阿吽の呼吸
短日を燈して五條天神社 高資
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ダイヤモンド・オンラインの「ヒトの白目はなぜ白いのか」という記事を興味深く読みました。
白目にはどんな表現や慣用句があるでしょうか? 「白い目で見る(白眼視)」は、相手に冷淡な意思を示すこと「目を白黒させる」は、せわしなく目を動かす様子から、驚きや狼狽を示します。ヒトにとって目は「見る」ための器官であると同時に、「示す」ための器官なのです。それは、「敵意」や「不快感」だけでなく、「誠意」や「好意」、「同意」や「疑問」といった様々な意思や感情を伝達するシグナルを発しうるのです。
視線によるコミュニケーション
ヒトの黒目は黒いので、白目が白いことによってそれが際立ちます。だから目の向き、つまり「視線」がよくわかります。
「目は口ほどにものを言う」という言葉通り、ノンバーバル(非言語)コミュニケーションの代表格が、視線です。
ヒトは、
・フィードバックを求めるとき
・連絡をとりたいとき
・好意を示すとき
・敵意を示すとき
にアイコンタクトを取り(視線を合わせ)、親しさや好意が増すと、アイコンタクト時間が増えます。同時に、相手の視線を適度に回避することで、親しさの程度を正確に相手に伝えてもいます。
ヒトは濃密な「視線によるコミュニケーション」を黒目と白目のコントラストによって成立させているのです。
ヒトの白目にあたる部分は「強膜(きょうまく)」と呼びます。
同じ霊長類のゴリラもチンパンジーもすべてのサルの強膜は、茶褐色です。 強膜が白いと、「視線がバレ」ます。 視線によって、相手に自分の次の行動がわかってしまいます。 生き残るために、敵との戦いを有利にするために、「すべてのサルの強膜は黒い」のです。
ヒトの白目が白いのは、文字通り「目にものを言わせる」ため。
ヒトから人間になったため
そしてそれは、力やスピードでなく智慧で戦うことを選択した、ヒトという霊長類の特殊な武器だったのです。
しかし人間は進化の過程と共にノンバーバル(非言語)コミュニケーション力を失ってしまいました。 阿吽の呼吸が失われたのです。
茅葺の涼しかりける内裏かな 高資
片蔭に将門の眼こそ鋭けれ 高資
日盛りや剣璽は闇に眠りたる 高資
私たちが外界と出会うとき、五感の中で一番エネルギーを使うのが視覚です。(もちろんどのサブモダリティが優位かは 人それぞれ異なるとは言われますが) エネルギーが高いところに意識は傾きます。
白眼!!!焦点付けしないで見ていると 視界は閉じ、分別する意識は遠ざかり、宇宙と一つになったようなトランス感覚が訪れます。
仏も半眼。見極めようとする貪欲から解放されるとき 自然の実りに守られているわが身を知るのかもしれません。
雲合ひに半眼となる西日かな 高資
半眼になると 全体が見えますよね。すべてを照らし続けた太陽が その日の締めくくりに 半眼ですべてを見渡す。。。自然の守りの中で生かされる命。感謝の夕べです。
石南花に寄り添ふ獅子の親子かな 高資
吽形の獅子石南花を守りけり 高資
石南花の紫立ちて甘露かな 高資ー 場所: 大宝八幡宮
竹内文書によれば、石南花茶が不老不死の妙薬として記されています。もっとも毒があるのでその製法には注意が必要で、採集場所や葉の年数なども重要です。狛犬の威厳がそれを示しているようでした。
阿吽の呼吸をインターネット検索すると
① (仏教語)密教の教えで天地一切のものの初めと終わりを表す根本原理
② 吐く息と吸う息
③ 相対するふたつのものを表す。表裏・善悪など
※梵語の音訳「あ」は口を開いて出す音、「うん」は口を閉じて出す音
と要約できそうです。
「阿吽」と言えば東大寺の南大門の「阿吽像」が思い出されます。
阿吽の呼吸の 阿は Α α alpha. アルファ 吽は Ω ω omega. オメガといわれています。
また聖書では神は始めであり終わりである方といわれています。
(新約聖書の「ヨハネの黙示録」(1章8節、21章6節、22章13節)
阿吽の呼吸が神なのでしょうか?
神はゼロ、空、無限、点であり円??
私の理解する阿吽の呼吸はエネルギー感覚、第六感と言えます。
幼子や動物たちと共にいると気配ですべてを察知してしまいます。
言葉の獲得はエネルギー感覚の喪失、左脳の活性化は右脳の非活性化を伴うようです。
木苺や白眼御門を守りたる 高資