あぢさゐ
万葉の花とみどり_あぢさゐ 安知佐為 アジサイ
言問わぬ木すら紫陽花諸弟等が 練の村戸にあざむかえけり
大伴家持 巻四 773
『読み』こととわぬきすらあじさいもろとらが ねりのむらとにあざむかえりけり
『歌意』物を言わない木にさえも、アジサイの色のように移ろいやすいものがあります。ましてや、手管に長けた諸弟の言うことに私は簡単に騙されてしまいました。
万葉時代は地味な原種?
花の色が変わっていく、あるいは株により色違いのものが多いとされるアジサイ。歌は色変わりするアジサイをもって、調子よく心変わりする人達を揶揄したものでしょう。色といい形といい、壮麗の感があるアジサイですが、どういうわけか万葉にはわずかに二首しか詠み込まれていないのです。なるほど、植物学辞典を調べてみると、万葉時代にはまだ原種のヤマアジサイやガクアジサイしか存在しておらず、その後品種改良を受けて観賞に耐えるものが増えてきたとされています。原種アジサイは八重咲きのものと比べれば確かに地味なので、現在ほどはもてはやされてはいなかったという考えもありそうです。ところが、アジサイを詠み込んだ次のもう一首では、八重咲きとはっきり歌われています。しかも、この歌は、反逆者として藤原一族に討たれた左大臣橘諸兄が、後に同じ運命を辿ることになる奈良麻呂の庭で詠んだという但し書きがついているのです。邸宅で詠まれたのなら、野生ではない庭植の観賞用花と考えられるのですが…。なお、こんなにも美しい八重咲きのアジサイが、源氏物語や枕草子にも採用されていない理由もいまひとつ理解しがたいものがあります。
紫陽花の八重咲く如く弥つ代にを いませわが背子見つつ偲はむ
橘諸兄 巻二〇 4448
色変わりの花の代表格
アジサイの花の色の変化ですが、長らく土壌の酸性度の違いによるものと、まことしやかに言われてきました。例のリトマス紙の色反応と同様です。しかし、それほど土壌中の酸性度に違いがないと思われる場合の色合いの説明がつかないこともあり、事情は少し違うのではないかと思われます。酸性度による分子構造の変化に加え、土壌中の金属イオン種(主にアルミニウムや鉄)が、色素分子と結合(配位:キレーションという)することで、微妙な色合いを呈するのでないかと考えられます。
シーボルトのアジサイ「オタクサ」
アジサイは日本に古くから自生する世界に誇る国産種です。今や多くの園芸品種があるアジサイですが、日本に自生していた野生株がもとで、外国に渡って品種改良され、逆輸入されるようになっています。ショップで売られている、濃赤色種の西洋アジサイは、在来種にはなかった色で、江戸末期にヨーロッパに渡り品種改良を受けたものなのです。これは、長崎に住んだオランダ商館医師のシーボルト(P.F. von Siebold)を始めとする外国人が、帰国の際に日本在来の植物を持ち帰っていたことと深く関わります。持ち出された植物の中に、やはり国産種のヤマユリやこのアジサイも含まれていたのです。特に、シーボルトらは、著書『フローラヤポニカ(日本植物誌)』に、青紫色のアジサイを紹介しているのですが、和名を「Hydrangea Otaksa(オタクサ)」の名前で栽培していました。この「オタクサ」の意味は長らく不明だったのですが、シーボルトの現地妻、楠本滝の名をとったものであると言われています。シーボルトは、出島の遊郭にいた若干17歳の「滝=おたきさん」を身請して、一緒に暮らしていました。「お滝さん」を溺愛した彼は、最も魅了された日本のアジサイの和名として、その名つけたというのです。植物学者・牧野富太郎は、何か奥深い言語的な理由が込められているのだろうと真面目に研究していましたが、その事実にたどり着いてえらく憤慨したという逸話が残っています。もっとも牧野博士、自身の著書にはvar.otakusa としっかり記しているので、シーボルトとお滝さんとの事情をその後は受容したようです。ちなみに、正式の学名は、ハイドランジェマクロフィラ(Hydrangea macrophylla)で、Hydrangea=「水」と「器」、macrophylla=「大きな葉」という意味。梅雨時の植物としての特色が表現された学名です。
管理者『妬持』の声
紹介歌の「言問わぬ・・・」ですが、初めて読んだときは意味がいまひとつわからなくてあまり好感が持てなかったのですが、何度か目に触れたち声に出したりしているうちに、音というかリズムというか、その不思議な響きがとても魅力的なものとして感じられるようになりました。歌の意味も深長で、色変わりする花から魑魅魍魎たる人間関係をうまく読み解いている秀歌だと思います。