光嶋裕介の敷地1stコンタクト
話は現在。今日は最終の図面説明と承認の為、中島工務店の香田さんが中川村の我が家に朝9時に来る予定です。外は昨夜からの雨なので今週3日続いていたネギの掘り取り作業は出来ません。。晴耕雨読とはこのことで、素晴らしいタイミングで打ち合わせとなります。香田さん、雨の為にスケジュールを合わせていただきありがとうございます。
さて、ブログ内容は1年3ヶ月戻ります。
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設計依頼の連絡をしてから約3週間後の2016/6/14、光嶋裕介は新宿バスタから飯田行きの中央道の高速バスに3時間半揺られ、松川インターのバス停で降りました。神戸在住の彼は東京の仕事後、長野県上伊那郡中川村を経由して翌日神戸に戻るという段取りです。まだ明るい夕方の時間帯、農作業を中断させた私が軽トラで迎えに行き、再会のハグを交わしました。(我々はゲイではありません) 「生活感あるわ〜」と土まみれの軽トラの荷台に荷物を躊躇せずに置き(アメリカ人っぽい感じ)、ちょっと窮屈な助手席に座るのでした。
真っ先に敷地へ直行。車の中で近況のバックアップを早口で交わしながら、インターから10分足らずで建築予定地に着きました。"WOW" 「おーっ」と感嘆の声を発っすると、青々と茂る森の中で合気道の呼吸をしながら歩く彼でした。
周り、半径100メートルに建屋は一軒もないロケーションです。東京、神戸から来たシティボーイの目には深い森に写ったことのようです。これほどまでに自然と野生あふれる敷地に設計できるとは、後にも先にもここしかないと思う、、、というようなことを彼は言っていた気がします。
今、この写真を見ると驚くべきことに気づきます。光嶋裕介の目線はまさにエントランスと建屋を捉えているのです。南を背に北側を見ています。設計プランが確定している今現在見た私は驚きました。敷地全体は300坪(1000㎡)あります。この時点で、私はどこに家を配置するかもしっかりと考慮すると想像していましたが、裕介の目には、ファーストコンタクトして5分で配置図が見えていたかのようです。それか、ただ単に、辺りは草ボーボーで容易に歩ける場所がここしかなかったからかも知れません(笑)
「うーん、どうしますかね〜いつも、だいたいパッと早く浮かんでくるんですが、このロケーションはすごいな〜」浮かぶのは設計のこと。今まで彼が手がけてきた7件ほどの住宅は、神戸、東京、京都、大阪など大都市の住宅街に建てられています。
日本の大都市の特徴で、和洋折衷、住宅、商店、事務所など雑多なものがひしめく環境の中に存在します。これは私の印象ですが、日本の建築は戦後の計画がないのが故か、チャンポンすぎちゃって、環境と調和するも何も、何が基準かが存在しないくらい、みんな好き放題な家を建てていると感じます。建築の法律でいろいろ細かく規制はあるのでしょうが、サイズや色も全て数字で計ることの出来る基準しか作れず、コンセプチュアルで長期的な計画が出来ない結果だと私は思うのです。
話がそれましたが、そんな中、いつもだったら雑多な環境に建物を設計するのが常なのに、「自然」という確固たる存在しかない環境の中で建築物をデザインすることが新鮮で、むしろ稀なケースだったので簡単にはアイディアが浮かんでこなかったのでしょう。大昔、もともと人は森の中に家を建てることから始めたのに、現代は逆に周りに家がない環境に家を建てることの方が珍しいということですね。
日没近くまで敷地で過ごした二人は、また軽トラで坂を下って村営住宅の我が家に向かいました。そこで、妻と3歳の娘と初めましての光嶋裕介。誰とでも直ぐに打ち解ける裕介。彼のその技の一つを私は知っています。公開しましょう。彼は相手のことを本人に直接、いい感じで、聞いてくるのです。自分のことを聞いてくるということは、興味があるということの現れ。それを上手いこと、柔らかく分かりやすく聞いてくる。そして、聞き出した言葉から話しを広げていくテンポが早い。裕介自身が知らないことを話相手からどんどん聞いて、吸収してしまう。気がつくと、同じ話題を共有している仲になっちゃうのですね。それが技の一つです。
3歳の女の子でも同様でした。「ワミーで何か作ってー」と攻撃する三歳児のおもちゃを真剣に手に取り、これは面白いねーって言いながらちゃんと相手してくれるのです。そういう熱い男です。
この夜、四人で和気あいあいと夕食を共にした時こそが家つくりのスタートなのでした。