9プラインシプルズ,伊藤穰一の本はやっぱりすごい
※今回のブログは、かなり雑なので、読まない方がいいかも
なんか途中で思いついてしまったので、、
史上最も高名な発明家、技師、技術家たちの多くは、自分自身の成果が持つポテンシャルを理解し損ねた。実はもし歴史が指針となるなら、ある技術にいちばん近いところにいる人々こそが、その最終的な用途をいちばん予測できないらしい。p.17
伊藤穰一が書く、新書の「はじめに」はこのような文章が書かれている。
「映画」の最初の技術を発明したリュミエール兄弟だが、
映画が一大産業になることは気付けなかった。
エジソンは、「蓄音機」を発明したが、
それを「レコード産業」にしたのはエルドリッジ・リーブス・ジョンソンだ。
世界最初で最大のコンピュータ企業を作ったDECのケン・オルソンは、
「どんな家庭であれ家庭にコンピュータを持つべき理由などない」と述べた。
けっきょくのところ、技術は単なる道具でしかないからだ
ー人間のアイデアによって活力を得るまでは、役立たずの動かない物体でしかない。
生命は、誕生してから脳を持つまで35億年かかった。
数千年前にやっと人類は、文明を生んだ。
数百年前に産業革命が始まった。
現代は、二つの革命が同時期にやってきた。
ムーアの法則によるデジタルの革命だ。半導体の処理能力が指数関数的に上昇している。
さらにインターネット革命の時代でもある。
僕たちが中学生の時には、電車の中でYouTubeをすぐに読み込んでみれるなんて思いもしなかった。
SF作家ウィリアム・ギブスン はかつてこう語った。
「未来はすでにここにある。単に均等に分配されてないだけだ。」
これは単なる気の利いた洞察にとどまらない、文句なしの真実だ。本書の著者二人が故郷と呼ぶ都市ボストンですら、マサチューセッツ工科大学(MIT)の騒然とした研究室から、ほんの川向こうにある予算不足の公立小学校まで車を走らせるわずかな時間の間に、何十年もの進歩があっさり消え去ってしまった印象さえ受ける。
未来予測家は、今まで人類に何人も登場したし、たまに成功したり、たまに失敗してきた。
俺は、未来を予測したいとは思ったことなんてない。
それはSF作家やディレクターがやってくれればいい。
ただ、俺がやってみたいことは、まさにウィリアムギブスンが言ったこと。
俺は、「未来を均等に分配したい」ということ。
より未来を分配できれば、未来を知ることのできる人が増える。
そしたら、最初にあった通り、技術がただの技術では終わらなくなる。
技術は、みんなによって考えられて、解決されるものとして活用されるかもしれない。
この本によると、AIは、より就職の採用を生産的にしていくみたいだ。
新卒採用はそもそも効率的なのかすら、これからは危うくなる。
50歳のおばさんを採用した方が、現場の意見をより聞けると判断する人工知能も増える可能性だってある。中学生の天才プログラマーを雇った方がいいですっていうかもしれないし、新卒よりも退職した元技師の方がいいですっていうかもしれない。
同じように、誰が技術を社会のために活用させるアイデアを持っているのかもわからない。
より多くの人に、未来のための技術を広め、それをみんなにみてもらって、みんなで新しいアイデアを考えるような場があったら面白いって思う。
母親が言ってた言葉がある
「SFって未来が見えるじゃん。なんか未来に希望が持てるよね。」
that's it thank you.