第3章)神のいかづち
前回までのあらすじ
神は、小学3年の大親友に、試練を与えた。
それは、病気という試練だった。
私は友のそんな試練の戦いに気づくことができなかった。
私は、「病気で休み傾向になった親友をみて風邪をよくひくなあ...」
くらいのことしかみていなかった。
休むことはあったものの、時々、遊んでくれていたからだ。
しかし、学校を休む頻度は日に日に増えていった。
ある日私が、学校帰りに友人に
「今日は遊べる??」
と聞いたこ。
すると親友は
「ごめん、今日は遊べない。」
何度か、こんなことがあり、彼は病院にいくからということだったが
私は気づくことができなかった。
私は
「遊んでくれないんならもういいよ。」
と彼から誘ってきた日も断ったこともあった。
そんなことがあった、小学5年生のある日
ある運命の出来事がおきた。
それは夕方16時ころの1本の電話、当時、まだ黒電話だったため
家中にそのうるさい電話の音が鳴り響いた。
私は、いやいやながらその電話にでた。
その電話の内容を聞くと頭が真っ白になった。
学校のクラスの、電話連絡網からだった。
「⚪︎⚪︎君が、亡くなった。。。」
頭の中が真っ白になった。
事実を受け止めることができず、次の日の朝礼で
校長先生が全校生徒に黙祷をささげたとき
倒れて、気が付いたら保健室にいた。
後悔した。なんであのときに、遊んであげなかったのだろう。
もっと一緒にいたかった。ただそれだけがそのときの後悔だった。
しかし、さらにそれを大きくしたのは
お通夜の日だった。
彼の母親にあったときのことだった。悲しみの絶頂の中
彼の母親はこういった。
「一緒にいままで遊んでくれて本当にありがとうね。」
「うちの⚪︎⚪︎ね、いつもいっていたよ。
君のことが大好きだって。」
「優しいし、怒らないし、だから一生友達だって。」
私に対する、お礼の意味もあったと思うが
子供を亡くしたその子の母親の顔は涙でクシャクシャになっていた。
この言葉をさらに自分の母からも同じ言葉を
いっていたため、私は、友人をそこまで好きでいられなかったことを後悔した。
涙が止まらなかった。
自分への悔しさの涙、大親友への感謝の涙。。
幼い子供ながら、その感情はなんとも言えない感覚だった。
その場にただただ立ち尽くすことしかできなかった。
続く。。。第4章へ