カール大帝の夢24-聖地サンティアゴ建設
2017.09.20 03:31
カール大帝はローマからアーヘンに戻って803年まで戦いに出なかった。30年にわたって続いたザクセン戦争は、翌年に終了し、もはやカールが出る必要もなくなっていた。トゥールのアルクィンからは、次々にラブレターが届き、キリスト教帝国の理想君主について熱烈に語られていた。
802年にアーヘンで帝国会議が行われ、「綱領的勅令」が発布、帝国宮廷から諸国に「帝国巡察使」が決められた。またカールは、帝国内の法整備を目指し、それまで各地で行われていた慣習法を成文化した。そして、帝国臣民に対して、キリスト教に基づく生活を宣誓し、促した。あとは戦いではなく、キリスト教が根付くことを目指したのである。
806年、カールは「王国分割令」を発布し、3人の息子に国を継がせ、長男カールをアーヘンを含めた中心部を相続し、帝国の後継者とした。しかし810年、愛する長女に加え、次男を失い、翌11年、期待した長男を失った。もはや大帝を継ぐ者は3男ルイしかなくなった。
大帝を慰めたのは、814年、星の光に導かれ、2人の牧童が使徒ヤコブの墓を発見したという報だった。カールの指示でそこに聖堂が建てられ、中世に渡って欧州各地から聖地として巡礼が盛んになり、イスラムへのレコンキスタのシンボルとなるのである
下は巡礼の丘から見る大聖堂、丘を登りきると皆感動するとのこと