前!!」と
乙女の瞳になり、拍手を贈ってくれた。黒ずくめのバンカラの一団に道はすっと開かれる。
(因みに「マキタスポーツ」は、我々の同級生で応援時の同志であるブラバンにいた牧田君の弟さんである。もちろん彼の実家は、マキタスポーツ店である)。
こうした厳しいことを、たかが応援団がなぜせねばいけないか?
先輩らは僕らに教える。
「一般生徒を上から指導するのだから、団員は最低、一般生徒の3倍は努力しないといけない」と。
この精神は、きっと死ぬまで抜けない。故に、あいさつは「押忍」(葉隠の武士道精神から)なのである。
話は、なんか古くさく、精神論至上主義に聞こえるが、「本気」とは精神論の何ものでもない。どんな人でも、人生1度くらいは「本気」にならねばけないだろう。
私は、市議会議員を、自分なりに「いなべ市民の応援団」としてとらえることとした。
そちらのほうが自分の生きざまにあっている。
応援団だから掛けつけないといけない。支えねばいけない。
よりよいいなべ市にするために、市民生活を応援しなければいけないのだと。
応援団員は主役ではない。僕らは裏方であることに誇りを有して来た。
主役は「市民」であり「市民のくらし」である。
2000回のスクワット、永遠に続くダッシュ、ひたすら手挙げした3時間、200回の腕立てを全員が達成するまで続けた日々、練習場の川原に響く「フレー」の発声・・・
応援団OBの誇りを胸に、市民に旗を振りながらエールを送り、頑張って行きたい。
人の3倍を押し通しながら。