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創造エネルギーは「言葉・言波・事波」・礼&拝

2019.08.25 09:54

落ち合ひて竜頭の滝の水澄めり  高資  

石走る竜頭の滝の巴かな  高資ー 場所: 竜頭の滝 

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左の河から白龍が滑り降りてくる感じ・・右の河にはもう一頭の昇り龍が見えます。 循環しているのでしょうか。 私が観る竜はいつも2頭セットです。 但し手水舎の竜は一頭ですが・・・ 二頭の竜はメビウス運動 自転・公転は宇宙の公理です。メビウス回転は宇宙を含む自然界に存在するリズムであり 水のメビウス回転の中から命が生まれたといわれます。

地に残る寒さや龍の目の行方 五島高資 

禅林に有るか無きかも麗らかな 五島高資

神話の世界でも 水の渦から世界が生まれたと考えられています。今から36億年前ごろ、原始の海が誕生し、陸地ができそこに雨が降り地下と地表の間で水が メビウスに回転し、循環をはじめました。水が8の字に運動することでマイナスイオンを帯び始め、そこから地球最初の生命が誕生し たのではないかと唱える学者がいます。 確かに 森羅万象の背後には必ず メビウス運動、らせん運動があり、すべての生命は このリズムに共鳴しています。    

 メビウス運動は無限大を意味するとともに、渦巻き(ボルテックス)模様を平面的に表現したものです。 ボルテックスとは、もともとは「回る」「回転する」という意味で、物体が螺旋(らせん)状にうずを巻く状態を指します。 

万有引力の法則の発見で有名な、イギリスの大科学者アイザック・ニュートンの逸話に、次のようなものがあります。

 ある時ニュートンは、腕ききの機械工に、太陽系の模型を作らせました。その模型は、歯車とベルトの働きで、各惑星が動く仕掛けになっている精巧なもので、ニュートンの部屋の大テーブルの上に置かれました。

 ある日、ニュートンがその部屋で読書をしていた時、ひとりの友人がやって来ました。彼は無神論者でしたが、科学者だったので、テーブルの上のものを見て、すぐそれが太陽系の模型であることを見てとりました。 彼は模型に近づくと、模型についているクランク(手動用金具)を、ゆっくり回しました。すると、模型の各惑星が、様々な速度で太陽のまわりを回転するのでした。それを見た彼は、いかにも驚いた様子で、 「うーむ。実に見事だ。誰が作ったんだい」 と尋ねました。ニュートンは本から目を離さずに、 「誰でもないさ」 と答えました。 

「おいおい、君はぼくの質問がわからなかったらしいな。ぼくは、誰がこれを作ったのかと聞いたんだよ」。 するとニュートンは、本から顔を上げて、まじめくさった調子で、これは誰が作ったのでもない、いろいろな物が集まって、たまたまこんな形になったのだ、と言いました。

しかし驚いた無神論者は、やや興奮した口調で、言い返しました。 「ニュートン君、人をばかにしないでくれ。誰かが作ったのに決まってるじゃないか。これを作ったのは、なかなかの天才だよ。それは誰かと聞いているんだ」。 ニュートンは本をかたわらに置き、椅子から立ち、友人の肩に手を置いて、言いました。 「これは、壮大な太陽系を模して作った粗末な模型でしかない。太陽系を支配する驚くべき法則は、君も知っているはずだ。 それを模して作ったこの単なるおもちゃが、設計者も製作者もなく、ひとりでに出来たと言っても、君は信じない。ところが君は、この元になった偉大な本物の太陽系が、設計者も製作者もなく出現したと言う。いったい何故、そんな不統一な結論になるのか説明してくれたまえ」。 

こうしてニュートンは、宇宙の背後に、知性を有する偉大な創造者がおられることを、友人に得心させたということです(『ミネソタ工芸より)。

 ニュートンは、その著書『プリンキピア』の中で、次のように書きました。 「太陽、惑星、彗星から成る極めて美しい天体系は、知性を有する強力な実在者の意図と統御があって、初めて存在するようになったとしか言いようがない。・・・・至上の神は、永遠、無窮、全く完全なかたであられる」。 http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/kagaku02.htm 

 それでは 太陽系の設計者・製作者とは?創造主・神とは?どのような方なのでしょう? 

(ヨハネ福音書 1:1~1:5 ) 初めに言葉があった。 言葉は神と共にあった。 言葉は神であった。 

この言葉は、初めに神と共にあった。 万物は言葉によって成った。 成ったもので言葉によらずに成ったものは ひとつもなかった。 言葉のうちに命があった。 命は人間を照らす光であった。 光は暗闇の中で輝いている。 暗闇は、光を理解しなかった。 

 (創世記1:1~1:5 ) 初めに神は天と地を創造された。 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、 神の霊が水の面を動いていた。 神は言われた。 「光あれ」 こうして光があった。 神は光を見て善しとされた。 神は光と闇を分け、光を昼と名づけ、 闇を夜とされた。 夕べがあり、朝があった。 第一日目のことである。 旧・新約聖書における 創造エネルギーは「言葉・言波・事波」であると言えます。

大南風雲中供養菩薩かな/高資

礼&拝

ダンワールドでいう「バウメディテーション」、チベット密教での「五体投地」をイメージしてください。

手順

1.まっすぐ立って 天地を繋げるイメージをする。(百会から気運の柱を建てる)

2.地のエネルギーを感じながら 両手を肩の高さまで持ち上げる。

3.手の平を天に向け 天のエネルギーを受ける積りで 大きく回し 頭上で合掌する。

4.合掌して両手を 正中線にそって胸までおろし お辞儀をする。

5.合掌したまま跪き、正座。両腕を前に滑らして 地に額を付ける。

6.そのままの姿勢で両肘を立て、掌を天に向け 天のエネルギーを受ける。

7.合掌しながら立ち上がる。

 (1から7を繰り返す。)


フィジカル効果

全ての骨と筋肉が自然に、全部動くように なっています。特に濁ったエネルギーの溜まりやすい関節を刺激するのでエネルギーが浄化されます。

目を閉じてすると 片方に偏ることがあります。

これは、骨盤、脊椎、肩、首などが曲がっている、あるいは身体が正しい状態になっていないことから起こる現象です。

この時、曲がる側は緩んでいて、反対側は硬く緊張しています。現在人の大部分が左右の均衡がとれていない状態ですが、この動作を通して、正常な均衡状態に戻ることができます。

 

エネルギー効果

礼&拝をする時、血はうずくまると頭に上り、立ちあがると足の方に下がり、気血の循環が起こり、胸と背中を通る大きな経絡(任脈・督脈)がスムーズに流れるようになります。

力を抜いた状態で礼&拝をすると、血流は毛細血管まで 十分にうまく流れ、力を入れると強く流れるようになります。全てのものが循環し、循環させることができるという法則がここに含まれています。

礼&拝は早く行うこともできますし、普通の速度で、あるいはゆっくり行うこともできます。

早く行うと、気的な感覚は感じられませんが 汗が出て細胞が生き返ります。普通の速さで行うと、気が若干感じられます。エネルギーダンスをするように 気の感じに乗って行うと、気的な感覚が全て甦ります。

 

メンタル効果

怒ったままで礼&拝をする人はいません。

「伏し拝み、ひれ伏す姿勢」を取り続けると 自然に謙虚な気持ちになります。

自分にある観念と利己心、慢心、恨みを 捨てようという心が育ち平安な心を持つようになります。

スピリチュァル効果

マントラ、お経などを唱えながら メディテーションをします。言霊といわれるがごとく 一語一語の波動を味わいながら内なる律呂を開放します。

また波動を響かせることは 潜在意識へ通じる扉(身体)を開くことになります。ゆったりした動きに伴う身体意識の目覚めとコアマテリァル(自分で気づいていない信じ込み、固定観念)への気付きにフォーカスするハコミセラピー的効果も期待できます。 


色眼鏡    

私たちは過去の経験から色々な信じ込みを持ちます。

信じ込みというその色眼鏡で、未来を制限し、縛ります。

その色眼鏡は「未知」さえも「慣れ親しんだ景色」に変え「安全感の代価」に「わくわくする冒険心を払わせます。」

人は脳を3%、多くても5%しか使わないで世を去ると言われます。眠っている脳・潜在意識を活用できればどれほどパワフルな人生を歩むことができることでしょう!!

余りにも自分自身の根幹の部分で 不安や恐怖心が働くと色々考えてしまいます。

過去の経験で辛い目にあったとか、似たタイプの人が大変そうだから自分もそうなるのではないか?とか!!

 ……誰もが独自な存在。毎日、毎時、瞬間瞬間生まれ変わっているというのに。  

誰もが日々新た~☆以前のままの自分、過去の枠組みの自分ではないのに・・・過去にどうあったかよりも、これからどうするかを観るだけでいい のにね。

だけど どうすれば色眼鏡を外して「観る」ことができるのでしょう?あるがままを観るにはどうすればいいのでしょう?

いいことだとか、悪いことだとか、損だとか、得だとか、善だとか、悪だとか あらゆる評価をしないでただ観る。

このことが起こったのは何故なのだろう?

どうして今起こっているのだろう?  

何を観るためだろう?

何を学ぶ必要があるのだろう?  

どんなメリットがあるのだろう? 

私の持つ色眼鏡はどんなメガネ?? 

などなど…色々な視点から。

それができるようになると 思考を止めるとことにより直観力を開放する醍醐味を味わうことができるのではないでしょうか?