Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

カタカムナ48音復活願い対談

2022.01.09 06:46

2022/2/27 

天龍寺マコト&天野成美

 48音復活願対談


 カムミ絵本出版記念公演

天野成美さんのカタカムナ学校の一部

カムナカネミチ (カムナ・アマナの悟り 宇宙内域のサトリ(星が出来るかていの説明))

目にはみえない物理であるが

宇宙球の内域はアマ始元量(現象)の

個々の球があり外域の

アマ根元から繰り返し生まれてくる

細かい粒子でありアマの生命

(アマナ)をもっている、

アマには微分を持続する性質があり、

どこまで微分してもその中には

五種の粒子の要素を受け継いでいる。

その五要素とは


微分された5つの粒子

イカツミ(電気)

マクミ(磁気)

カラミ(回転エネルギー)

トキ(時間現代科学の時間とは少し違う)

トコロ(場所これも現代科学とはちがう)

であり五要素は単独に存在するものではなく、この五要素がそろった球(タマ)である

万象にアマのココロがわけられて

諸々の機能が分化していくのである。

いいかえると、宇宙球内域の中は

アマ始元量の個々の球(マリ)が存在し、アマ根元から繰り返し生れる粒子は生命(イノチ)をすでにもっている。

そして先にのべた5種の微分された
5つの粒子の個々を各々が各々の状態で受け継ぎ、諸々の機能が分けられて分化していくのです。


アマとアマナ

ぬふその中には潜象からわけられた

心や命の発生消滅をコントロールする

営みの道もありアマとはアマナという

潜象と現象の接面であり

中心角でありアマは必らず

目にみえないカムのうずと

対向発生しているものである

カムナカネミチ

とは

アマナ(接面)を通して

カムナが兼ね支配している道のことである。


宇宙球の二面性

またこれも、計測出来ないものであるが

宇宙球には2つ枷が印加されている

その1つは

アマ始元量 微分性

という

本来性をうけつぐもの。

その反面には

アマ始元量 巨大結球性

の巨大結球性という

本来性も配分されて受け継いでいる

すなわち運命的な因果律ともいえる

微分性と巨大結球性という

相反する両性が内在する根があり

八軸上に正反親和して発現する。

それは八方向に張り出された結球軸が

存在するからである。

それは、賑やかに和み合うように

大小の恒星集団をなし

その1つ1つには潜象から分けあたえられた心や命の発生消滅をコントロールする営みがある。

フトヒ

その中心には当時フトヒと言われていた

宇宙の核印する存在があり

巨大なアマナが存在している。

また宇宙の内域には強力に

押し照る様子の諸々(モロ)の

ヒから(ヒ)持続的に授かっている幸

(サチ)がある。

そして、そのモロとサチの重合によって

アマの渦目の縞から発生する始元から

子、まご、と次々に湧き出る個々の物生は

八方に立体的に展開されることで

諸天体の引力が励発され

渦巻流が生れる。

このようになるのはアマのココロに

本来的に備わっている身の代(ミノシロ)が

個々のものに分け与えられるからである。

潜象から分けられたココロや命の発生消滅を

コントロールする営みの道はアマナであり、

潜象の現象の接面にあり中心角の役わりで

目に見えないうずと対向発生しているのである。

また宇宙の内域には発生した

アマ始元量の渦巻は絶えずゆれ動いている、

カムの力はアマの身体へと移り

アマ始元量(現象物生)へ移ることにより

物生として構成され生命としてまとまり

アマの心の発生消滅をコントロールする道である。

アマアマナとは、潜象現象の接面であり

中心角で目にみえないカムのうずと

アマが対向発生する様子をあらわしている。

また宇宙界の中でアマから変遷して

物質構成する個々の身の中には

何度も消滅している5つのエネルギーが

ゆれ動いている

そして粒子元素が合わさって

原子となっていくのには

陽電子 陰電子 電子波 

光量子(重畳状態)と

科学ではまだ未確認の

超高速粒子がそろって

含有されそれぞれの

働きの場にいなければいけない、

それがカムナカネミチであり

アマアマナである。

カムの力は様々なエネルギーに変換し、

エネルギーは物生に変換し

また物生もエネルギーに変換する

その互換重合性のことをトコタチと表わしている。

他の場所ではイマタチとも言っている。

イマタチの説明を少ししておく。

上古代人は大らかであかるかったと

いわれるのは無知、野蛮であったからでなく

彼らの脳が全開して直感にもとずく

哲学が高度であったからであると思われる。

そこで彼らは自分たちの新しい生命が

発生して今、今も休むことなく

前の生命と交代し古い生命は消滅していくのを

如実に感じて生きていたにちがいない

この直感の鍛錬イマイマを生きつづける

連続こそ生きるということであるのを

脳ではなく体感していたと思われる。

アマの微分の5要素によって成り立ち

正反調和して箱のようにまとまったものを

ハコクニ 又は クニマリと言う

天然宇宙界のココロと重合して

(合わせ重なって)宇宙球のイノチが

大きい間も小さい間も

あらゆる間が互換している球(マリ)が

宇宙にあると断言して

それはカムナカネミチであり、

アマアマナであるとくくっている。

また、大きい間がまとまると

大きな宇宙の球、すなわち恒星、

惑星、衛星の様な物となり

大宇宙のエネルギーの勢は

潜象(カムの力のカベ)から

自然発生的に供給され続ける

しくみがあると言っている。

それが、宇宙の内側になると

凝結して 気相 コロイド相 液相 個相に

分離し諸天体の形になる

これもカムナカネミチ、

アマアマナの絶対なルールである。

天体の発生、溶解、溶融凝固、折出、などは

計測出来ない潜象であるが

カムナが支配するアマナに

よるものであることの悟り。

その他 宇宙の内域にある

色々な諸球体は本来4個であるが、

目にみえるものとしては

液相と個相である六方(たてよこ上下)に

大きく爆発する火山噴火現象は

光をもって輝いている。

いいかえると生命をもっている

恒星 巨星のすべてにみられる現象である。

それをその星の息吹であり

息吹とはアマナのうつり身である。

今 人間の近くに存在する

太陽 地球 月だけでなく

大きな幕につつまれた

莫大な数の銀河も含んでいる

宇宙と言うものは全て今まで説明した

発生消滅の繰り返しによって

成り立っているのである。

それも、カムナカネミチ

アマアマナなのである。


日本に残されて

日本人に解読された

カタカムナウタヒを

使いこなして

脳を全開させて 

人間らしく支え合い

奪い合うことをせず 

みんなで幸せに

平和になりたいと思い

執筆活動や

講演会をラストライフワークに

しようと決心して

普及活動始めました。

未来は次世代を担う若者の

悩みを無くして、

喜びを感じる脳づくりを、

カタカムナの知恵と直感で、

喜びを見つけるお手伝いが

出来たらと思っています。


カタカムナ文明の主な伝承内容は人間は一種の生物であり見える物が有限であるから見えない世界の事もウタヒにして残しておくと言う伝承物です。万物は現象と潜象の重合により成り立つと言う教え

その一つの内容下記に記します


カムナミチ(人間の目にはみえない宇宙創生の道)(アマ・カムのサトリ)

現象と潜象が対向するのは、現象と潜象がお互いに影響し合っていることを

裏付けています。

計測出来ない人間の直感が感じる物理ですが、我々の宇宙とよんでいるところの外側にも、さらに立体的に数々の宇宙球をひきづっている根本があり、根本に致るまでの道を人間はまだ知っているわけではないが、目にはみえない雲のように

実態はつかめないけれども外の宇宙球との間には何かさえぎっているものがあると思われる。

宇宙球は正反に張って均衡がとれている

球であり各々の宇宙球はそれぞれの位置でほぼ定まって浮んでいる。

そしてその宇宙球の外側から、さらに現在も新しい宇宙球が外側から産み落とされている。

それは宇宙創生の道であり、カタカムナではアラカミチ(新しいものが生み出される道)といっている。

形はみえなくても直観でとらえることの物理で説明すると、宇宙球の外側には物質をつくる根本(エネルギー体)があり、そこは厚い球冠のようであり、人間が想像することも出来ないような無限の力をもった壁のようなものである。

その壁には万物の力(エネルギー)を

発生させることの出来る場があり、それがアラカミチである。そこはアマ始元量が球となり自転公転する力(エネルギー)をおこす場ともいえる。

そこから潜象は現象となって送り出されるのであるが、その場は現在の人のいう

トキトコロとの場ではなく、宇宙球内外全所にも充満しているかもしれない、

あきらかに潜象から現象に表われてきて、現象からは我々人間が認識することが出来るのであるが、

“カムナ(潜象)が支配しているみち”は

感じれるのでなにかの力が働いていると

存在はみとめざるを得ないのであるが、

理屈として説明することは出来なカムナミチなのです。

そして宇宙球の外域(認識できていないので外域というが)万物の形をつくる根のようなエネルギーがありそこには必らず2つの根本が存在している。

その中の1つは雌性の根(畠)であり

カムナと呼ぶ。その中のもう1つは雄性の根(根元)であるそれをアマナと呼ぶ。カムナである客観背後の無限界と

そこから生れたアマナであり有限の始元界である

 その場は宇宙創生の道(場面)であり

宇宙球をその位置に保つ柱は人間には認識の出来ないものである。

 宇宙界はこのように創生(産む)されて自由に現象の場に表れるが、その時、同時に互換性と重合性の性質も現われる。それと同時に現われた現象は

再び、カムのホラ穴にかくれ潜象となり、また潜象の身から現象に生み落とされるという循環がくりかえされていくのです。

 このくりかえしが起こるのには互換重合性というものを本来の性質として人間の知らないはるかかなたより受け継いでもっているものです。

さらに宇宙球の性質には膨張と収縮をくりかえしながら、球の底(外殻・認識はされていない)長い間自由に保持されてきた根本がある。

 何故なら正反は対向するという性質をもつアラカミチにいるからである。

 カムから生まれる万物起源のヒが潜象から開いて現象に生みつづけるミチは

正反対向 互換重合・膨張収縮 異和親和などの性質を持って万物は現象化する。

 しかし、その存在は一瞬たりとも

停止して存在する事は出来ないという

直感悟りが根底にある(現代科学・元素不変・物質不滅の法則と相反する教えである)

 宇宙球に新生される天体(物体)は

すべては始元量が個々の球をつないであらゆるものがつながって存在している

場(アラカミチ)である。

つねに1つの中にナギ性とナミ性が

共存し一つの物質の中に

複合状態で存在し互いに 換わりあっている

ナギ(凝縮 静止 統合する粒子性)

ナミ(拡大 膨張 分化する波動性)

計測できない物理であるが宇宙球の互換重合する場所は七の周期性でたもたれている。それが7で保たれていると

宇宙球は安定持続することが出来る

それをアラカミチというのです。

その周期はカム(4)対アマ(3)の数に規制されているこれは宇宙天体

(万物)の恒常安定の実相である。

分かれるのは カム(無限界)アマ(現象界)の2つの重合があるが 全ては見かけ上8で安定静止しているようにみえるが本来は刻々と新陳代謝しつつ

自転公転 生成 発展 消滅を 繰り返し 一瞬たりとも静止してはいないのである。そしてその交換のリズムは七の周期性である。

 宇宙球の豊かな外域に広がる根源からの厚い雲のようなもの(実態はつかめていない)は宇宙球を包む衣のように

まきついているものでアマ(現象界の万物)をつつんでいるそれは創生の道(アラカミチ)でありそこにすべての物体の始元量の源があり、分割統合をくり返し

潜象から現象へまた潜象へと循環しているのである。


古事記:日本書紀 編纂 当時、

各地方にカタリベオサと呼ばれる

「長(オサ)」がいてカミカタリ

(天地宇宙の起源について 悟ったことをわかりやすく物語る)をしていた。

このことから このことから漢字到来の時 ワゴの音には和語が当てられ カミカタリ「神語」の漢字があてられ やがて「神話」と 呼ばれる様になった伝説がある

カタリべオサの語りは、すでに五七調八拍子のリズムとして 伝承されていたらしい。それには3種の詩があったと思われる

その文字は、八鏡文字という図象符で48音から成り立ち、その形から 現在日本語のカタカナの起源であると思われる。

後氷河期にはすでに上古代(先史時代)の言葉があったと 考えられるが、この上古代の言葉が現代の日本語の中で今 なお通用しているのは 稀な例として取り上げられ始めている

1)カタカムナノウタヒ 80句 カタカムナのコトワリ、直観物理

2)カムヒビキ(漢字に当てて意訳されていて まだ 現代語として詳細が判明していない)

3)カムナガラのミチ104句(生活技法)

の3種である

現代日本語は、民族発祥の原初の時から、48の表象物と その音のヒビキに対する強い基底思念があった。後代の人々にとっても、どの思念も 筋の通った物であったからこそ、漢字の採用や外来語の流入があっても、日本語は月日という共に整序され、その発生以来の原型 原意を 保ち続けてきたのである

数万年前の人類文化の初期における 上古代の言葉が現代今なお通用しているのは、作られた当時の古代人の動物的体質の鋭さや 心情の素直さが 高度な直観性脳(現在眠っている脳の大部分と相まって人間の精神機能が極限まで発揮されたからである

日本人はこの言葉の起源を持ったおかげで はっきりした意識を持たなくても、天然自然の コトワリを途絶える事なく 伝承を続けて来られた。それが 民族の知恵となり 日本的伝統や 日本人の心と呼ばれる 精神的文化を築き上げて来たのである

日本的伝統とか 日本人の心といったものは、それが何であり、なにに 基ずくものであるかと言うことは 自覚されにくいものである。それ故に、日本人は時代の変遷と共に 自分たちの文化の起源や民族の心のよりどころを見失う様になったのである

しかし縄文文化遺跡の発掘や 考古学研究の進歩などから、古事記:日本書紀 以前の未だ文字の無かったとされる時代にも 高度な文明を持ち 豊かで平和な 秩序ある生活を持っていた原初日本人がいた事を、今や疑うものはいない ただし原初日本人の 築き上げた文明が その後どうなったかについてはまだまだ 未解明な状態にあるのが実情である

** しかし、日本の上古代に 民族固有の文明が あったとしても 不自然では無いはずである**

「カタカムナウタヒ」と言う文明に関しては 巨大建造物も 遺跡も未発見である。ただし、その時代の言葉は 今も我々日本民族の言葉として通用していると 言うことは れっきとした事実である。漢字や外来語が どの様に押し寄せて来ても 日本語を使っている 日本人の無意識のカン(勘)にふるい分けられて日本語に同化させ 基底思念は 変わらないのである



ヤクサヒトミチ

目にはみえない直観のコトワリ(物理)であるが。

たてよこに区切りのある形の極みを超越した大きさも形もない存在である、天の始元量がある。これをアマココロという。

四方八方に自由に分裂していく人間の思考は、時々たちどまって天のココロのある無限界(アマココロ)に、帰る道を生きていることを常に考えるべきである。

現象以前の無限界の粒子や無限界の実体の波動が、無限界の境が追いはらわれて、各々が個性の区切りのある物に変換(へんかん)する現象である。

その時は、色々な個々の自由に独立した区切りのある球体となる。従って人のミチも様々に分化変遷するが、有限の人の知識をこえた無限カムの根本に帰る道を失ってはならない。

そうすると、万物は(色々な一つとして同じもののない異なり発生するが)

それがお互いに支え合って、すべての存在は諸々のお陰をうけていることに気づく。そのお陰を崇(あが)めることは大切なことである。

万物を尊重することは、すべてに感謝することに通じる。

天とか我とか無我とよばれるものの本質へとたどる道は、四方八方に自由自在に分裂していく。人間の思考は時々立ちどまって天のココロ(アマココロ)に帰る道をあゆんでいることを常に考えるべきである

人の道の根源的な道を説いた歌であり、万人各々個人であって異なっているが、それがささえあいにつながり万象を存在させているすべては、アマの根のおかげをうけているのだから、そのおかげをアガメルことが大切である。八方に分化しやすい人の道は、カムに帰る道であることを忘れてはならない。

自分に生れた時から与えられている天分や、たくわえた知識など「ミ」に(生命の実体)についた財産は、自制して心を抑えながら、自分1人の能力と思わず他の人やものと交換し合って(カム)潜象の根本に奉仕するこころがまえを常にもつことが大切である。人が何故生きているのかを忘れないために。

生きているかぎり、悲しみ苦しみも、よじりなわのごとく交互にやってくるが、これを人々は全体の悲しみであり苦しみであると感じるが、実際は内と外は通い合っていて、カゴの水のような関係であることを知っている必要がある。

ずっと悲しみばかりではないし苦しみばかりでもない。

生涯悲しみ続けるものでもないし、生涯苦しみ続けるものでもない。

四方八方、自分の考えを分裂させつづけるのではなく、人の道は無限のカムに関する知識が根本であるのだということを思い出さねばならない。

生きているということは無限界に帰る途中の道である。卑しさ(レベルの低さ)貴しさ(レベルの高さ)は各人各様にかくされて含まれている。

また、醜さと美しさも各人各様である。

それぞれが混在して存在している。

卑の中にも貴あり、貴の中にも卑がある。潜象根本に帰って考える事が人の心に真の謙虚さを生む道であり、皆がささえあって幸せにつながる道であることを、常に心に思うべきである。

草も岩も諸々の粒子も生命があっていきている「ミ」(身)である。

それは発生消めつをつづける、尽きないイマイマである。心をちりじりにせず、カムのもとに帰るために生きていることを常に考えるべきである

努力をしても、生きている内にはつねに徒労に終わる報いをうける時がある。それを耐え忍んで、うつろな気になる時でも、我が身で励ましてこそ、安心立命的な生活が得られる。くりかえしいうが八方に分化しやすい人の道はつねにカム(根本)にかへる途中の道である、という考え方が必要である。

第49首

【カムナガラ】       

目には見えない直観の物理であるが

      コトワリ

【アシカビクマリ】     

縦  横   区切りある形

アシ カビ  クマリ

※縦に伸びる葦(あし)と横に広がる黴(かび)

【キワミコエ】       

極みを 超越した

キワミ コエ

【オオサカタミヌ】     

大きさも 形も 無い存在である

オオサ  カタ ミヌ

【アマココロ】       

天の 始元量がある

アマ ココロ

【ヤクサヒトミチ】     

八方に 自由に 分裂していく

ヤ   ク   サ

人の思考は時々立ち止まって

ヒトミチ

【カムカヘル】       

天のココロのある無限界に

        カム

帰る道であることを

カへル

常に考えるべきである

第50首

【カムナガラ】       

目には見えない直観の物理であるが

      コトワリ

【ウツヨカムナギ】     

現象以前の 無限界 粒子や

ウツヨ   カム  ナギ

【カムミナミ】       

無限界 実体の 波動が

カム  ミ   ナミ

【ヤラヒモノカヘ】   

  

無限界の境が追い払われて

 ヤラヒ

ものに 変換する

モノ  カヘ

【クニクマリ】       

いろいろな個々に自由に独立した

   クニ

区切りのある 

ク      

球体である 

マリ

【ヤクサヒトミチ】     

八方に 自由に 分裂していく

ヤ   ク   サ

人の思考は時々立ち止まって

ヒトミチ

【カムカヘル】       

天のココロのある無限界に

        カム

帰る道であることを

カへル

常に考えるべきである

第51首

【カムナガラ】       

目には見えない直観による物理であるが

       コトワリ

【ヨロツコトナリ】     

万 の 異なりが

ヨロズ コトナリ

【ササヘアヒ】       

お互いに支え合って

    ササヘアヒ

【アマネモロカゲ】     

すべての存在は 諸々の

 アマネ   モロ

お陰を受けている

 カゲ

【アガムモノ】       

そのお陰を 崇める

      アガム

ことが大切である

   モノ

【ヤクサヒトミチ】     

八方に 自由に 分裂していく

ヤ   ク   サ

人の思考は時々立ち止まって

ヒトミチ

【カムカヘル】       

天のココロのある無限界に

        カム

帰る道であることを

カへル

常に考えるべきである

第52首

【カムナガラ】       

目には見えない直観による物理であるが

      コトワリ

【ニナヒタクワヒ】    

自分に賦課された天分や

  ニナヒ

蓄えた知識などの

タクワヒ

【ホミタカラ】       

身についた(保身)

      ホミ

財産(宝)は

タカラ

【オサヘマジカエ】     

自制しながら(心を抑え)

        オサヘ

他と交換し合って

マジカエ

【カムツカエ】       

根源に奉仕する(カムの存在を認める)

カム  ツカエ

心構えが大切である

【ヤクサヒトミチ】     

八方に 自由に 分裂していく

ヤ   ク   サ 

人の思考は時々立ち止まって

ヒトミチ

【カムカヘル】       

天のココロのある無限界に

         カム

帰る道であることを

カへル

常に考えるべきである

第53首

【カムナガラ】       

目には見えない直観による物理であるが

      コトワリ

【カナシクルシミ】     

悲しみと 苦しみは

カナシ  クルシミ

【ヨジリナワ】       

よじり 縄のごとくであるが

ヨジリ ナワ

【ウチソトカヨウ】   

内と 外を 通い合っていて

ウチ ソト カヨウ

【コミリミツ】       

籠(こもり)の水のようである

コモリ    ミツ

【ヤクサヒトミチ】     

八方に 自由に 分裂していく

ヤ   ク   サ 

人の思考は時々立ち止まって

ヒトミチ

【カムカヘル】       

天のココロのある無限界に

        カム

帰る道であることを

カへル

常に考えるべきである

第54首

【カムナガラ】      

目には見えない直観による物理であるが

       コトワリ 

【イヤシトウトシ】     

卑しさと 貴しさは

イヤシ  トウトシ

【ヒメフクミ】      

各々に秘め 含まれている

   ヒメ フクミ

【シコミウルワシ】     

また醜悪と 美麗

 シコミ  ウルワシ

【カタシカネ】       

それぞれに混在して片方が

         カタシ

兼ね備えられている

カネ

【ヤクサヒトミチ】     

八方に 自由に 分裂していく

ヤ   ク   サ 

人の思考は時々立ち止まって

ヒトミチ

【カムカヘル】       

天のココロのある無限界に

        カム

帰る道であることを

カへル

 常に考えるべきである

第55首

【カムナガラ】       

目には見えない直観の物理であるが

      コトワリ 

【カヤイワモロコ】     

草も 岩も 諸々の粒子も

カヤ イワ モロコ

【イキイクミ】       

生命があって

イキ

活きている身である

イク   ミ

【ハエツキヘイヌ】     

発生 消滅(消えていなくなる)を続ける

ハエツ キヘイヌ

【ツキヌイマ】       

尽きぬ 今

々 である

ツキヌ イマ

【ヤクサヒトミチ】     

八方に 自由に 分裂していく

ヤ   ク   サ

人の思考は時々立ち止まって

ヒトミチ

【カムカヘル】       

天のココロのある無限界に

        カム

帰る道であることを

カへル

常に考えるべきである

第56首

【カムナガラ】       

目には見えない直観の物理であるが

      コトワリ

【ツネアダムクヒ】     

常に 徒労に終わる

ツネ アダ

報いを受けるものである

ムクヒ

【タヘシノビ】       

それを耐え 忍んで

   タヘ シノビ

【ウツロハゲマシ】     

虚ろな気を 励ましてこそ

ウツロ   ハゲマシ

【ヤスキウケ】       

安心立命的な 生活が得られる

 ヤスキ     ウケ

【ヤクサヒトミチ】     

八方に 自由に 分裂していく

ヤ   ク   サ 

人の思考は時々立ち止まって

ヒトミチ

【カムカヘル】       

天のココロのある無限界に

        カム

帰る道であることを

カへル

人はどの様な心がけで生きるべかを簡潔にまとめている 

抽象性は生きる指針になる

大切な即実用に使える様さらにわかりやすくリライトをいずれはするつもりなのでお待ちください


カタカムナの力

今の物理と少し違っている事が 有ります

今の物理の発展は

すばらしいものが有りますが

万能では有りません

ところが

カタカムナのカムの力を体得すると

時に今の物理学で解明出来ないと

思われているのに実際に

不思議な役立つ事が有ります

それだけで無く

ときとして

今の物理学では

奇跡と言われることが

色々 起こります

瞬時に病が治ることも

先天的 肉体的欠陥が治癒した事も

私は実際に観てきました

またカムの力を借りて

事業を成功させたり

対人関係のもつれを

解決出来た人もいます

特に カタカムナ人は

物の動く速度をアマハヤミ と言って

超光速瞬間移動

は存在すると言い切っています

近い未来 この速度の問題は

カタカムナ物理に

軍配があがるでしょう

そんな昨今 時と所を得て

カタカムナの使いてを名乗って

不思議な事で人を助けたり

カタカムナで病気を治す

先生が現れたり

本や ユーチューブでも

カタカムナの文字を

見かける事が

多くなりました 私は人ひとが

カタカムナのウタの響きを

生活にとり入れる事によって

今の時代に起こっている

問題のかなりが解決する

アラカミチが開けると

信じている者の一人です

そこでこのマガジンのコーナーでは

カタカムナにまつわり

今社会で役立っている

物などの情報を見つけた都度

提供していきたいと思います

又 日常に溶け込みやすい

誰もが楽しめるメロディーをつけた

カタカムナ響きも

発表していきたいと思って居ます

カタカムナは権力のウタでも無く

恋のウタでも無く

人を幸せに導く コトワリ(物理)のウタで有り

人間の本来持っているが眠っている

大きな脳を覚醒させるウタで有ると

信じているからです


(食と生の本能、生命保存の基本)

目にはみえない直観の物理であるが

すべてアマ始元量から変化した

個々の物性の実体は、

正反の正孔電子であり、

それが栄養物の基礎になり、

食べものと加着現和し、

性機能にも加着賦存(かちゃくふそん)している。

それは潜象と現象を兼ねて存在している。

アマナの行いによる道である。

栄養の本体はサヌキ、アワの

代謝であると悟り、食や性の本来性は、

食欲や性欲に基づくものではなく、

食物自体や性機構の

天然のしくみからの性質である。

これが食や性に関する様相の本性である。

食欲や性欲が、人間の欲望や

本能にもとずくという考えが、

人間の思考を狂わせている。

天然自然のルールの生物のナリとは

連帯的関わりの本枝から見抜き、

自然総体の循環系に立却した

全うな感(カン)が大切である。

目にはみえないコトワリ(物理)であるが

性の代表するもの(性機構)と

食べものを加着している実体は、

無限界の支配する潜象の粒子である。

宇宙球はアマ始元量のような

潜象の粒子が、自由に充満して

漂っている事を示している。

宇宙球は無限界(カム)と

始元界(アマ)を自由に生き来している

球体である。(カム+アマ)=アリ

それは潜象と現象を兼ねて

存在しているアマナの行いによる

道であり食や性に関する様相の本性である。

目にはみえない直観の物理であるが

太陽と月が放出する輻射勢力が

凝集されて漂って、生気が蓄積(ちくせき)された

目にみえない根本として

長く潜在するように仕組まれている。

それは、太陽などの恒星や月の放出する

輻射勢力が蓄積されて、

宇宙の生気が組み合わされ

地球の輻射勢力となる。

その大気のエネルギーが

生物の生気の根本になっている。

それはアマナカネミチ ヲスヒナリである。

目にはみえない直観のコトワリ(物理)であるが

生気を生みだすものは

陰陽の正反の電気粒子であり、

大地の強大な大地電気を放出する

生気の種であり、

それはアマナカネミチ 

ヲスヒナリである。

目にはみえない直観の物理であるが

大地から放出される個々の生気の種が

食物と性機構に生成され享(う)けつがれ、

持続的に蓄積されて潜在している。

そのことはアマナによる

潜象と現象の兼ねあわされたミチであり、

食と性の本来のナリである。

目にはみえない直観の物理であるが

アマ始元量の遷移蓄積が

充分に足りた時、

若芽を発生するに至る。

性の本性は異種親和による

生気の増幅である。

それは生物一般の雌雄性器の

交わり基ずく睦(むつみ)の幸である。

すなわち 潜象と現象をかねて存在している

アマナの行いによる道であり、

食や性に関する様相の本性である。

目にはみえない直観の物理であるが

波の差(電気磁気回転エネルギーによる差)

によって、分離発生をくり返す苗が

成長して、実を結び独立したカタチが

分離して実となる。

分離した実にはその実一代の生命が

子々孫々に受け継がれ、

生命が宿り伝わることになる。

そこにはサヌキアワの電気粒子が

潜在している。

それは潜象と現象を兼ねて

存在しているアマナの行いによる道であり、

食や性に関する様相の本性である。

生命の世代交代は、

食物と性機構に内在する

電気粒子(イカツ)統計的存在性

(イマタチ)の交替生滅の

現象に由来するものである。

粒子からみれば消滅であるが、

エネルギーとしては持続的に伝わり

粒子性と波動性の二相として

新しい生命に表われる。

非常に重要なことは

輪廻転生を断言して「ミ」

(潜象のイノチ)は永遠であり

死ぬことはなく転生の回数が

霊性の高さであり徳の大きさであることを

言いきっている事である!!

目にはみえない直観のコトワリ(物理)であるが

生命の代代続く(交代していく)

その二代の柱は

本来無限界と始元界の2つの世界の

交替という天然自然の姿と相似象である。

それは陽電子陰電子であって、

それは潜象と現象を兼ねて存在している

アマナの行いによるミチであり、

食と性に関する様相の本性である。