ボーダーラインを意識して
先ほど白浜の取材から帰社しました。和歌山は遠い・・・。ですが、仕事があっての現在です。
写真は、唯一、自慢できる表彰状。まだ、当社にスタッフが数名いた頃、スタッフらと名古屋で食事をし、ひったくり現場に遭遇。若いスタッフが、体当たりして、取り押さえ、警察が来るまで抑え込んでいました。今考えると、犯人、丸腰でよかったです。朝まで僕らも現場説明。その後、年長の私は問答無用に検察に呼びだし。警察で何回もしゃべったことを、検事にも何度も説明。係わると実に大変でした・・・
今回のブログには一切関係ないのですが。
私は常にボーダーライン(境界)を意識してきました。多分、演劇をやってきたので自然とその立ち位置が身に付いてしまったのですね。特に演出。
演出をしながら、常に、2つの視点を有します。
①演出・役者からの作品づくり視点
②観客からの作品を見る側の視点
これは、公演を前提とした、つまり、エンターテーメント、興業を行う場合、どちらも必要な視点であることは言うまでもありません。
実は、役者にも必要な視点について、映画『W悲劇』で、世良正則が薬師丸ひろこにこう言います
「俺が役者を辞めたのは、常に2人自分を置いておかないといけないから。常に自分が自分でない感覚と格闘しなければいけないのが苦しかった」と。
役者は、役にのめり込みながらどんどん醒めていなければいけないと、世阿弥も著書で言っていますが、
①その役を生きている視点
②その役をお客様がしっかり観てくれているか?という視点
若い頃に劇団がらみで、四日市まつりで「歌声広場」の企画を5年くらいやっていました。
その時は「もっと多くの方が参加してくれればいいのに!!!」と思っていましたが、祭から離れると、多くの市民にとって、四日市まつりなど行かない人も多い。つまり、そんなに意識にない。
選挙もそうで、内部は盛り上がるが、外から見ると全く顕在化も、伝わってもいない。そんな状況は良くあることですね。
議会も、議員はしっかり職責を果たしていると思っている。事実、しっかりやられている方もいます。しかし、それが伝わっているか否かは全く別。
それに気が付けるか?しっかり、そうした視点を有し、伝える努力をしているか?
そこが至極、大切なのです。
私の政治コンセプトは、『しっかり聴き、観て、伝える』。
それは、ライター(取材記者)や編集者の仕事と同じモード。つまり、自分の得意分野です。
ただ、自分のこととなると、大分、どこかでドライでいないといけない。
もちろん一生懸命やるのですが、どこかで遊びをつくらないといけない。
また、私は内向的な人が大好きです。なぜなら、非常にドライに状況を見ている場合が多いから、自分や世間が気が付けないことを、かなり的確に指摘してくれます。あの視点、すごく大切です。
8月に東京大学で行われた「地域創生学会」の設立式に行きました。全国から首長や地方議員のみなさんがたくさん来られていました。分科会などを聞き、意見交換などもするなか、やはり、政治には一種のマニアックさがあります。使う言語も、言葉の羅列の仕方、使い方も、どこかマニュアル的で、ひとつの型があるように思います。特に現在の政治家は画一的で、インタビューもワクワクしない。コピー&ペースト的だな~とも。
マニアックだから、そのまま話しても、書いても、市民にはなかなか伝わらないと思うのです。
伝えることと、伝わることは全く違う。そういう意味で、発信する時はいかに翻訳できるかが鍵です。
私はそういう意味では常に自分をボーダーライン上に置いておこうと思っています。
だから、フランクなスタイルは全く変えようとは思いません。
私も市民であることに変わることはなし。