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自分を見失う時・カウンセリング

2019.10.25 13:56

曼荼羅の曼荼羅や結香の花  高資

蘇悉地や結香の花あふれたる  高資       
三椏の花やうつつに弾けたる  高資

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 「自分が変われば,世界が変わります。」良く聞く言葉です。  

この考えだと、「私が、腹立つ人の為に、セラピーを受けたら、相手が変わるって事ですよね? 半信半疑で、セッション受けたけど、相手は変わらないのです。」そんな声が聞こえてきそうです。

セラピーの世界では「過去と相手と客観的出来事を変えることができない」は鉄則です。

変えることができるのは自分だけ。


子ども時代に目の前で 母を交通事故で亡くした40代の男性を知っています。

「母を交通事故でなくする」なんて誰もが起きて欲しくない悲しい出来事です。

それ故に彼は新しい母の愛も拒絶、父も拒絶。閉じこもったままです。

然し「起きて欲しくなかった」とどれほど嘆いても過去を変えることも 出来事を変えることも彼には不可能です。 

では彼の人生は母の死とともに終わってしまうしかないのでしょうか? 

 新しい母の愛、父の愛を受け入れ、自分らしい人生を取り戻すことは不可能なのでしょうか? 

 どのようにすれば自分を取り戻すことができるのでしょう? 

 不慮の事故で愛するものを亡くした人は沢山います。

しかしそんな痛みと悲しみが自分を育てるエネルギーに変えられていったケースを私は幾例も知っています。


何が違うのでしょう?


考えられるのは 潜在意識に閉じ込められた「母を助けることのできなかった自分への怒り」 「母を殺した世界への怒りと拒絶」もしかしたら双方かもしれません。


 「かわいそうな自分」という被害者意識に凝り固まって バランスを取り続けてきたのではないでしょうか?

自分の痛みと怒りを観て 手放す勇気が必要です。  

怒りは二次感情です。

自分が「激しい痛みと嘆き」を瞬時に「怒り」に変え「絶望」に変え 潜在意識に閉じ込めた事実を観る必要があります。

その時の「激しい痛みと嘆き」を顕在意識に昇らせ「涙で浄化」する必要があります。 

それから自分を許すことが始まります。 

自分を許すことが世界を許すことになり 自分と和解することが世界と和解することになり、愛を取り戻すことになるのではないでしょうか? 

「自分が変われば世界が変わる」・…

世界は自分が引き寄せているもの、自分のエネルギーへの共鳴現象といえるのではないでしょうか? 

セラピーは自分のエネルギーを本来の自分に引きもどす働きとも言えます。


ミクシィより

何を思おうが自由である。憎み、蔑もうと誰も非難したり、とがめる人もいない。しかし心で思うことは形となって現れて、いずれ自分に帰ってくる。

この世に与えた物を自分が受け取るのだ。

そしてあなたが心の中で生み出した物をまたあなたは人や出来事から受け取ることになるだろう。 

一人の人間がすべての能力を兼ね備えているとうことはありえない 。

必ず欠点がある 。

従って、事を為すには多くの人間がそれぞれの能力を出し合い、お互いに補いあわなければならない。

その為にはまず自らが何が好きで、どのような能力があるのかを理解しておく必要がある。 安らぎや調和は、自分を本当に愛する時に得られる。

また自分の喜びは他にも転化し、伝わる。

つまり自分を愛することは他を愛することにつながる。

まずは自分を愛し、満たしなさい。

他の物や人であなたを本当に満たすことは出来ない。

でなければあなたは何かに依存する人生を歩むだろう

死生観の検討も癒しになります。

           

夏のある日 らん(犬は)階段をあがれなくなりました。どんなに努力しても足に力が入らなくなったからです。悲しい鳴き声を上げましたが 階下にらんの寝る場所を用意すると 黙ってそこで寝ることに決めました。 自分の死期を悟り、受け入れたからだと思います。

それまでは雷が鳴るとぶるぶる震えていたのに 全く動じなくなりました。 何も怖いものが亡くなったという感じです。 それからは散歩に行っても道の真ん中で伏せこんだり・・・・・ 何も食べられない日が一日。 次の日、私が外出中に命を引き取っていました。 まるで家族の帰りを待ちわびるがごとく、玄関先で遺体となっていました。 「寝ているのか?」と思い、身体に触ると冷たく硬直していました・・・・・ らんの魂は 古い身体を脱ぎ捨て 新しい命を得る準備をしているのでしょうか? 


「奇跡の脳」の著者ジル・ボルト・ティラーさん(左脳出血から立ち直った神経細胞 学者)は  人間の脳は左脳が鎮まるとき「人生の思い出から切り離され、神の恵みのような感覚に浸り、 心が和んでいきました。」「意識は悟りの感覚、 あるいは意識と融合して『ひとつになる』ところ まで高まっていきました。」「心地よいのです。」と 語ります。 考えと感情が止まることは 左脳が鎮まることを意味します。 

泥土(うひじ)より生れて蓮の実飛びにけり  五島高資

散つてなほ十善を持す蓮かな  高資

十界に通ひて蓮の散りにけり  高資

蓮散つて十地を徴す花托かな  高資

”それ”は在る bot@o0690oo

苦しみとはつまり、抵抗である。目の前の人生で起きること、その事象が『これはこうあるべきだ』というあなたの理想と異なる時、そこに抵抗が生まれる。『これはこうあるべきなのに、そうなっていない』『これはこうなってほしいのに、そうならない』これが抵抗であり、抵抗とは苦しみである。

一指李承憲@ILCHIjp

人生が思うようにいかない。何かを逃しているような感じがする。道を見失ってさまよっている気がす。そんなときはしばし立ち止まり、自分の周りや内面で起こっていることを眺めてみる時間が必要です。瞑想は、そんなときのためのものです。瞑想は、現在に完全にとどまることから始まります。

一指李承憲@ILCHIjp

波が押し寄せてきたときに生き残る方法は、逃げたり、よけるのではなく、波の中に入って波に乗ることです。感情もエネルギーです。苦痛や絶望の感情が押し寄せてきたときも、ありのままの自分を認め、夢に向かって積極的に行動してみましょう。

人は誰でも生きている限り様々な痛みに出会います。しかし痛みを「自己成長のバネにする」か「自分を圧倒する心の傷にするか」は 自分の選択です♪

「過去と、相手と、できごとは変えることができない」ということは よく知られていることです。変えることが可能なのは自分の関わり方だけです。

無自覚な痛みは心の傷になり、目に見えないところで膿、様々な症状として現れます。 

自分に目覚めているためにカウンセリングを活用してみませんか?

問題解決  

問題とは何でしょう? 生きている限り私たちは色々な人々、色々な出来事に出会います。起きて欲しくないことも山のように起きてしまいます。一般には意に叶わない全てを問題と呼びます。

問題は「私たちが世界に勝手な価値判断をし、勝手な期待を抱くことによって生まれる」と言えるのではないでしょうか?問題とは期待・自分の望みに反する出来事とも取れます。

問題だと感じた時 自分の問題か、相手の問題かを整理することは大切です。相手に変わって欲しい場合は、コミュニケーションしかありません。

相手を責めるのではなく、アイメッセージで「感じていること、望んでいること、自分にできること」などを伝えましょう。

自分の問題の場合は感情への対処が必要か、事柄への対処が必要かを検討しましょう。

否定的な感情を浄化したい時は怒りを鎮める方法が役に立ちます。

事柄への対処はマインドマップが役立ちます。

【イラショナル・ビリーフ 】

イラショナル・ビリーフ1

自分の周りにいる人々のすべてから、愛されたい・評価されたい。

イラショナル・ビリーフ2

人はすべてのことに完璧でなければならない。そうでなければ、だめな人間である。

イラショナル・ビリーフ3

人はよく考え、不道徳な行動をしてはならない。もしするようであれば、非難される存在である。

イラショナル・ビリーフ4

物事は自分の好むやり方で行われなければならない。もしそうでなかったら、不愉快で恐ろしいことである。  

イラショナル・ビリーフ5

感情が乱れ原因は、外部にあり、嫌な思いに自分からなったのではない。

イラショナル・ビリーフ6

自分に危険が迫ったり、病気になったりしたら、そのことで悩み続けなければならない。それは苦痛であり、恐ろしいことである。

イラショナル・ビリーフ7

重要な責任や難しい事柄に向き合ってはいけない、どうせ失敗するのだから避けるべきである。

イラショナル・ビリーフ8

自分は他人に依存しながらでないと、生きていけない。他者を必要としなければならない。

イラショナル・ビリーフ9

人の過去の出来事が現在の行動の重要な決定につながる 。過去に強い影響を受けたものは永遠に影響をもち続ける。

イラショナル・ビリーフ10

他人に不安なことがおこったら、自分も不安になったり、怯えたりするべきである。

イラショナル・ビリーフ11

人の問題には、正しく、適切な解決策があり、その解決策が見つからないことは恐ろしい。

以上、11のイラショナル・ビリーフはエリスが数年間の論理療法を用いた、クライエント達から集めたものである。

     参考文献:日本カウンセリング学会第37回大会 

せせらぎに身はうつせみのあきつかな  高資

空蝉に残る光の欠片かな  五島高資