「若者の社会勉強」ってなにを勉強してるの(2017.9.28あんなか暦クラブのお手伝い)
昨日のもよう。
「あんなか暦クラブ」
学生・若者目線から捉え直した安中市の価値や魅力を、あなたが毎日いるデスクの上に届けようとしています。
また、この取組は、学生の経験学習を応援するプロジェクトでもあります。
また、制作チームと営業チームがあり、「制作と営業の葛藤」という、リアルな課題に直面していることです。そこを話し合ってなんとか、納期までに、皆が満足するほうに進もうとしていました。
たぶん、この人たちは、メンタル耐性は、私より全然身につけてます。
そういう私は、微力ながらコミュニケーション周りのサポートをしています。
今回、学生が企業に対して、協賛金のお願いをするロールプレイをしました。それを皆が観察して、フィードバックをします。
私は仮想のお店「あんなか商店」の社員。
老舗です。
ロールプレイすると、やっぱりみんな上手なのですが、やや違和感がある部分がありました。
「オトナの事情への配慮的発言」です。
たぶん、営業先で、声を掛ける順番が違うとか、あと地域のPRならまず役所を口説いて来いとか、
そういった、言ってしまえば、地域のしがらみや、昔ながらの思い込みを前提とした助言や批判を受けたから、こういう発言になるんだろうなーと思われるところが、多少ありました。
これはこの団体のと言うよりは、より一般的に起きがちなこととして、思うのですが、
そういうのは、たしかに「目の前の現実」の問題としてはあるんだろうけど、そんなにとらわれる必要ないのではないでしょうか。
私の勝手な願いも含まれているけれど、
若者たちの自主活動は、若者が社会を自分のものへと取り戻していく過程だと思うから、そこに集中して欲しいと思いました。
そこで、私なりに、自戒も込めて確認したことはこうです。
「社会勉強」で勉強するものは何か?と考えた時、
それは、今ある社会のルールやオトナの事情を自分の中へとダウンロードすることではなく、
自分たちの純粋な想いの中へと、みんなを招き入れて、今ある社会をアップデートしていくことではないか
オトナ側も「これも社会勉強だ」みたいな発言は気をつけたいものです。「社会にお前が合わせろ(我慢しろ、諦めろ)」の意味で使われることが、少なくないかもと思って。
オトナの事情に向き合うのは、怖いこともあるかもしれないけれど、そういう時のために私が「近所の対話屋さん」としているのだから、呼んでくれれば、すぐまたママチャリで現れます。
カレンダーは、11月には発売予定のようなので、サンプルは届いたらまた発信します。
欲しい方は上記FBページに問い合わせ、又は、私に「欲しいかも!」と言っていただければ、おつなぎます。