選択の責任主体
九重に伸びる日蔭の蔓かな 高資
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蔦は日陰を選ぶのでしょうか?
冬枯れの死の世界に命の煌きを輝かせる・・・
誰にも認められず、愛でられもせず 命を寿ぐ様は癒しそのもの。
幼子が、小さな生き物が 無心に 今生きていることの喜びを表現する。
ただ自分を生きる姿こそ 癒しそのもの。
愛とは何か?の問いへの答えが「命」 。その意味がよくわかる気がします。
かすかなる鈴の音色や栃の花 高資
栃咲いて色に分かれる御水(みもい)かな 高資
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これが安心立命の一つの姿かもしれません。
宇宙と響きあい 内の自然の意志のままに芽吹き 命を輝かす。
ありのまま自然のままで宇宙と響きあう故、自然は美しいのでしょうか。
人間は優劣で 様々なことを評価します。
優の字は 人が憂うと書いて優れている、優しいと読み 劣の字は少ない力、力まない、ありのまま・・・それなのに劣ると読む。
優の字は大人イメージ、劣の字は子どもイメージ
人間は優を求め、劣を軽んじる。
裸の自分を恥じ ありのままの在り方を蔑む。
だから自然を失ったのでしょうか?
幼子の持つ無条件の愛と信頼を失ったのでしょうか?
聖書はその姿を「死」と呼びます。
自分を守る鎧を脱ぎましょう。
勝手にラベリングされたパーソナリティ(仮面・社会的アイディンティティ)から自由になりましょう。
ありのまま。自然を取り戻しましょう。
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創世記第 3 章
1 さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も・・であった。へびは女に言った、「園にあるどの木からも取って食べるなと、ほんとうに神が言われたのですか」。
2 女はへびに言った、「わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、
3 ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました」。
4 へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。
5 それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。
6 女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
7 すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。
8 彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。
9 主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。
10 彼は答えた、「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです」。
11 神は言われた、「あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」。
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山茶花の白を映せる斎つ葉かな 高資
山茶花の白に入口ありにけり 高資
山茶花の渦に極まる黄金かな 高資
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「幸せも・苦しみも自分の選択だ」と言えば どのように思われるでしょうか?。
「可愛い子には旅をさせろ、」「若い頃の苦しみは買ってでもしろ」ってお聞きになったことありますよね。
本当に 苦しみは買う価値があるのでしょうか?
苦しみって何でしょう?
自分が作り出していると言ったらどのように思われますか?
卑近な例で説明しますと のどが渇いて 水を探すとします。
コップに半分の量が入った水が見つかりました。
これを観て「半分しかない」は苦しみを選択することにり「半分もあるは」楽しみを選択することになります。
でき事は受け取る自分の選択次第で 苦・楽が決まると言えます。
(価値は自分が決めるものとも言えます。)苦楽表裏一体です。
であれば 人生・自由自在なはずです。
このことを人間関係の原型とも言える親子関係で見てみたいと思います。
幼い頃 母を無くするとします。 こんなこと誰でも起こって欲しくないことですよね。
殆どの人にとって苦しみです。
幼い時に目の前で母を交通事故で亡くし 哀れな子として生き、40歳を過ぎても閉じこもったままの男性を知っています。
亡くなった母に執着し 父の愛も、新しい母の愛も受け取る意志を持たないで被害者として生き続けてきました。
また 死産をした女性が 亡くなった子以外の 健康に生まれた子どもを愛することができず育児放棄せずにはおれないケースを幾例も知っています。
多くの場合 母としての自責の念が 亡くなった子への執着心に繋がります。執着心は過去に生きる在り方と言えます。
みなさんは筋肉トレーニングを知っていらっしゃいますね?
使うほどに筋肉は強くなります。
楽をして身体を動かさなければ 身体の機能は停滞し、遂には使わない機能は失われてしまいます。
楽の裏の苦しみを示唆します。
転ばぬ先の杖を用意する子育てに警鐘が鳴らされています。
過保護過干渉な大人が 子どもが失敗から学ぶチャンスを奪い取り、ストレスに弱い 軟弱な子
ども 新型鬱の予備軍育てをしているからです。
子どものために心を砕いて 慈悲を注いでいるかのような錯覚を持ち、ありのままの子どもを尊重しないで 自分の枠にはめようとするからです。
そのような関わりからは真楽は生まれません。
一方子どもは 親の関心を貪るために 相手の期待先取りで 頑張ります。
いい子が危ないと言われてきた所以です。
いい子とは普通周りの大人にとって都合のいい子を指します。
楽の裏の苦に警鐘が鳴らされているとも言えます。
ネグレクトも溺愛も 愛の誤用
誤った愛 誤った楽の追及 つまり アブ(否定の接頭語)・ユース=アビューズ、虐待です。 現在を生きて 要約 楽は訪れます。
真実の楽を模索する 親子関係こそ 四無量心への誘いとなるのではないでしょうか?
花馬酔木こぼれて香る昼間かな 高資
facebook・五島 秀一さん投稿記事
【一つ散って、一つ咲く‼️】
ディコリサンドラシルシフローラ……
何と可憐で、不思議な花だろう❗️
『何かが失われる時、何かが備わる❗️』
散るものに目を奪われれば、心に悲観が、生まれ出づるものに心を振り向ければ、大いなる楽観が生まれる!
腸の中には、70%の日和見菌がいるが、この巨大なマーケットを善に変えるのは、わずか20%の善玉菌の巨大な、善の意志なのだ!
『だから、夢をあきらめないで……
この世に美しいものがある限り、決して夢をあきらめないで……
日々の成果よりも、心に刻み込んだ決心を大切に生きて……』
『嫌いな事に耐え続ける事が重要なのではない!
心を常に若々しく保ち続ける事が、重要なのだ!』
来年は、(4/5)この能の舞台で、気の舞い、をやろう‼️
義経と静御前をテーマにしたらどうだろう⁉️
その時僕は、何を感じるだろう⁉️
その時僕は、何を舞うだろう⁉️
facebook・マインドフルネス・トピックス投稿記事
トラウマなど存在しません
「過去」は自分の意思で意味づけをできるもの
岸見 一郎
「両親が離婚しているので、結婚できない」「子どもの時に母親から虐待を受けたから、子どもを産む自信がない」。子どもの頃のこのような体験が“トラウマ(心的外傷)”になって、結婚や出産をためらっている。このような相談をよく受けます。
トラウマやPTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉が日本でよく使われるようになったのは、1995年の阪神大震災以降のことです。大きな自然災害、事故、事件などに遭遇することで心が傷つけられた人は、強い抑うつ、不安、不眠、悪夢、恐怖、無力感、戦慄などの症状が起こるというのです。
たしかに強いショックを受けたことは事実ですが、その後の人生で行き詰まった時、そのことすべてをトラウマによると考えることに問題はないでしょうか。結婚や出産をためらうのは、本当に、トラウマのせいなのでしょうか。そもそもそのトラウマは本当でしょうか?
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00059/073100134/?n_cid=nbponb_fbbn&fbclid=IwAR1qiJYENvBi8F0Itoe0zOYM4TCKTGUHCTQyWYT0GPCJ25mHrGYrWNFs7T8