第一回:宮本武蔵
まあ、本日は第一回ということで超有名、宮本武蔵の強さを考察していきたいと思います。
宮本武蔵は江戸時代初期の兵法家。兵法家ってのは簡単に言うと武術を人に教えて飯を食ってた人たちです。
あ、上の絵は私の書いた武蔵の絵です。気持ち悪ければ仰ってください。消しますwww
話を戻します。
「五輪の書」によると彼は13歳で初めて決闘をして29歳までに約60回の勝負をしたそうで、そのすべてに勝っているとか、、
うそだ~と思って調べてみると試合はいろんな所で結構やってたみたいですね。(にしても13歳は早いな、、)
ちなみに初めての決闘時は、タックルで奇襲して相手を殴打して勝っているそうです。
晩年は熊本藩主の細川忠利に異例の好待遇で客分として迎えられているし、当時としても剣術の腕前はかなり評価されていたみたいですね。
有名な決闘としては吉岡一門、巌流島の決闘がありますが、双方とも信憑性に乏しいですね。
吉岡一門との決闘
これは小倉碑文の内容(吉岡一門数百人を武蔵一人で打ち破った説)が一般的によく知られています。まあ、これは事実では無いでしょう。小倉碑文は相当武蔵を美化する脚色がなされているそうですね。
ただ、武蔵自身もたびたび吉岡一門との決闘を語っていたそうだから、まあ実際試合して勝ってるってこともあり得るとは思いますが。
あと、異説として吉岡家へ試合しに行った武蔵が吉岡源左衛門との試合の際額から大量出血して取りやめになったという説があったけどこれは信憑性が低いそうですね。
巌流島の決闘
これは、いろんな説がありますね。
武蔵が遅れたって説や、弟子を加勢させて決闘した説など、、
どれも信憑性に乏しく参考にならないですね。
吉岡一門との決闘と違い、巌流との決闘を武蔵が語ることはほとんどなっかたそうです。
ちなみに武蔵は身長180センチあったとかで当時としてはかなりの大男だったみたいですね。知らベているとかなり力があって片手で刀を操ったという説もあるようですが、結構この説は有力ですね。
なぜなら、武蔵は稽古として弟子に二振りを操るよう指導しており、二振りで鍛えておけば一振りを両手で持った時、自在に刀を操れるという考えをもっていたそうですね。
なので実際に二刀で戦うことはなかったようですが、180センチの大男が刀を軽々操れるとしたら脅威ですよね。
それこそ彼は、タックルや奇襲など躊躇なく行うことができる。
武蔵は戦い方も考え方も超実践的。五輪の書を読むことで、武道家としての武蔵の凄さも知れます。
実戦での実力は文句なしBランクですね。