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ミステリーイベント&謎解きゲーム まとめ情報

私の『十角館』~三輪忍~

2017.09.25 19:53

(※ ミステリー公演情報とは別、私的な日記である)

これは「十角館」を読んだことで、避けてきていた過去の心情を思い出し、今一度私のミステリーはどこからきたのかを考え、まとめたものだ。


自慢話からはじまって恐縮だが、私が住んでいた実家はそれなりに大きく、一つ一つの部屋も大きかった。小学生のとき、友人宅に遊びに行っては悪気もなく「なんて小さいんだ」と思っていた。

そのせいか、友人達と何かが違うと感じ、うまくなじめなかった。

中学生になり、ようやくそれなりの分別がついたのだが、他の学生達と仲良くできないのはこの家のせいだと、被害妄想よろしく状態であった。それが反抗期と重なったものだから、ことあるごとに両親を否定していた。


おかげで家でも学校でもうまくいかず、時間だけを浪費していた私は、仕方なく、本を読もうとした。

幸いにも、実家の一室の壁一面に本棚があり、びっしりと本が入っていた。ありとあらゆるジャンルというわけではないが、心理学、ミステリー、教育、マジック、航空力学、宇宙、ファンタジー、ホラー……。どれかしら興味をもちそうではあったが、読書に慣れていなかった私は、タイトルだけをずっと眺めていた。結局、読む気にはなってもその一歩が踏み出せなかったのだ。

それでも、手に取るまで時間はかからなかった。


休み時間、群れることがなかった私は、机に体を突っ伏して寝ていることが多く、周りの視線は痛かった。いつまでも寝たふりというのもバツが悪かった。

そこでついに決心して、家にあった本を学校に持っていくことにした。漫画でなければ、それでよかった。「マクスウェルの悪魔」がはじめだったと思う。中二病を刺激される内容で、ひどく私は興奮した。が、読み終わったあとが退屈だった。今度はなるべくページ数が多いものにしよう。そうして手に取ったのが「ソフィーの世界」だった。


次は何にしようと本棚を見ていると、本が増えていた。今思えば島田荘司先生の作品だったと思う。帯にミステリーという文字があった。家族に聞くと、最近はミステリーをよく読むという返答だった。


その時だった。「決して読むまい」としたのは。なんと幼稚なことか、家族が読んでいるから手を出さないと決めたのだ。両親と私は違う。そうしたアイデンティティの確立が発生した瞬間だった。(それ以外の親の本を読んでいるということは棚に上げて。もっと言うと、後に島田荘司先生の作品を読むのだが、それはまた別の話なので割愛)


そんなある日、ある番組(今でも何の番組だったか探している)でホテルを舞台にした殺人事件を視聴者に解かせるという犯人当てを両親が見ていた。各部屋には黒マント、仮面、そして凶器があり、部屋の移動には黒マントと仮面をつけなければならない。さらに部屋には監視カメラがついており、結果「誰がどこに入ったかは分からないが、誰かが移動したという事実」だけが分かる状況だった。私はそのマントと仮面が怖くて仕方なく、最後まで見ることができなかった。ただ、衝撃だったのは覚えているし、「これだ!」と感じた。


「映像で私はミステリーを楽しんでやる」という意識になったのだ。

(幼い私は、映像だからセーフと考えたのだろう)


その気持ちとリンクしてか「金田一少年の事件簿」や「銀狼怪奇ファイル」が放送され、私の心は満たされていた。が、それ以降、心躍る推理ドラマがなかった。


再び、心に火が付いたのは「安楽椅子探偵~懸賞金付き犯人当て推理ドラマ~」である。この衝撃は強かった。「これは私が求めていたものだ!」と強く惹かれた。(ちなみに全巻DVD持っているが、完全正解は一度もない)

「かまいたちの夜」、「安楽椅子犯人」などのゲームをプレイし、ナゾトキネマはDVDを購入した。

こうしたものに挑戦する度、胸が高鳴った。何としても完璧に答えたいと、カメラアングルやマジックの視線誘導の専門的知識まで身に着けた。


だが、謎解きドラマはそうそう現れず、ヤキモキした状態が続いた。


それから時が経ち、私のミステリーは形を変え「水平思考型パズルゲーム」に興じるようになっていた。「ウミガメのスープ」は映像でなくてもここまで衝撃を与えられるのかと心から体が震えたものだ。さらにPCで「人狼」、テーブルゲームに手を出し、思考ゲームはずっと私のそばにあった。


2017年転職をして、ミステリーと再び向き合うようになり、様々な公演に足を運ぶようになり、このようなサイトを作るようになり……ミステリー好きの友人ができた。そして回りまわって、新本格ミステリー30周年と重なった今年、愛蔵版が出版され、手に取ったというわけである。


十角館を途中まで読んでいたある日、その友人と飲みにいくことになり、支度をして向かった。私が十角館の話をすると、友人も当然知っており、最後の一行の衝撃について語り始めた。私は最初何か分からず、怪訝な顔をすると、「まさか…読んでない?」ということに気づいた。


そう、私は今まで読んだことがなかったのである。だが、友人にしてみればミステリー好きである私が「十角館」を読んでいないということは絶対にないだろうと思っていたのだ。愛蔵版についても、「2周目か久しぶりに読み返しているんでしょ?」という感覚であった。


何にせよ、私が本媒体を避けていた報いである。

同時に、私が本ではなくyoutubeにミステリーを投稿しているのは、そうした結果でもある。今となっては、本以外での表現を模索することに不満はない。公演や、昨今の謎解きブームとも調和ができるように感じているし、ミステリーはまだまだ進化できると確信している。その一端でも私が担えたらという気持ちだ。


この本は、そうした可能性について今一度考えさせる価値があった。そして、ネタバレをしてしまった場合の扱いにも……。とにかく、感謝という言葉しか思い浮かばない。


いつか何かあったとき、ここに帰ってこれるよう、書き留めておく。