カール大帝の夢18-ラテン語で生まれた欧州
2017.09.14 08:28
現代でもヨーロッパは多国家多文化多言語地域である。カール大帝の頃はもっと酷い。ザクセンとバイエルンなどまるで違う。しかしそれを最初に結びつけたのがラテン語の知的ネットワークである。
カロリングルネサンスは、ギリシャや東方から来た古典の写本をつくることだった。このため各地の学校ではまず正確に筆写する教育がなされた。そしてこの筆写のためにコルビー修道院で考案されたのが「カロリング小文字体」である。そしてこれが帝国統一文字となっていった。巻物に代わり現代のような綴じた本ができ、皆に聞かせる音読ではなく黙読の習慣ができた。
カールは貴族だけではなく、中流、下層民子弟にも教育を奨励した。あるときカールは少年達に詩文を提出させたところ、中下層の少年はよく、貴族の少年はダメだった。そこでカールは中下層の少年に精進すれば未来を約束し、貴族を叱責したという逸話が残っている。
カールは帝国各地に教会や修道院を建てたが、ここには宮廷学校出身者が入り、その者たちが書簡で交流、帝国は分離しても、キリスト教ネットワークは繋がっていた。ヨーロッパはまずラテン語で生まれた。大帝は帝国の未来を武力ではなく、知識に見ていたのだ。
下はカロリング小文字