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心にメスをいれるとき

2017.09.15 01:27

しばらくブログを書くのをやめていました。


やめていた、というと自分の意志で書かないでいたように聞こえるので、

書けないでいたという方がより正直かもしれません。


このブログを始めたのは、書くことで自分の考えを整理し、

自らの人生の方向付けに役立てようとしたからです。

継続は力なりという言葉にもあるように、

続けることが意味を持ち、またそれは簡単なことでないと思っていましたが、

ある事情によって、私はこのブログを更新することができないでいたわけであります。


しかし、それほど書けなくなったことに対して罪悪感や、

なんと自分は意志の弱い人間だという気持ちになったりということはありませんでした。


それは私が、書くということに対して、

ある意味特別な態度を持っているからだと思います。

本日は、壮大な言い訳ブログに見えますが(笑)いつも以上に真面目に書きます。




ある論文で読んだのですが、

「悩み」には、

・本人によって意識化されたものであり、

・欲求同士の葛藤であり、

・容易に解決ができない問題である

という3つの要素があるようです。

このうち一つ目の、意識化されたものであるという要素は、考えてみると面白いです。


つまり、私たちが悩むときというのは、問題が明らかに見えているときなのです。

反対には、私たちは意識にのぼった問題しか悩むことができないということがいえます。


人間は言葉でものを考える生き物ですから、

AとBという気持ちが自分の中にあって、さてどちらに進もうか、と悩むためには、

AとBという気持ちを言語化する必要があります。


言語化する前のモヤモヤした状態では、

悩むことが出来ない。

実際に、結構ひとつの言葉ではぴったりと表せない気持ちというのは多いと思います。


ですから、

当たり前のことのようですがこの言語化ということこそが、

心理療法や臨床心理学という分野においては非常に大きなポイントになると考えます。


書くということは、私にとって悩むという作業に似ています。


書くという作業は、

既に自分の中にあるものを表に出すことではなく、書きながら新たに発見するということが大きい。

これは恩師に言われ、妙に納得したことです。


以前に書いた記事たちもそうですが、

これについて書こう、と決めて書き始めるというよりも、

その時その場所で思い浮かんだキーワードから自由に書き始めると、

気が付いたらこんなことを書いていた、ということが多いのです。


まさに書くということは、新たな気づきを自分に与えてくれる作業といえます。


では、そんな素晴らしい作業をどうして何ヶ月もできなかったのだろうか、と考えだすと、更にこのテーマは深まりを見せます。


ある精神科医の『軽症うつ病』という本に、次のような文がありました。


“心の治療はできることなら「あまり深くメスをいれないですませる」のが名医(?)だと私自身は思っています。

心の深層に首を突っ込むのは、どうしても必要な場合だけでよい。

心の治療家はそういう自戒をもたないと、街の催眠術師と変わらなくなります。”



悩めないことや言語化できないことについて卒業研究をしていたときに、

悩めるということは人間にとって常に必要なことなのだろうか?

という疑問が頭の片隅にありました。



悩むという言葉は、本当に面白い言葉だと思います。


一般的に、悩むことはあまりよくない印象を持たれるかもしれません。

くよくよ悩んでいたって先に進めない、と。

一方で学生相談などの心理臨床の世界では、

悩めないことが否定的に捉えられてもいます。

悩むことは青年にとって先に進むための必要な作業なのだと。

さらに一方で、先ほどの精神科医の言葉には、心の深層に首を突っ込むのは必要なときだけでいい、とあります。


果たして悩むというのは、

人生のどのような時に求められ、

どの程度まで心の深層までメスをいれるのが正しいのでしょうか。



個人的には明確な答えがまだ出せません。

書く、悩む、メスをいれる。

人には人のタイミング(時機)があるように私には思われます。