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Essence of Life

ありとあらゆるものを超えて

2022.01.13 14:57


ありとあらゆる人々の、ありとあらゆる経験、ストーリー。ありとあらゆるやり方、考え方、ありとあらゆるいろいろ。。。笑 ちょっと一歩離れてみてみると、この世界は本当にありとあらゆるもので溢れているようにみえます。そしてありとあらゆるわたしたちはそのありとあらゆるものの中から自身にあったものを選んだり、体験したりしている。。。こういうものを食べよう、こういう考え方でいこう、こういう暮らし方を選ぼう、などいろいろ。どの選択にしようか、さんざん悩むこともあれば、なぜか自然に選択ができていることもあったり。。。ぴたっと波動があうものもあるのでしょう。

さて、ここで、もし、この選択が実はどちらでもいい、なんでもいい、ということであればどうでしょう?!いえ、いえ、これは、どんなことも適当にしたらいい、ということでもなく、明らかに危険、明らかにノー、とわかるようなことも選んでオッケーということではありません。なんでもいい、というのも少し語弊があるかもしれませんので少し説明をさせていただくと、ここで言う、どちらでもいい、というのは、選んだものそのものより、その選ぶプロセスを通して、奥にある何かの感情、葛藤など、例えば執着や恐怖感などを見抜いていく方、そして何かが隠れていたとしたらそこを癒していく方が真理を見つめている場合は断然興味深い、という意味です。例えば、今世界で起こっていることをみてみますと、ワクちゃん接種する、ワクちゃん接種しない、という二つの選択肢が見た目の世界ではあるようにみえます。接種する、接種しない、どちら側にも何かの考えがあって行動するかと思うのですが、どちらの選択をする、しないにしても、そこに何かの恐怖や感情が根底にあると感じているとすれば、そこを認識していきましょうか、というやり方です。

どの選択も実はマジック、魔法のようなもの、ともいえます。だからこの三次元の世界では、自身が心地よく自然に受け入れられること、罪悪感や恐怖なく受け入れられることであれば、それでよいのかな、と。ただ顕在意識上にはなくても潜在意識に恐怖や罪悪感があることがありますのでそれほどシンプルなことではないのかもしれませんが。。。この次元で生きていく上でいろんなパターンややり方、それぞれの方法があります。人それぞれですから、自分にそれが良いと思っても、他の人にはそうではない場合もあります。それぞれの人生やストーリーがあって、そこで体験し学ぶことはそれぞれの魂が選んでやっていることです。(意識していてもしていなくても)それを頭でわかっていても、例えば身近な存在などが関わってくると、口を出したくなったり、否定的な気持ちになったり、ジャッジをしたくなったりする場合もありますし、またそれは一番近い存在、自分自身に対しても同じことです。

何が言いたいのかといいますと、やはり、なんでもOK、ということです。わたし自身、ここ最近の出来事を通して、それぞれの魂の自由意志を尊重することを、頭ではなくハートで感じることを体験しました。もう、どの選択も、どの方法も、自分自身が、その人が、魂が、OKとして受け入れていることであるなら、それをそのまま尊重する、OKとしておいておく。。。イメージ(幻想)としての自分自身や人々が、どのイメージを選択したとしても、それはイメージでしかなく、そこには本質はありません。でも、「それらを包み込むすべて」を知っていれば、ひとつひとつのイメージ(幻想)は消えゆくままにおいておくことができ、イメージを通してみるのではなく、本質だけを真実として見抜いていけます。ありとあらゆるイメージ、幻想があるように見えても、それをOKとしてあるがままおいておくことができたとき、すべては次第に消えてゆき、深い深い慈愛のようなものだけがそこにあると気づくことができます。