きょうはベルサイユは
あけましておめでとうございます。
令和4年、五黄の寅の年の幕開け。
毎年、1月1日は身が引き締まる思いがします。
本年も宜しくお願い申し上げます。
さて、1772年1月1日のヴェルサイユ宮殿で最も注目を集めていたのは、王太子妃マリー=アントワネットがデュ・バリー伯爵夫人に声を掛けるかです。
王妃を亡くした国王ルイ15世の公式寵姫として宮廷一の権勢を誇っていたデュ・バリー夫人ですが、王太子妃マリー=アントワネットの登場で、ルイ15世の王女たちとショワズール公爵を中心とするアントワネット派と、リシュリュー公爵を初めとするデュ・バリー派に廷臣たちを二分する勢力争いに発展しました。
身分の高い者から声を掛けないとならないヴェルサイユのエチケットにより、アントワネットと話すこともできないデュ・バリー夫人の受けた屈辱は、ショワズール公爵を失脚させ、アントワネットの故国オーストリアとの同名決裂が示唆されるほど大きな問題になってしまいます。
前年に一度、アントワネットが声を掛ける機会は作られましたが王女たちの妨げで失われ、新年のこの日、再びの機会が作られたのでした。
「今日はベルサイユもたいへんな賑わいですこと(イリ・ヤ・フル・ス・ソワール・ア・ヴェルサイユ)」(「マリー・アントワネット」 シュテファン・ツヴァイク著 中野京子訳 https://www.kadokawa.co.jp/product/200601000218/ )と、アントワネットは七つの言葉を口にします。
オーストリアには存在しない公式寵姫、母マリア=テレジアが懲罰を与えて厚生施設に入れていた娼婦、デュ・バリー夫人は幼いアントワネットには嫌悪の対象でしかなかったでしょう。
『ベルサイユのばら』コミック第1巻にも、このエピソードがあります。
「きょうは・・・ベ・・・ルサイユはたいへんな人ですこと!」
アントワネットの一言に勝ち誇って高笑いをするデュ・バリー夫人は、悪女そのものに見えました。
実際のデュ・バリー夫人は、人情味のある温かい人柄に魅力があったといいます。
彼女は革命勃発後には亡命貴族の保護に奔走しました。
ルイ15世の宮廷で対立したアントワネットとデュ・バリー夫人ですが、革命派の市民には同じヴェルサイユ宮殿の貴族でしかなかったとは皮肉なことです。