令和3年9月16日(木)『歌舞伎座3部、四谷怪談を再見』
仁左衛門の伊右衛門、玉三郎のお岩での四谷怪談である。歌舞伎ファン必見、今後みられるかどうか分からないから尚更見なければならない舞台だ。2回目の拝見だが、今日も怖かった。玉三郎の演技が、舞台を支配していて、武家の娘のお岩が、育ちの矜持を、決して失うことなく、亭主の聟、伊右衛門に暴力を振るわれても耐え、けなげに夫に尽くす気持ちを忘れないで、演技しているから怖いのだ。
お岩に降りかかる災難が、余りに理不尽で、一方的に踏みにじられるので、観客は、お岩の心に同化して、怒りを貯めていく。伊藤家から与えられた、産後の肥立ちが悪い時に飲む薬が、実は顔を崩し、髪を抜けさせる薬であった事を知り、夫伊右衛門が、自分を裏切り、宅悦に不義を持ちかけさせ、自分を追放させる狙いがあった事を知り、観客は怒りに震え、更には、自分を追放した後には、隣家の伊藤家の娘が後添えに入ることになっている事を知り、逆上し、宅悦と争ううちに、刀で喉をつき、死んでしまうので、恐怖に包まれるのだ。
お岩の、失意と、怒りに満ちたままの非業の最後である。ここまでの舞台の進行が、大変リアルで、玉三郎が決して動きで怒りを見せるのではなく、内面で沸沸と怒りを燃やしているので、その哀れで、悲しい姿が、恐怖を感じさせたのだと思う。
仁左衛門の伊右衛門は、幕が開くと同時に、傘張をしているのだが、その様子がいかにも、生活に苦しんでいて、今の生活に辟易し、貧乏の最中に子供を産んだお岩を、疎ましく感じているのだ。赤ん坊が、泣き声をあげた時に、お岩が寝ている別室を睨みつける表情の厳しさ、伊藤家の使者が来ると知った時に、居住まいを正し、礼儀正しく接する言葉と、体の動きの丁寧さ、伊藤家の使者が帰った後の、ちょっと横を向いた時のふてぶてしい表情の変化も手ごわい。伊右衛門は、自らお岩を殺す気持ちはなかったのだが、民谷家に婿に入り、これで生活が保障されホッとしたのに、まさかの塩谷家の改易で、浪人となってしまった。極貧の生活に自分のせいではないのに、追い込まれてしまった。その貧乏な生活の中で、お岩に子供が出来、泣き出すと、煩くて、精神を混乱させるのだ。お岩も産後の肥立ちが悪く、寝込んだまま。生活面の苦しさだけでなく、精神面をも苦しくさせているのだ。そこに舞い込んだ、隣家の娘が自分を好きになり、結婚したいという話が持ち込まれる。塩谷家の家来だったが、塩冶の敵に当たる吉良家に仕官する道も生まれる。伊藤家の娘をもらえば、そのまま伊藤家の主人になり、吉良家に仕え、俸禄をもらえるのだ。こんなうまい話はない。でも、伊右衛門は、私には女房がいるので、無理だとは言うのだ。でも伊藤家はしたたかだ。産後の肥立ちの悪さに効くという薬は、実は顔を変形させる薬だったのだ。ここまできてようやく伊右衛門は、お岩と離縁し、伊藤家の娘と結婚する事を約束するのだった。困窮した伊右衛門には、吉良家に仕官することなどは、塩谷家を裏切る不忠の行動などとは、これっぽっちも思っていない。姦計を持ってお岩と離縁できるように企むのだが、お岩は誤って刃で首を斬り絶命、これも伊右衛門が殺したわけではないのだ。四谷怪談は、こうした敵役の伊右衛門にも、救いを与えているところが、怖さを倍増させるのだ。徹底した敵役で、悪事を、何もかも自分で計画を立て、お岩を殺すのであれば、これほどの怖さは感じなかったかもしれない。南北の筆先がジワっと光った舞台だった。