カスパー・ハウザー
1828年に広場で保護された少年。
質問にまともに受け答えが出来ず、保護した衛兵が紙と鉛筆を渡したところ、「カスパー・ハウザー」と書いたという。
少年は大尉あてに手紙を持っており、「誕生日は1812年の4月30日、この子の父は騎兵だったが死亡した。兵士に採用してほしいが手に余れば殺してほしい」と書いてあったそう。
しかし大尉はこの手紙に心当たりが無く、カスパーは孤児として保護されることになりました。
彼は当初、パンと水以外の物は食べられず、与えても吐きだしたそう。また鏡を見たことが無かったようで鏡像を掴もうとしたという。
人間らしさは、無い。
ほぼ野性児。
しかしそんな彼も知識を与えればスポンジが如く吸収し、最初はほとんど麻痺していた感覚も発達し、異様に優れた五感が芽生えた。
暗闇で聖書を読み、色彩を判別する。触るだけで素材を見抜く。遠く離れた蜘蛛の巣の状況を言い当てる等人間業ではなかったそう。
しかしこれらは普通の生活に馴染むにつれて失われていった。が、視力はそのままでした。
こんな彼にいろいろな人が興味を持ちました。
法学者、神学者、教育学者、もちろんメディアからも。
カメラのフラッシュと人々の声。
敏感だった彼は人前に出るのが苦痛だったそう。
しかしそれらも慣れていき、平静を保っていきました。
そして彼は「何年も地下牢に閉じ込められていた。暗く、小さな場所でおもちゃの馬を与えられそこで育っていった」自分の話を少しずつ、少しずつ話し始めましたが、1833年に何者かの手によって暗殺されました。
メディアやその名前、顔が人前に出るにつれ「バーデン大公」に顔が似ていると噂されるようになり、これが切欠で暗殺されたと推測されます。
彼の血痕や毛髪を分析してもバーデン大国王とは関係が無いとの結果でしたが、指紋はバーデン大公の子孫とかなり一致したそう。
またナポレオンと妃との隠し子ではないかとも言われています。
現にナポレオンは政治的策略として自分の妻の姪を大公と結婚させており、接点はあります。
またもしナポレオンと妃の間に子が出来たとなるとどちらも不利になることがあるので結果地下に閉じ込めた。
1816年、ライン川の上流から「…私は、ラウフェンブルクの近くのある地下牢に囚われている。…この地下牢は、地面の下にあり、私の王位を奪ったものにも知られていない…」という内容の手紙が流れてきたという話があり、なかなか確実めいたものがあります。