【水彩画家のかとうくみさん】本当にやりたいこと
――― ジョンソン&ジョンソンの内定をもらっていたのに、留年が決まってしまったあとはどうされたのですか?
かとう その留年の1年間で、今さらなんですけど「私って本当は何がしたいんだろう」って考え直したんですね。
――― 自分を見つめなおす期間になったのですね。
かとう はい。それで、私が考えに考え抜いて出した結論は、やっぱり絵を描くことだったんですよ。
でも私はそれまでに何か作品を残してきたわけでもないので、絵関係の仕事を見つけるのは絶望的でした。
ある時、ニュースステーションを見ていたら久米宏さんが何かの説明にフリップを使っていたんですけど、「あのフリップを自分が描きたいな」って思ったんですよ。
――― またニッチなところに目をつけましたね。
かとう それで、たまたま日テレの関連会社がテロップ制作の募集をかけていて、そこに申し込んだら受かってしまったんです。
ただし、「君には筆は持たせられないから営業しなさい」って言われまして。
――― それでもその会社にご入社されたのですね。
かとう はい。そこで2年ぐらいは働かせていただいたんですが、最後まで絵は描かせていただけませんでした。
ただ、色んなテロップのパターンを見ることができたので、「こうやると確かにヨーロッパっぽいな」とか、「この色使うとアメリカだ!」みたいな気づきをたくさん得られました。
↓テロップ制作会社時代のかとうさん
――― 絵の引き出しが増えたのですね。
かとう はい。それで結婚を期に藤沢に戻ってきたんですが、駅の近くに藤沢ケーブルテレビがあったので、そこで働くことになりました。
ある時、制作部長に「私にテロップを描かせてください!」とお願いしたら、「描けるの?」って聞かれて。
「いや描けないんですけど、もしアリなら描かせてください」って言ってみたら、「じゃあ人いないからやって!」と。
――― 小さい会社の特権ですね。
かとう そうそう!その当時は「誰でも良いからやって!」みたいな会社で(笑)
簡単なものから始めてみたら評判が良かったみたいで、ある時、毎月発行されるケーブルテレビの番組表を任せていただきました。
自分が描いたものが印刷されることがあまりにも嬉しくて、絵のことをもっと本格的に学びたいと思うようになりました。
↓藤沢ケーブルテレビ時代のかとうさん
↓当時描いていた番組表の表紙の絵
――― かとうさんにとっては、印刷されるということが特別なことだったのですね。
かとう もちろん個展とかで作品や原画を観に来ていただくことも喜びなんですけど、実は文庫本の表紙とか、CDジャケットになるとか、そういうことが一番嬉しいかも知れません。
――― かとうさんは映画がお好きじゃないですか。もし映画のDVDパッケージとかできたら最高ですね。
かとう あー!もう!それすっごい嬉しいです!超アドレナリン放出でしょうね(笑)
――― ちなみに藤沢ケーブルテレビでは何年ぐらいお仕事されたのですか。
かとう そこには4年ぐらいいて、その後は絵の勉強のために横浜の東急ハンズに転職をしました。
当時の画材フロアにはプロのデザイナーとか、水墨画や油絵の先生とかが社員にいたんですね。
私にとって東急ハンズは学校だったので、そこで絵の知識はたくさん吸収しました。
――― 確かに、専門的には学んで来なったかとうさんにとっては、学校のようなところですね。
かとう そこでWinsor&Newtonという今でも使っている画材のことを知ったり、自分に合った筆が見つかったりとか、そういう意味で大きかったです。
↓実際に使用しているWinsor&Newtonの絵の具
――― それは大きいですね。
かとう あとはやっぱり人との出会いですね。
ここで出会った方が、後の江ノ島の灯台で開く初個展のきっかけをくれたのです。
(次回につづく)
【Yuzo-dori Creator’s Life:水彩画家 かとうくみさん】
・1話目 茅ヶ崎・雄三通りのフォトスポット
・2話目 「あなたはいつでも自分の都合ね」
・3話目 本当にやりたいこと
・5話目 かとうくみの描き方、生き方
・6話目 もう、とにかく大好きなんです!
▼インタビュー・編集 小野寺将人(Facebook / Twitter)
1986年生まれ。2015年、茅ヶ崎市に移住。「エキウミ」の管理人。住宅・不動産サイト運営会社、お出かけ情報サイト運営会社にて営業・企画職を経た後、現在は総合ポータルサイトにて企画職に従事。 ハンドメイドアクセサリーブランドm'no【エムノ】のウェブマーケティングも行う。