帝国分裂2-敬虔帝後妻によりて錯乱ス
2017.09.27 02:54
ルートヴィヒは、敬虔帝と称されるが、非常に真面目な男だった。817年に発布した「帝国計画令」では、長子ロタールに皇帝が継承され共同皇帝に定められた。そして次男ピピンにはアキタニア、三男ルートヴィヒはバイエルンを、あくまで皇帝に従うものとして与えられた。ここまではスタッフ大成功なのだ。
ところが真面目な男ほど一度狂うとすごいのだ。818年にルートヴィヒは妻に死別、23歳ピチプリのユディトをもらい823年に王子シャルルを生んだ。となると妻に「ねー、アタシの子供もイッショじゃなくちゃイヤン?」とねだられて、あっさり前言半分撤回して、この子にもかなりの領地を与えるようにした!
これで前妻の息子達が反乱を起こし、833年に父皇帝を廃して長男ロタールが皇帝となったのだ。ところがロタールと廷臣達は、帝国一体主義者で、弟達の領地を白紙に戻してしまったので、今度は弟達が父と組み、長男をイタリアに追放してしまった。
しかしもう後妻にやられまくっていた父は、長男の領地をシャルルに与え、あまつさえ共同皇帝にして、帝国を継がせようという暴挙!次男が亡くなると、その領地をめぐってアキタニアで戦争が始まった。
下は追放された長男ロタール