令和3年11月12日(金)『国立劇場、一谷嫩軍記』
12時から国立劇場の一谷嫩軍記を見る。芝翫にとっては、三度目の熊谷直実である。熊谷を演ずるのに、芝翫型と團十郎型があり、両方観てきたが、いつも見る團十郎型では、最後花道に熊谷がでて、「十六年は一昔
、と言い、花道を進むのだが、芝翫型は、舞台で、このセリフを言い、絵面の見得で、幕が引かれる。この他にも、制札をもっての見得も形が異なるなど、様々な点で、型の違いがある。
私が一番違うと思うのは、團十郎型では熊谷は白く顔を塗るのに対して、芝翫型では、かなり濃い赤いメイクで、初めから登場する事だ。二つの型では、顔の色が、大きく異なり、なぜ芝翫型では、赤に塗るのか、これ迄不思議に思っていたが、今回当代の芝翫による一谷嫩軍記を観て、何故赤い顔に塗るのか、その理由が分かった。それは、怒りや悲しみを内面に押しこんだ白塗りの顔ではなくて、怒りの心を表に出した赤ッ面だったのだ。
私は、この芝居、封建時代の武士の主従関係の中で、主人の命令を、自分の意に反しても、武士の掟を果たさねばならぬ、ある武士の、運命の悲劇のドラマだと思っていたのだが、今回の芝翫の熊谷を見て、赤い顔には、封建体制の中に生きる武士の、主従関係の中での理不尽な命令に対する、すさまじい怒りを象徴していると思った。主人源義経の「一枝を切れば、一指を切れ」という密かな指示、実は敦盛の命を助ける代わりに、お前の息子小次郎の首を斬り、差し出せという事実上の命令を、いかに主従関係にあると言えど、武士の自分に命令する事への、強い怒りの象徴としての赤ッ面だと思った。
敦盛の命を助けるのは、舞台上で、白塗りの顔色一つ変えずに、成り行きを見守る義経の,きわめて政治的な意図を持った命令である。義経は、平家を滅ぼした後に、後白河法皇に取り入って天下を狙う意図を持っていて、後白河院の子供である敦盛の命を助けるという政治的な狙いを持っている事に、熊谷は気が付いていた。直実が差し出した首桶の中、小次郎の首を見ても、表情を変えずに、敦盛の首に相違ないという義経の態度に、直実は怒りの表情で迫まる。ここで、義経が、これは敦盛の首ではないと言ったら、義経を取り抑えて殺す位の迫力を、芝翫の熊谷には感じた。
直実は、この後、仏門に入るが、「義経、お前への役割を果たした、もうお前とはお別れだ、いや、お前とはもう絶縁だ」、という怒りの決別に見えた。陣ブレの鐘太鼓があっても、もうお坊さんになった、源平どちらが勝とうと、もう私には関係ない。義経さん、あなたは優秀な武将を一人失ったな、義経さん、あとは他人だ、勝手にやってくれ」、と暗に言っている僧形だと思う。悲しみの余り僧になったのではない、理不尽な封建制度の中の武士の主従関係への決別のために僧になったのだと、芝翫の今回の一谷嫩軍記を見て確信した。
武士であるから、主従関係の中で、主人の命令に、理不尽だと思っても従うが、役割を果たしたら、こんな馬鹿げた、自分本位の主人に仕える必要はない。政治的な野望を達成するためには、家臣が犠牲になるのは当然と考える暴君、義経と決別するための僧になったのだ。坊主になって出家し、義経の呪縛から離れるという決断をしたのだ。この先、義経が奥州で頼朝に討たれた時に、直実は、しみじみと高笑いしたのではないかと思う。
今回の芝翫の直実は、表情がリアルで、きまりがきっぱりとしていて、見得も力強く、武士の凄みのある怒りを、じわじわと感じさせた舞台だと思った。