火の番
仲間何人かでキャンプに出かけた時のこと。
夜も更けて他の者は寝入ってしまい、火の側に居るのは彼一人だった。
欠伸を噛み殺しながら、そろそろ火の始末をして俺も寝ようかな、などと考えていると、
覚えのない声が話しかけてきた。
「何しているんだい?」
顔を上げると、火を挟んだ向こう側に誰かが座っていた。
ぼんやりとしか見えない、大きな黒い影。視界に霞でも掛かったかのよう。
何故かその時は不思議とも怖いとも思わず、普通に返事をした。
「んー、火の番をしてる」
相手の正体は何者なのか、何でこんな時間にこんな場所に居るのか。
そういった類いの疑問がまったく頭に浮かばなかった。
先程まではシャンと起きていた筈なのに、寝惚けた時のように思考が上手く働かなかったという。
ぼんやりと、俺寝惚けているのかな、と考えているうち、また話しかけられた。
「その火が消えたらお前さんどうする?」
「んー、消えないよ」
「こんな山ン中じゃ、一寸先も見えない真っ暗闇だろうな」
「んー、この火が消えちゃったら、そうなるだろうね」
「闇は深いぞ。中に何が潜んでいるかわかったもんじゃないね」
「んー、暗いのは怖いよ。だから火の番をしなくちゃね」
声の主は、頻りと火を消すように勧めてきた。
「火の番なんか止めちゃえよ。もう眠いんだろ。寝ちゃえよぐっすりと」
「んー、そうしたいけど、そういう訳にも行かないんだよね」
「俺が消してやろうか?」
「んー、遠慮しとくよ」
「消すぞ」
「んー、でも直ぐまた点けるよ、暗いの嫌だから」
「一度消えた火は直ぐ点かないぞ。無駄だからもう寝ちゃえよ」
「んー、ライターもあるし、火種があれば直ぐ点くよ」
「ライターか。それがあれば直ぐに火が点くのか」
「んー、点くと思うよ。簡単に山火事になるぐらい」
すると声は、ライターを無心し始めた。
「火が消えないならライターなんてもう要らないだろ。俺にくれよ」
「んー、これは大切な物だから駄目だよ」
「俺が代わりに火を見ててやるよ。だからライターくれよ」
「んー、僕のじゃないから、やっぱり駄目だよ」
こんな押し問答を何度くり返しただろうか。
やがて影がゆらりと立ち上がる気配がした。
「火が消えないんじゃしょうがないな。帰るとするか。また遊ぼう」
その言葉を最後に、何かが山の闇の中へ去って行った。
「ばいばい」
小さくなる気配にそう挨拶していると、いきなり強く揺さ振られた。
ハッとして身構えると、揺すっていたのは先に寝ていた筈の仲間だ。
目が合うや否や、凄い勢いで問い質される。
「お前!今一体何と話してた!?」
「何とって・・・あれ?」
そこでようやっと思考がはっきりし、明瞭にものが考えられるようになる。
「えっ今、僕、何かと会話してたの!? 夢見てたんじゃなくて!?」
気が付くと残りの皆もテントから顔を出し、こちらを恐ろし気に見つめている。
彼を揺すり起こした者が、次のように教えてくれた。
曰く、テントの外で話し声がしたので目が覚めた。
夜中に迷惑なヤツだと思い、テント中の寝顔を確認してから青くなった。
人数から判断する限り、今外には一人しか出ていない筈だ。
恐る恐る外を覗くと、焚き火を挟んで座る影が二つ。
片方は間違いなく友人だったが、もう一方が何かわからない。
人の形をした、黒い塊に見えたらしい。
友人と影は、何度もしつこいくらいに言葉を交わしていた。
どうやら、火を消す、消さないで揉めている様子。
絶対に消すんじゃないぞ!
声に出せない願いを胸中で叫んでいると、じきに影は立ち上がり山奥へ消えた。
いつの間にか他の皆も起き出しており、背後で息を殺していた。
影がいなくなった時、テントの中では安堵の溜め息が重なったそうだ。
その直後慌てて外に飛び出し、憑かれたように火を見つめる友人を引っ掴んで、
ひどく揺すって目を覚まさせたのだと、そう言われた。
思わず、影が消え去った方角の闇をじっと見つめてしまった。
何も動く気配はない。
足元で薪の爆ぜる音が聞こえるだけだった。
その後彼らは、その山を下りるまで絶対に火を絶やさないよう心掛けた。
不寝番を二人立てて、火の番を交代でしたのだという。
その甲斐あってかその後、あの黒い影はもう現れなかったそうだ。
「僕はあの時、何と会話していたのかな?」
思い出すと今でも鳥肌が立つのだそうだ。