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Botanical Muse

美女オーラ始めました

2017.10.06 12:27

実りの秋である。私の一番の大きな収穫は″銀座の美女″スミレさんとお近づきになれたことがあげられよう。それにしてもスミレさんをこんな間近で見られる私というのは、なんて幸せなのだろうか。これだけ美しい人だと、永遠に見てられる。

男性がホステスさんと呼ばれる人とお付き合いすることの最高の喜びはお店の中でその人を見、夢の世界に連れてってもらい、現実に戻ってからも会話を交わせるということであろう。


私はすっかりいい気になり、スミレさんのお店に連れていってくれた彼に自慢した。

「スミレさんとすっごく仲良しなの、いつもべったり一緒にいるのよ、恵美子さん、スミレさんって呼び合う仲なんだから」かなりオーバーに言う私。

「そうなの!お店でスミレさんを指名しても他のお客さんにすぐ呼ばれていつも少ししか話せないんだよね。人気ナンバー1だからしかたないんだけど」羨ましそうな彼。

そう、スミレさんはホステス歴は浅いのであるが、それがあれよあれよという間に人気者になり今や不動の指名ナンバー1なのである。私ってやっぱり趣味がいいのね。

「いい、これからは私のことをもっと大切にしなくっちゃだめよ。だって美人はうつるっていうじゃない、スミレさんの美人菌が私にも繁殖して近いうちに妖艶で美しい女性が誕生するはずよ」夢を膨らませる私。

「そうだね、そうだね」内心嗤っているだろうが、調子よくうなずく彼であった。お世話かけます。

このような会話を交わしたのがおとといのことであった。


今日はスミレさんとショッピングに出掛けることになっている。

「私、恵美子さんにお店で着るお洋服をみたててもらいたいの、そして自分を魅せるコツを教えてもらいたいの」

まあ、なんていい人なんだろう、こんないい人がいるなんて信じられないわ。

「まかせんしゃい」と胸を叩く私。

この日のスミレさんはカジュアルな装いで髪型もメイクも今っぽくってセンスがいい、人目をひくほどキマっている。

当たり前のことであるが、大人の女性がカジュアルを着るときはヘアーメイクもばっちり、コーディネートと小物づかいをいつもの二倍ぐらい気を使わなくてはならない。少しでも油断するとうんと太って、うんとダサく見える罠がいっぱいあるのだ。

しかし、たかが私と会うだけなのにこの心意気はどうだろう。美女であることの自覚と誇りがスミレさんをそうさせるのだ。


「ここのお店です」スミレさんが指さした先はフランスのハイブランドメゾンであった。

さっそくウインドウに顔をくっつけて店内に露骨な視線をおくる私。

「恵美子さん、中でゆっくり見せてもらいましょう」と私の手を引いていさめるスミレさん。

店内に入ると「わー、キレイ」人が二手に分かれてささやく。もちろんスミレさんの方に。

一流ブランドショップというのは愛おしい音の旋律が静かに空間を包み込む。パターンの線を引く音、ビジューを紡ぐ針と糸が布を通り抜ける音、作り手の小さな音たちは大切に守ってきたものの積み重ねを感じて体の芯を揺さぶる美的さがある。

ここのブランドは女性をどうやって美しく魅力的に見せるかに心を砕いている。服を着ると、もう自ら姿勢をまっすぐになるようなところがある。女に生まれた幸福をこの服で表現してみたいと思わせてくれるのだ。そう、″美人服″なのである。


「スミレさん、こちらなんてお店で映えると思いますよ」スミレさんは常連客のようで店員さんたちと親しげに話している。が、とっても素直なスミレさんは私が選んだ服を手にして試着室へ入っていった。

「お客様、スミレさんとお友達なんですか」ひとりの店員さんが尋ねてきた。

「いいえ、同業者です」と答えたところ、店中が沈黙してしまったのである。

スミレさんが試着室から出てきた。空気は一変し、店内にいた全ての人がそっちの方向を見つめどよめきが起こったのだ。見よ、スミレ様の実力を!

美人服を纏ったスミレさんからは、濃いピンク色の″美女オーラ″が天井まで立ち登っているではないか。この美しさはただごとではない。もう、女としての価値が違うという感じである。美女オーラに打たれると、人は陶酔するような幸福感に包まれる。男の人たちは皆デレデレで鼻の下が伸びている。

照明より眩しいスミレさんは私のところへ駆け寄ってきた。

「このスカート丈のときはどのような脚の運びで歩けばいいのかしら」「この素材の服のときはチークはどう入れるとキレイに見えるの」美人服を自分のものにしていく気概のあるスミレさん。

心が広くやさしい私は惜しみなくレクチャーしたわ(ホントよ)

「恵美子さん、一緒に写真撮ってもらってもいいかしら」艶然と微笑むスミレさん。

「私が撮りますよ」と男性の店員さんが名乗りでた。彼の口調からスミレさんに憧れているのがすぐ分かった。

私はスミレさんとのツーショット撮影に意気揚々と挑んだ。が、仕上がりを見た瞬間、私は自分の目を疑った。美女の隣に地球の重力はこんなにもすごかっただろうかと思うほど、鼻の下が長く長く伸びきったどうしようもないぐらい浮かれたオジさんがいるではないか!

「すっごいオジさんに写っているじゃないの!」思わずカメラマンの彼を睨みつける私。

かわいそうに彼はあたふたして店内の光を見まわす。

私は自分を叱った。そんなの八つ当たりというものだ。よく考えたら、ただ単にここに居合わせた誰よりも私がスミレさんにデレデレであっただけなのだ。

「恵美子さん、試着室に行きましょう」と私の手を引いて再び私をいさめるスミレさん。お世話かけます。


私とスミレさんは鏡の中のスミレさんに語りかけながら360度考えられないほど細部まで目をいき渡らせて、針を打ってもらいお直しをお願いした。スミレさんの気の強さが私をそうさせたのだ。私はこの気の強さに賛成する。なぜなら向上心があるからこそ女性は気が強くなるのだ。自信とはっきりと放つ個性があるからこそ、人は自分を主張する。強くなることの犠牲を払ってきた女性だけが他の人から際立った存在となる。スミレさんは決してラクをしてこの特権を手に入れたのではないだろう。

そしてスミレさんにはある才能が備わっている。それは無いものは自分のものにし、失ったものは取り戻し、自分をエイッと変える才能だ。自分が一番美しく恋をたくさんしていたときで時間が止まっている女性は案外多い。

一度自分がつくった殻を自らの手で壊すには多大なエネルギーを必要とするものである。こういうエネルギーを持ち続けるのも立派な才能ではなかろうか。人の心は変わるし自分の容姿も変わる。その変化に合わせて脱皮し自分自身を演出できる女性は幾久しく人の気配を感じる。つまり人気がある。

くたびれた女性に、もう人は刺激的なことを求めない。人間と容姿というのはそれほど深く結びついているのだ。


それにしてもなんでこんなに素敵なんだろうとスミレさんをつぶさに観察したところ、あることに気づいた。スミレさんはいろんな方向から飛んでくる人の視線をしっかり受け止めるため、すべてのことに手を抜かずきちんとお手入れが行き届いている。つまり人の視線が届くところはすべて計算され、美しく整えられているのだ。

そして私は知った。

女性に生まれたら誰しもひとつの大きな分かれ道に出会う。それは老けない人と老けていく人がはっきり二分される分かれ道である。そこには諦めという感情が大きく左右される。

ホコリをかぶらないように日々せっせとお手入れする、そういうモチベーションを生む何かの支えがほしいと思う。諦めない上での、もっと確かな支えがほしいと女性は思うのではないだろうか。

その支えとなるものが人の視線である。いかなるときも人に見られていると思うことである。実際見られていなくても見られていると思う癖をつけることで、″いつもキレイにしておくこと″という心が生まれる。

この努力は自己肯定へとつながり、やがてつくり得たフォルムによる他人からの称賛は自信をつくり出し、美活を続けるために必要な気力を取り戻す。

どの角度からどんなに凝視しても、さらに引きで見た佇まいも美しい女性、それは人の視線があるという自覚のあらわれに違いない。

私は断言する。女性という生き物は人に誉めそやされることによって美貌のネジがすごい勢いでまわり始めるのである。女性は人の視線によって磨かれて、人の称賛によってみるみるキレイになり、垢抜けていく。見る人ではなく見られる女性となり、矢のように飛んでくる視線の緊張感を味わう。これぞ女冥利に尽きることではなかろうか。

美貌は人間の手で操作できる。美貌というのは実は意志なのだ。学生時代の自然発生的な美貌とは違い、大人になってからの美貌は自分の感性や趣味ではっきりと選んだものなのである。かくして美貌こそ女の歴史であり、一番気持ちよく一番わかりやすいパーソナリティなのである。

大人になって美しく強い女性になる。そんな人生ってカッコいいではないか。