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桜花帖

探し人

2017.10.01 12:30



「私の父に間違いありません」

初と名乗るスーツ姿の男が倒れている老人を指差しながら言った。

「この人は俺の親父だ」

濃ゆい髭面なサングラスの男もまた、老人を指差しながら言う。

「あなた、誰ですか?うちの父の何なのですか?」

「お前こそ、俺の親父なのに変なことを言いやがって」

「その言葉、そっくりそのままお返しします」

「何だと!?」

「あのう……失礼ですが、おふたりはご兄弟ですか」

思わず口を出してしまった佳恵は、ふたりに睨まれた。

「こんな髭面と兄弟とはありえません」

「こんなデブ、誰が身内かよ。俺は一人息子だ!」

ふたりはどんどん顔を近づけながら、持論を口にしていく。

たまたま通りがかりに倒れていた老人を助けただけなのに、なぜこんな暑苦しいおじさんふたりに睨まれなくてはいけないのだろうか。

まだ意識がはっきりとしていない老人を支えるようにベンチに座っていた佳恵は、その場を逃げ出したくなった。

すると、老人の瞼がゆっくりと開かれた。そして、

「……はじめ……」

と、呟いた。

「父さん!」

「親父!」

ふたりの視線は同時に老人に向けられた。老人の視点はまだ定まっていないのか、どこかぼんやりとしている。

というか、ふたりともはじめって言うんだ。

佳恵はようやく冷静に話せる糸口を掴んだ気がした。

「差し障りがなければお名前を教えていただけませんか」

「私は遠藤はじめと申します。はじめは初めて、と書きます」

先ほどからしきりにハンカチで汗を拭いている。いかにも中間管理職のサラリーマンといった風貌だ。マイホームのローンとか抱えてそうなくたびれた感じが全身から滲み出ている。

「俺は小澤はじめだ。漢字は開始の方の始。これを見てくれればいい」

と言って名刺を佳恵に差し出した。フリーライター・小澤始と書いていある。しかし、あの髭面にアロハシャツとGパン姿はいかにも怪しげで、まるでマフィアの下っ端だなと佳恵は昨日観た映画を思い出していた。

佳恵の背中からじっとりと汗が滲み出てきた。強い日差しにこちらが倒れそうになる。さっさと事態を収束させないと、自分が熱中症に罹ってしまう。

肝心の老人はというと、はじめ、はじめ、と繰り返すばかりで手がかりを得られそうにない。熱中症もあるのだろうが、かなりボケが進んでいるとしたらこの不毛な戦いは終わらないような気がする。

「こうなったら、出るところに出てやってもいいんだぞ」

「望むところです。鑑定でもなんでも受けましょう」

ふたりのはじめは炎天下の中、再びにらみ合った。

言葉の通り、裁判沙汰に発展した。

佳恵もまた証人として出廷する羽目になったので勤務を休むしかなく、いい迷惑としか言いようがなかった。すっかり佳恵に懐いてしまった老人も隣りに座っていた。落ち着きがなく、きょろきょろと周囲を見回している。

「見ろ。親父と同じ禿げ頭が何よりの証拠だ」

初は暑さ除けと禿げ隠しにしていた野球帽を脱ぎ捨てつつ言った。顔にはこんな事までして証明しなければいけないのかという、ある種の屈辱が浮かんでいる。

「確かに遺伝もあり得るが、そもそもこのクソ暑い時にそんなクソ暑い帽子を被っていれば禿げるわな、普通」

始はサングラスを外しながら言う。左目尻の黒子は老人と同じ大きさ、同じ場所にあった。

「だが、所詮は顔のパーツのひとつでしかない。無駄な努力だな」

「昔は血筋がすべての価値観の基準だったんだ」

と、初は言った。

「いやいや、日本は全然別の血筋から養子をもらうのはざらだ。何も問題はない」

始はそんなことも知らんのかこいつは、という目をしながら言い返す。

「だが、天皇家を見ろ。万世一系ではないか」

「生憎その天皇家も断絶し、傍流による王朝交代の可能性がある。それも形を変えた養子じゃないか」

「傍流だって立派な血筋だ!」

初はムキになって反論する。対する始は冷ややかな態度を崩すことはない。

「血の繋がっていれば全てがいいとは限らない。現実を見ろ。子殺し、親殺しが毎日のように報道されるご時世に、そんなおめでたい事を言うのか」

「うちに限ってそれはあり得ん!」

「あんたは本当におめでたいな。女なんぞ、腹の内では何を考えているか知れたもんじゃない。案外あのボケジジイとか思っているに違いないぞ」

「妻を悪く言うな!」

「妻、か……嫁が嫌々介護する位なら、喜んで観てくれる人に任せるのも手だろうが」

「それは……申し訳ないとは思っている」

初は今朝、玄関から送り出してくれた妻が久々に優しい笑顔を浮かべていたのを思い出し、胸が痛んだ。自分の理想の家庭像を妻に押し付けていただけなのかも知れない、とこの男の言葉で初めて気付かされた。

「喧嘩相手がいる内が華だぞ。居なくなってから気づいても遅い」

父が生きているかも知れないと母から聞かされて以来、始はフリーライターに転身し、取材の傍らで父を探し続けていた。その母もふた月前に鬼籍に入った。もう少し父親について聞いておけば良かったと悔いても、母はこの世に居ないのだ。

そして、単なる民事裁判のはずなのに、傍聴席は全て埋まっていた。

「部長が勝つに決まっている。部長はとても家族想いだし」

「そんなのが理由になったら裁判いらんだろう」

「フリーライター風情が分かった口を利くな」

「組織の中でしか生きれないのは気の毒だな」

またある所では。

「部長の近所に誹謗中傷のビラをばら撒いたのは貴様たちだな」

「よく言うわ、小澤が病院でDNA鑑定を受ける際に妨害しまくっていたくせに」

「証拠を出せ、証拠を!」

「それこそ、このカメラの中身を出してもいいならな」

「脅迫じゃないか!」

そこかしこで喧嘩が勃発しているようだ。

「静粛に!」

コン!とハンマーの音で双方口を閉じた。

黒衣の裁判官はぎろり、と双方を目で制する。

「それでは、鑑定の結果を公表する」

がさがさと紙を開く音がする。この場にいた全ての人間が裁判官を、正確に言えば裁判官のもつ紙に注視する。

「主文。DNA鑑定の結果、遠藤初、小澤始、双方、老人との血縁は認められない。従って、今回の裁判は無効とする」

「何ということだ……」

「そんな……馬鹿な。俺はともかく、あいつも血縁じゃないとかどういう事だ?」

「何ですか、その、俺はともかく、とは」

「……自信が無かったからさ。俺自身の記憶も定かじゃなかったし」

佳恵も予想外の判決に目を見張った。法廷内もまた騒然とした雰囲気に包まれている。

老人は、というと。

「はじめ……」

と呟くと、席を立ち、ふらふらと出口に向かう。佳恵は慌てて後を追った。気づいた始と初、そして傍聴席の聴衆も一斉に立ち上がって出口へ向かう。

老人は頼りない足取りで廊下を歩いていく。後ろから佳恵をはじめとしてぞろぞろといい年をした大人が列を成しているので、すれ違った女性職員はぎょっとした表情でそれを見送る。

すると、老人の足が止まった。つられて佳恵らの足も止まる。

「はじめ!」

老人はソファに座っていたお下げ髪の幼女に向かって歩み寄ると、満面の笑みを浮かべて高々と抱き上げた。はじめ、と老人に呼ばれた少女は何が起きたか分からない表情を浮かべた後、顔を真っ赤にして泣き出した。

「うちの娘に何をするんですか、警察を呼びますよ!」

少女の母親らしき真っ赤なワンピースの女性が慌てて駆け寄り、幼女を取り戻そうと老人に詰め寄る。

「お前こそなんだ、儂の娘を拐かそうとしているのか!」

老人は幼女をしっかりと胸に抱き、離そうとしない。その間も泣き声は大きくなる一方である。

「止めなくちゃ!」

佳恵、初に始、そして傍聴席の聴衆からついには裁判官まで引っ張り出し、老人から幼女を引き離して母親の元へ返すまでに一時間かかり、怒り狂う老人を説得するまでさらに二時間を要したのだった。 

(完)


初出 2015年11月