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一号館一○一教室

オリンピックの終わり 日本の現実をみよう

2022.01.09 13:16

                                 黄文葦

東京五輪があっという間に終わってしまった。オリンピックロスの人たちが お祭りの後の寂しさに襲われたという。選手たちの活躍を見て、やはり感慨深げに何度も感動を覚えた。正直言って、今、オリンピックを回想せずにいられない気持ちである。 

世の中、東京2020を東京1964年と比較する傾向がある。57年前は日本が戦争に負けてわずか19年でオリンピックができるまでに成長した喜びが大きかった。本当に比べ物にならない感じである。今回のオリンピック史上異例の開催で比較できない。スポーツの祭典としては成功したと思うのが、五輪関連人選、カネ、決断力、政治などの面で欠点が出たと否めない。 

 オリンピックに限らず、日本人の中には何に対しても、昔がよかった、今はダメとか、あるいは、今は昔のまま、何も変わらないとか…こんなことばかりを言っている人たちがいる。それで、胸を張ることができなくて、虚しくなってどうしようもないではないか。 

最近読んだ白洲次郎の著書である「プリンシプルのない日本」の中、「日本人と議論をしていると、その議論のプリンシプルはどこにあるのかわからなくなることがしばしばある」という説がある。時には、当方にもそのようなプリンシプルのない議論に遭遇していると気がする。 

ただ世論に従って、何か、あるいは誰かを批判するために集まっているだけで、なぜこのような状況になったのか、どういう風に受け止めるのか、今何をすべきなのか、曖昧なままだ。 

 東京五輪の開会式と閉会式の演出について、世界に日本の恥をかいたという意見も少なくなかった。日本人は内向的な気質があるからこそ、このようなことを言ってしまったのかもしれない。元なでしこジャパンMFで、4度の五輪出場経験を持つ澤穂希さんが東京五輪の女子サッカーの8強敗退について、「これが今の現実」と語った。とても心に響く、愛に満ちた言葉である。 

 日本全体に対しても、「これが今の現実」と受け止めなければならない。言うまでもなく、1964年東京五輪は二度と繰り返されることはない。今年のオリンピックを取り巻く社会情勢は1960年代のそれとは大きく異なり、不完全で物足りないオリンピックを開催することが、今日の現実なのだ。 

 現実を受け止めて、ネガティブな面を乗り越えてほしい。新型コロナ時代に、日本ほどオリンピックを開催できた国はなかったというのは、日本人の誇りでもある。 

 東京2020のいいところは競技の以外にもたくさんある。5,000個のメダルに必要な金・銀・銅を、廃携帯電話や廃電気製品から2年間かけて精製した。この間に投入された人的・物的資源を計算することは困難であり、費用対効果は高くなかったかもしれないが、環境面ではオリンピック史上空前のことであった。 

 聖火リレートーチの素材の一部には、役目を終えた東日本大震災の仮設住宅の窓やドアなどを再利用している。また、全国各地から調達した木材で作られたオリンピック村の広場、木の柱に地名のラベルを付けて使用した後、また各地に返却する。リサイクル可能な選手用の段ボール製ベッドなども大きな話題になっていた。 

 海洋ゴミから作られたプラスチック製の表彰台、選手村のゼロエミッションバス、環境に優しい水素燃料を使った聖火台…これらのリサイクル対策は、環境に優しいイメージを作るために行われたもので、経済効果よりも象徴性が重視されている。東京2020は、史上最も「環境保護を訴えたオリンピック」だと言える。 

さらに、表彰式彩る「ビクトリーブーケ」被災した東北3県の花を使用するという。福島県産トルコギキョウ、宮城県産ヒマワリ、岩手県産リンドウ、福島県産ナルコラン、東京都産ハラン…細かいところまでこだわり、気を引き締めるという日本人の特徴がオリンピックを通して随所に見られる。 

実に、日本とオリンピックは密接な関係がある。今、札幌市は、2030年冬季五輪の招致を目指している。過去を振り返ってみると、日本は大体十年を一度に、夏季五輪あるいは冬季五輪を招致しようとしてきた。数回のオリンピックがさまざまな度合いで日本社会に活性化をもたらすことも確実であった。 何をやってもうまくいかないという日本社会の悲観的な雰囲気が変わることを期待せずにいられない。オリンピックの開会式と閉会式で、日本の欠点がある程度で世界に示されたとしても、それは決して恥ずかしいことではない。 

開会式と閉会式のパフォーマンスは日本の優しさと強さをも示し、世界の人々の心を揺さぶったことは言うまでもない。開会式と閉会式の大きな特徴は、元気なダンスが多かった。知り合いの小学生の子供が五輪を見て、「自分もダンスを頑張ろうと思った」と言った。 

美しいかどうかは別にして、五輪を通して、内向的な日本がようやく世界にその素顔を見せ、日本社会のさまざまな矛盾、弱点が浮き彫り、それは改革と進歩のチャンスになると信じたい。グローバル化が進んだ現代では、「国の恥」があっという間に世界中に拡散するのは普通であることを覚悟すべきだ。 

今の日本は80年代、90年代に比べて劣っていると感じている人もいるだろうし、21世紀になってからはさらに「失われた20年」になってしまった。しかし、2000年、当方が中国から日本へ、「平成不況」は当方にとっては、「不況」が全然見えなかった。 

当時の日本印象は確かな「成熟社会」であった。社会福祉、街並み、建物、人々の表情までもが、しっかりとした穏やかな雰囲気を醸し出していた。その時の日本は、当時の相対的な貧困と急速な発展を遂げる中国の前夜とは対照的になっていた。

現在、日本のGDPは中国に抜かれたものの、日本社会が依然として、中国社会より「成熟」で、「安定な状態にある超成熟社会」だと言える。 

日本に来て、最初に覚えた歌は「上を向いて歩こう」、この歌は日本の元気の象徴だと覚えた。今回の五輪閉会式で、また「上を向いて歩こう」を聞き、感無量だ。 中国と日本の間、いや、世界と日本の間に立って日本の現在と将来を見据えたい。外国人が見た日本と、日本人自身が見た日本は違う。外国人が見た日本は、やはり羨ましいところが多くて、日本人は自身に厳しすぎるのかもしれない。因みに、新型コロナへの克服を区切りに、中国も沸騰する状態からやや冷めて成熟社会の列に入られればいい。 

「やっぱりこれをやってよかった。これをやらなかったら日本人は病気になる」。1964年10月10日の東京オリンピック開会式を見届けた作家の三島由紀夫は、翌日の新聞で感想をつづった。東京2020の終わりに、「やっぱりこれをやってよかった」と言いたくなる。