愛を全開にして生きてこなかった痛み【僕らふたりの物語3】
僕とパートナーのけいこちゃんが、大変な道のりを超えて今のような関係にいたる物語。
その3です。
その1 お互い結婚していたところから
その2 僕が持ち越しにしていた課題
さて、そんなわけで僕は自分の課題を先送りにしていたという背景がありました。
そしてその後、このことについて2回、僕は元妻と話し合おうと持ちかけたことがありますが、うまく話し合えず、緊急性があるわけでもなかったので先送りにしていました。
それと課題は前回書いた一つだけじゃなくて、もう一つというか、同じものだけれどもう少し違った角度の話もありました。
2012年の秋のことですが、僕は今でもお世話になっている出口光さんのワークショップ「個の花道場」に初参加しまして、そこで自分の天命を発見します。
ちなみにこれ、ほんとうに素晴らしい内容で、僕の人生がすっかり変わってしまう転機となったものです。
出口光さんは、「人の天命は一つの動詞で表される、そしてそれは過去ずっとやってきたことを見たら見つかる。」といいます。「それは、口に出すにはおこがましく感じ、畏れのあまり言えない人が多い。」ともいいます。
僕も光さんのサポートで自分の天命を探求する機会を得て真剣に取り組んだのですが、やはりとても言えない感じになりました。そして気づいてみると確かに、人生でそれをこそひたすらやってきたことがわかりました。それは:
「宇宙の愛を伝える」
僕はずっと、宇宙から降り注ぐ恩寵、その愛のエネルギーを、ほらここにこうして顕れているでしょ、と人に伝えてきた。
それはあまりに真実のことばだったこともあって、声に出していったとき、参加者の何人かが受け取って涙を流してくれました。
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そして同時に気づいたのが、「宇宙の愛を伝える」という天命を、僕は全力で生きては来なかったということ。
僕は、宇宙の愛がここに顕れているときに、それを伝えることにどれだけベストを尽くしてきただろうか。
僕は、愛する人たちに、愛してるとどれだけ伝えてきただろうか。
「全っ然だよ!!!全然、全力じゃない。」
いろいろ理由はあったかもしれないけれど、ひとつにはその2で書いたようなことをまた体験するのが怖かったから閉じてきたとは言えます。
僕が真に愛を生きたら、僕は複数の人をパートナーとして愛そうとしてしまうのではないか、あるいはやはり無理に一人を選ばなくてはならなくなるのではないか、あるいは結局誰とも愛し合えないのではないか。こうしたことは僕にはとても怖ろしいことに思えていた。
だからその可能性を避けるため、僕は自分のハートを、愛を、ごくごく限定して生きるようになってしまっていた。そのことに直面し、あきらめて生きてきてしまった痛みが襲ってきました。
でも、このままでは僕は天命を全うできない。
自分が真に愛情深く生きられないままになる。
それはたましいが死んだまま肉体だけで生きるようなものだ。
そう強く感じ、ここからあらためて、リスクをとってでも自分の愛を全開にして生きることに取り組もうと決めました。(このあたりで元妻とじっくり話し合えていたら、もしかしたらもう少し違った展開もあったかもしれないし、まあでもそれはいってもしょうがないことだなとも思います。)
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具体的には、自分の仕事の仕方も変わりましたが、もっと日常的なこととして、大好きな人たちに大好きと伝えること。
僕は実際、老若男女問わず僕の周りの人たちのほとんどを、大好きなんですよね。
そしてそれを、直接間接、表現には気をつけながらだけれど、伝えるようにしていきました。
それは僕にとって、ほんとうに喜びに満ちた体験でした。
当時の僕の感覚では、僕が世界を愛していることを、自分自身に許してあげる感じ。
美しい花を見て美しいと感じ、美しい夕焼けを見て美しいと感じるように、美しい人をみて美しいと感じていいし、そのことを表現していい。
そしてそのことが受け取られるときに、喜びの循環が起こる。
なんて幸せな生き方なんだろうと思いました。
そして怖れているような状況も起こらずにしばらく時が過ぎました。
けいこちゃんとの間にキューピッドが矢を放つまでは。
つづく
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今後の予定
10/7 大分
パートナーシップお話会&相談会 「どれほど困難でも繋がりを求める価値はある」
https://www.facebook.com/events/1400034650112703/
11/4 仙台初開催
ふたこわたる『好かれる勇気』講座
~大好きな人に好かれて生きる with 松本桂子
https://www.facebook.com/events/1954072741500573/
相談会、個人セッション情報もあり。
11/1 東京