ルシンダ・ペンデルトン・モーガン・ハリス・スミス
Lucinda Pendleton Morgan Harris Smith
モルモン教会教祖ジョセフ・スミスの3番目の妻
生い立ち
●1801年9月27日生まれ。長女。
●父親はジョセフ・ペンデルトン 母親はベツィー・ライリー(Betsey Riley)
最初の結婚
●1819年10月7日 ウィリアム・モーガンと結婚。子供を2人もうけた。
●ウィリアムは借金と酒飲みのくせがあった。
彼はフリーメイソンだったが、その儀式を暴露しようとしてメーソンたちに暗殺さ れたらしい。
2度目の結婚とモルモンへの改宗
●モーガンが行方不明になってから4年後、ジョージ・ワシントン・ハリスと結婚
ルシンダ29歳、ハリス50歳
●ハリスは銀細工職人として成功を収めていた。
●オルソン・プラットにより、夫婦でバプテスマを受けた。
●1838年にハリスはファーウェストの高等評議員に召された。現在の12使徒にあたる。
予言者ジョセフ・スミスとの結婚
●1838年、3月14日、ジョセフはエマと一緒にハリス家に2か月滞在した。
この2か月の間にジョセフはルシンダと結婚したと思われる。ジョセフは新しい妻 をめとるとき、彼らと同じ家に住んでいる時に結婚したので、ルシンダとの時も同 じだったと思われる。ジョセフ32歳、ルシンダ36歳だった。
ルシンダの夫、ジョージはこの結婚に承諾した可能性が高い。後に、ジョージはノ ーブー神殿で、死んだジョセフ・スミスと自分の妻ルシンダの永遠の結婚の代理人 を務めている。
●1940年の7月~1841年9月、ジョージは伝道へ行った。
その使命は教会の出版物の為の基金と物資を集めることだった。この間、ジョージが 留守の間にジョセフとルシンダは夫婦の親交を深めた、と思われる。
●1842年1月17日、ウィラード・リチャーズはこう書いている。
「アグネス姉妹の家でジョセフとハリス姉妹と一緒に食事をした。」
アグネスは、ジョセフの弟ジョン・カルロスの未亡人で、この時、すでにジョセフの妻になっていたと思われる。だとすれば、リチャーズはジョセフとその二人の妻と食事をしたことになる。
●「ノーブーEXPOSITORが印刷された。
市会議員だったジョージ・ハリスは1844年6月10日、ノーブーEXPOXIT ORをどうするかについて市の会合で議長を務めた。話し合いの結果、印刷所を破 壊することに決めた。
これがジョセフ・スミスの命令の下で行われたことは確かだ。ハリス氏はジョセフ に忠実だった。自分の妻をジョセフに捧げた夫たちは、この様に、ジョセフに絶対 なる忠誠心を抱いていたのである。
●ジョセフはノーブーEXPOSITORを破壊した共犯の罪でで逮捕され、
6月27日に殺された。
●1846年1月22日、ルシンダはノーブー神殿でジョセフと永遠の結び固めをした。
ハリスとはこの世での結び固めをした。そしてハリスと住み続けた。
離婚
●1853年までに、ルシンダとハリスは離婚した。
●ハリスはミズーリ州ジャクソン群がモルモンの手に取り戻される、と信じてユタへ 行かなかった。その後、アイオワで死亡。
モルモンを去り、カトリックとなる
●ルシンダもユタへ行かなかった。この後、完全にモルモンの歴史から消えた。
が、フリーメーソンであるモーリスの記録が残っている。
●ルシンダはカトリックのシスターとなり、南北戦争ではテネシーのメンフィスの病 院で奉仕したということだ。