Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

KANGE's log

映画「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」

2022.01.10 06:07

【最終章にして、ある意味スパイダーマン誕生の物語】

ネタバレしていないつもりですが、過敏な方は飛ばしてください。

「ホーム」シリーズのこれまでの2作は、旧シリーズに比べると、トム・ホランド自身のキャラクターもあるのでしょうが、コメディ色が強く、明るく、軽妙で、わちゃわちゃした青春映画という雰囲気でした。

「ベンおじさんの死」のような大きな犠牲もありません。それでも、師匠であるトニー・スタークを失い、前作ファー・フロム・ホームでは、「親愛なる隣人」から、人類の敵と戦うスーパーヒーローになる覚悟を迫られるような展開でしたが、結果的には、ピーターは「明確に答えを出していない」と私は受け取りました。

前作の感想はこちら↓

予告編でも流れているように、今回は、サム・ライミ版、マーク・ウェブ版のヴィランたちがシリーズを超えて、MCU版スパイダーマンの世界にやってきます。この3シリーズは1つの世界観の時系列の中にあるわけではないので、タイムトラベルではありません。別々のパラレルワールドで物語が展開しているものが、飛び越えてやってくるわけです。「ゴジラvsコング」ではなく、ハリウッド版ゴジラと平成ゴジラとシン・ゴジラの世界がつながるようなものです。「マルチバース」と呼ばれていました。

これは、すでに「スパイダーマン:スパイダーバース」で提示されていた世界観ですね。長い時間をかけて準備をしてきたということですね。今後は、アニメと実写の融合などもあるのかもしれません。
「スパイダーマン:スパイダーバース」の感想はこちら。

…ということで、旧シリーズを観ていることで、面白さが確実に2倍・3倍増しになります。特に、旧シリーズのピーターが抱えることになった後悔を、本作のピーターには経験させないぞ!というシーンがいくつかあります。これは、旧シリーズを観ているからこそ、その意味の重さが分かるところで、ぐぐぐっと気持ちを持っていかれました。

よく考えると、旧シリーズのヴィランたちは、もともとは普通の人なんですよね(エディは、嫌な奴でしたが)。それが、いろいろな形で人並外れた能力を得てしまい、それで、ダークサイドに落ちたり、別の力に支配されたりしてしまっていた。境遇としては、スパイダーマンも同じこと。そこから、少年らしい真っすぐさや、メイおばさんの言葉、トニー・スタークの導きなどもあって、私欲や私怨にとらわれることなく、「親愛なる隣人」であることができた。

それが、今回は「大いな力には大いなる責任がともなう」ということで、ピーターは大きな決断を迫られることになります。いよいよ、「アイアンマンの弟子」から独り立ちして、「スパイダーマン」となる物語でした。ラストに彼が来ていたスーツは、そういうことでしょう。

これらの展開に不可欠だったのが、ドクター・ストレンジで、物語上、都合がいいと言えば、都合のいい存在です。彼の性格上、ほいほいとピーターの申し出を受けるというのも、ちょっと意外でした。ただ、ヴィランたちを呼び寄せることになったしまった原因は、やはりピーターの思慮の浅さや優柔不断さです。若さと言っていいかもしれません。たくさん失敗して、学んで成長していくのも、少年が主人公であるスパイダーマンの特徴ですね。

ヴィランたちへの対応も、スパイダーマンらしい。彼は、常に誰かを守るために行動してきました。だから、ヴィランたちを退治するのではなく、助けるというのも当然の行動です。それゆえに、苦労したり、新しい問題が生じたりするわけですが、それでこそスパイダーマンです。

すべてのシリーズを受け入れて「世界よ、これがスパイダーマンだ」と高らかに謳った作品なので、旧シリーズを観ていて、MCU版は離れていた人も見て損はないですよ。

世界公開から3週間ほど遅れていた日本ですが、ぎりぎり正月映画といえる時期に、ちょうどいい、お祭り感でした。