ことばの拙さ
わかりやすく伝わる努力をたくさん重ねて来たつもりだけど、
どうにも届かないというか
この拙さはそれでいいのだ!と思ったんですよね。
ぼくはいまだに
左半身からぼくじゃないものが
ぼくを押しつぶそうとしてくるけど。
とりあえず生きているし、
割とはっぴーで自由だしすばらしい。
このなんというか崩壊してるけどいいじゃないかという感覚こそ大切なのだと思った?
極端な話ぼくが右手なかったら
可哀想で、障害になるのに、
ぼくがこの伝わらない拙い意味のわからない文章しか綴れないのは
なぜ欠損にならないのだろうか。
なぜ欠損にならないのだろうか。
それは補うこと、
生やしたりできることだからだろうか。
右手は生えてこないし、
目は見えるようにならないけど、
極端な話
科学が超進歩して
右手は人口義手が異常に発達して
不便どころか
生身の人間より高スペックだったら
それは障害だろうか。
そして、目も認知度が普通と変わらない義眼ができたらそれは欠損と言えるのだろうか。
不思議な話この
ぼくの文章力や伝える力は伸びたりするかもしれないが、
逆にある日突然消えたりする可能性がある。
意味のわからない話かもしれないけど、
わりと培ってたものが簡単に次の日に消滅していたり、
チューンナップが全く
ぼくの仕様と異なっている事が間々ある。
というわけで。
この不確かさ、ランダムさは
伸びるかもしないが測定不能ということで、再現性がないということで、
欠損と呼べないか。
というかもう欠損にしてしまえ!。と思った
欠損と格闘していたと思うと胸がすーっとする。
その拙さが良かったりするんだと思った。
拙さがちゃんと100%ならそれは僕らしくてすごく良い
全然話変わるけど
昔から濃縮還元されたジュースが嫌いだ。
あれは個性を損なってブーストしてるからまったく味がわからん。
味覚とは別のおばけみたいな味がする
幻影感ないですかね?あれ?
ファントムだなー。とすごく僕は思います。
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